naoさんのブログをかってにリグログーー!・・・しちゃいました(ごめんなさい)
実にピュアなお言葉でご家族への思いや日々の出来事を綴られており、ブログの本質をあらためて学ぶことができます
この度は、お天気の話題とお子様への愛情がリンクしていて、一読すると何気ない日常風景を綴られているように感じるのですが、お子様に色々なことを教えてあげたい、まだまだ学ぶ姿勢を失わないといった不動心が心を打ちます
そこで今回は、天気に纏わるご先祖さまからの「これは忘れないでね!」という話題を語ります
過日、高校生女子20名が夏休みの研究として、「我が国の伝統文化には哲学が存在するのか」というお題目でわたしの講義を受けたいと来社されました
彼女たちが期待した哲学とはおそらく自己啓発的な内容なんだろうなと予想はしておりましたが、いざ講義を始めると意に反し、自然とともに生きるとわたしが普段から口にする真意とは何か?という答えを求めていたのです・・・つまり、なぜか彼女たちはわたしを哲学者と捉えていたのです・・・
まずはその誤解を解かなければなりません!そもそも哲学者とは、自身を哲学者とは言いません・・・。
(自負している人もいますからダメだしは出来ませんが(^^♪)
しかしおそらくその多くは大学などで「哲学史」を教える「思想家」乃至「教授」というのが正解なのではないのでしょうか?
いずれにせよ私は思想家でもありませんので、まったく当てはまらない人種!?であることは確かです
彼女たちにはそこを念押ししたうえで、4時間強に及ぶお話をしました。
さて、その事例の中でお話したのが「春夏秋冬と神様」との同意性についてです。今回のお話の肝です!
先ず、古の先祖が書き残した我が国最古の(現存する)書物「古事記」。
これを創作=荒唐無稽と平気で口にする方は未だに多いのは周知のとおりです。
ところで、我が国の気候は、ご承知の通りアジアモンスーンと呼ばれる、所謂春夏秋冬をもたらす気象現象ですね。
先人にとって、湿潤とも言いかえられるこの気象条件は、春風と呼び、夏には梅雨、夏は日の恩恵、秋は収穫、冬は降雪による水の自然保管を可能にした自然の恵みの象徴でした!
実に文句のない気象条件だったことから、口から出る言葉は自然と「感謝」だったことは言うまでもありません。
他方、湿潤は、時に台風、湿気、雷雨、津波、土砂災害という命を脅かす畏怖の対象でもあったのです。
自然の猛威の前では、逆に文句どころか、命を守るべく、ひたすらに災害が過ぎ去るのを祈るしかなかったのです。
古事記に話題を戻しましょう!
海原と自然現象を司る神として誕生したのは、ご存じ「スサノオの命」です。
スサノオが泣けば海原は嵐となり、スサノオが落ち着けば、姉のアマテラス大神からの日の恵が降り注ぐ
自然の働きなのは理解しつつも、そこにはあたかも「意識」があるかように・・・。
このなんらかの「意識」は決して目には見えない・・・。
だから「お陰様」という言葉はいつのまにか誕生し、当たり前のように口にするようになった・・・。
私たちはこの「お陰様」にたいしてはただ忍従する術しかなく、また歯向かうこともなく、感謝や畏怖の心を「祭り」という具現性をもって体現する・・・。
ここには哲学といった理屈はなく素朴で、でも祭りという行事を意識的に行わければ忘れちゃいがちになる心得が神話を通して残された明確な意図があることに気づくはずです
自然と共に生きるとは、山川草木のみならず人にも動物にも「相手の気持ちになって考え、己の発言や行動を吟味する」ことによってこそ初めてお互いが理解し合えるという先人の声なき声が込められたとてもポカポカする心なのですネ