こんにちは。aonoです。
外向的で積極的な社員に
なろうとした私でしたが、
漫画の世界とは違い、
努力に比例して結果が得られる
という流れにはなりませんでした。
私はどこで誤ったのでしょうか?
戦闘力ではない
そんな私でしたが、そのうち
自分なりのやり方で周りとの
コミュニケーションを取れるように
なりました。
私の会社では、ある時期から
案件の打合せを密にやっていこう
という方針が徹底されました。
それによって、下位職の案件を
毎月打ち合わせるようになったのです。
打合せは1対1で行われます。
それに、打合せはお互いに話をする
必要がある状況です。
普段、話をしなくても良い状況で
話しかけるのには躊躇がありました。
しかし、打合せではこちらも
話をしなければならない状況ですし
相手にとっても当然そうです。
それに、普段は自分のことに集中
しがちですが、打合せのためには
相手の案件を見る必要があります。
しかも、毎月打ち合わせをするので
毎月、経時的に案件の状況を見ますし、
人によっては毎日のように追いかける
ということもありました。
そうすると自然と目配りもできて
話しかけることもできるという
状況になったのです。
そのやり方は私には合っていました。
毎日のように継続して見続けて、
その中で担当者の癖や改善点を
見つけるというのが私は得意でした。
当時担当した下位職は、なかなか
処理が進まない担当者だったのですが
1年経過しないうちに処理率が
職場内でもトップになったのです。
そして、そういった自分の得意な面
を活かして案件の点検やフィードバック
を通して課に貢献するということが
できるようになりました。
この状態になってからは、
幾分か自然体で成果を出せるように
なってきました。
また、外向的な人間になろうと努力
していた頃と比べて、伸びるのも早かったのです。
この違いが重要だったのです。
私は自分も努力すれば、
外向的で積極的な人間になれる
と考えて努力をしてきました。
そうすれば、これまでと同様に
必ず成長していけると信じていたのです。
ドラゴンボールで言えば、
修行していればいつかは
スーパーサイヤ人になることができると考えていました。
確かに、その努力によって自分の
幅が広がったのは事実だと思います。
しかし、外向的になろうと思えば
やはり時間も労力も膨大に必要になります。
それだけ努力したとして、元から
外向的な人には外向性では足元にも
及びません。
彼らは生まれた頃から、
サイヤ人みたいなものです。
それに対して、
自分はあくまで地球人であって
サイヤ人にはなれないのです。
彼らはそもそも外向的ですし、
外向的な能力が我々よりも伸びやすいのです。
また、彼らは外向性は既に手に入れて、
余力で別のことに力をいれるでしょう。
そうすれば、私に勝ち目はありません。
しかも、私が外向的になるには
精神的なストレスも相当かかってきます。
その力を自分の資質を伸ばす方向に
使った方が楽に成果も出やすくなるのです。
ドラゴンボールの世界では
悟空もその他のキャラも、
一律に「戦闘力」という数値で
強さが測られていました。
しかし、現実世界の中では、
戦闘力という単純な数値で
強さを表すことはできません。
そもそも強さ自体がその状況と
自分の持ち味によって相対的に
決まるものであって固定的なものではありません。
格闘技などを見ていれば分かる通り
現実には選手ごとに得意不得意があり、
それぞれが自分の持ち味を活かして
勝負しているはずです。
だから、単純に強い弱いと判断する
ということはできません。
格下選手であっても持ち味の
戦略性であったりパワーであったり
テクニックであったり
あるいは得意技を合わせることで
格上選手に勝つこともあります。
また、逆に格上選手であっても
格下選手に対して何も考えずに
力で押し切れるほど甘くはなく、
自分の持ち味を活かして勝負をしている
からこそ格上でいられるのです。
また、同じ格闘技でも少しルールが
異なれば、強い選手が一瞬で
弱い選手になることもあります。
これは会社員にとっても
同じことだと思います。
過去の私は会社員である自分や
同僚を、スカウターで戦闘力を
測って強いか弱いを判断するように
単純に優秀か優秀じゃないか
という判断を下していました。
しかし、そう単純なものではなく
本来それぞれの持ち味を活かして
個人や組織の目標に貢献していく
というのがあるべき姿です。
それなのに、過去の私は
「こんな社員にならなければ
ならない」
という理想像を決めつけて、
自分の持ち味に気付かずに
間違った方向へ修行を続けて
いたのでした。
そして、その背景には
「修行すれば強くなれる」
というドラゴンボールから
学んだ価値観が根強くあった
と思います。
同時に、自己理解が浅く
自分の進むべき方向を
見誤ったのだと思います。
サイヤ人でなければ
スーパーサイヤ人にはなれません。
しかし、サイヤ人が優れて
いるのは戦う事だけであって、
それ以外はダメ人間です。
悟空は平時にほぼ働かず、
子供を危険な目に遭わせる最低な
父親とも捉えられます。
そういう面ではクリリンの方が
優れていると言えるかも知れません。
まだ若いうちは可能性があり、
幅を広げる意味で色んなことを
試してみるのは良いと思います。
しかし、大人になった今は
「努力すれば何であってもできる」
という思考は捨てた方が得策です。
しっかりとした自己理解のもと、
自分がなれる最高の自分像を
目指すということが正しい努力の
方向だと思います。
皆さんも今後の成長を望むのであれば、
是非、早い段階で自己理解に基づいた
自分の理想形を探してみることをお勧めします。
最後まで読んでいただき
ありがとうございます。