いや~~もはや言葉が出ない・・・「暑い・・・」←出てるやん
それでも掃除はしなきゃ草ボーボーになる自然は容赦なし
境内の水を勝手に汲んでいく輩も出現!!ペットボトルならいざ知らず、でかいタンクを持ってきて夜中にせっせと汲んで逃げる・・・監視カメラに録画されているのに・・・
まぁー一般的にこれは立派な「罪」と言えるでしょう。
ところで、神代の時代の「罪」といえば、スサノオ命が姉神「アマテラス大神」の世界で犯した乱暴狼藉が有名です
田んぼにう○ちやお○っこをまいたり、馬の皮をはいで織物する部屋に投げたり
結局、スサノオは髪の毛を抜かれ、爪をすべて剥がされて地上界の出雲に追放されるという報いを受けました
そこで本題!!
時折、「なんでお葬式の際、遺族の髪や爪をお棺に入れるのですか?」といったご質問を受けることがございます。
・・・もうスサノオの件で答えを言っているようなものですが・・・・
我が国では古来より、強い祖霊信仰が祭祀として残っており、ここに大陸由来の仏教と習合したのが近年の(一般的な)葬儀形態です
以前にも綴りましたが、古墳とは神様となった先代を埋葬するお墓の役割だけではなく、初代から続く一族の魂、したがって「御霊(ひ)」を継ぐ祭祀場でありました。
ゆえに「霊(ひ)」が抜けた肉体は「無き殻(=亡骸)」と言い、命のバトンを受け継ぐ者は「霊継(ひつぎ)」と呼ばれました。
これが現代の「柩(ひつぎ)」の語源です
霊を継ぐ者は、無き先代に変わって自らがまるで先代が生きているかのように振る舞い、挨拶を行うのです。
これが遺族とは異なる存在「喪主」本来の役割なのです。
当たり前ですが、亡くなったものはお世話になった多くの方々にお礼を言いたくとも、接待をしたくとも、それが叶いません。故に霊(ひ)を継いだものはしっかりと最後の接待をして差し上げる。
これが祖先とともに生きるという日本人の祖霊観の最たるものであり、今一度理解していただきたく思う限りです
平素、あまり意識することはありませんが、そもそも私たちは常に「初代から数えて○代目」という敢然たる事実がございます。
それは今現実に存在していることそのものがその証です
先人は、切っても切っても伸びる「髪の毛」や「爪」に「不滅」を感じ、霊(ひ)を継ぐにあたって、髪の毛や爪を柩にいれて、家族の永遠性を誓い、また先祖との一体感を具現化する儀として、霊継ぎを儀式としたのです
したがって、スサノオのお話は、罪を犯した者への「縁切り」の儀式であったことが伺えます・・・でも・・・スサノオは後にヤマタノオロチを倒し、草なぎの剣をお姉さまのアマテラスへ献上し謝りました。
「許すこと」・・・これもまた、愛はなくしても情はなくしてはいけないョという教訓にも感ずるのです