〓 3年前 (2006年) の5月29日、岡田眞澄 (おかだ ますみ) さんが亡くなりました。もう少し同じ時代にいてくれる人だと思っていたので、足もとをすくわれるような喪失感を感じたものでした。
〓岡田眞澄さんの愛称が、
「ファンファン」
だったのはご存知でしょうか。20代後半あるいは30代のワケエシだと、
「仮面ノリダー」 の “ファンファン大佐”
と認識しているかもしれません。10代・20代前半のヒトたちだと、
の姿で記憶に残っているかもしれません。
〓なぜ、岡田眞澄さんを思い出したのかというと、「ファンファン」 という愛称が、前回、取り上げた 「ジェラール・フィリップ」 Gérard Philipe に由来するからなんです。
【 岡田眞澄という人 】
〓父親は、昭和初期にパリに滞在していた日本人洋画家、岡田稔 (おかだ みのる) 氏。母親は 「インゲボルグ・シーバルセン」 さんと言うデンマーク人で、やはり、同じころ、バレエの勉強をすべくパリに来ていたと言います。2人はパリで出逢い、恋に落ちました。
〓「インゲボルグ・シーバルセン」 という名前は、岡田眞澄さん自身が覚えていたものだろうと思いますが、デンマーク人で、この姓名だと、本来の綴りと発音は、
Ingeborg Sibbersen [ 'iŋəˌbɒˀw 'sibɐsn̩ ]
[ ' イカ゚ボウ ' スィバスン ] 「インゲボウ・シバセン」
だろうと思います。デンマーク語の固有名詞については、このインターネットの時代でも情報がまったくない状態で、このあたりに記す発音はアッシの推定にござります。
[ ɒ ]
という記号はあまり見ないと思いますが、これは、英国標準音 (Received Pronunciation) の hot の母音です。ややこしいようですが、米国標準音 (General American) の hot の母音 [ ɑ ] に唇の丸め (円唇化) を加えただけの母音です。
[ ɑ ] + “唇の丸め” = [ ɒ ]
――――――――――
hot [ 'hɑt ] GA 米国標準音 (唇を丸めない)
hot [ 'hɒt ] RP 英国標準音 (唇を丸める)
〓この母音は、従来の日本の英和辞典では [ hɔ́t ] と表記されています。たぶん、調音点の近い円唇母音の記号で間に合わせたのでしょう。
〓また、
[ ɐ ]
という記号も見ないと思いますが、これもややこしい音ではなく、
[ ɑ ] と [ a ] の中間の母音が、おおよそ、[ ɐ ]
です。ポルトガル本国のポルトガル語には頻出する母音ですが、日本人がよく知るところでは、
ドイツ語の母音化した -r, -er が [ ɐ ]
――――――――――
Vater [ 'fa:tɐ ] [ ' ファータ ] 「父親」
Motor [ mo 'to:ɐ ] [ モ ' トーア ] 「モーター」
の母音です。
〓独和辞典では [ 'fa:tər ], [ mo 'to:r ] ( r は ʀ の代用表記) のように記してあるのが普通でしょう。これは、
Motoren [ mo 'to:ʀən ] [ モ ' トーレン ] 「モーター」 の複数形
のように変化形で [ ʀ ] 音が復活するからでしょうか。もっとも Vater の場合は、変化形が4種類しかなく、
Vater [ 'fa:tɐ ], Vaters [ 'fa:tɐs ], Väter [ 'fɛ:tɐ ], Vätern [ 'fɛ:tɐn ]
と、決して [ ʀ ] 音は復活しません。
〓 Sibbersen という姓は、Sigbjørnsen が音縮約を起こした語形だろうと思います。
Sigbjørn [ 'sɑ:ɪ̯ ˌbjœɐ̯ˀn ] [ ' サーイビエアン ] 「サーイビエアン」
というのは、デンマーク人の男子名です。それに -sen 「息子」 が付いた 「父称」 が 「姓」 になったものですね。
〓 Google Danmark で国内限定でこの手の姓を検索してみましょ。
Sigbjørn 「サーイビエアン」 (男子名) …… 4,510件
↓
Sigbjørnsen 「サイビエアンセン」 …… 7,480件
↓
Sibbernsen 「シバンセン」 …… 886件
↓
Sibbersen 「シバセン」 …… 1,880件
〓この男子名は、古ノルド語 (古代スカンジナヴィア語) から存在する名前で、北欧、アイスランドに共通の名前です。ドイツ、オランダ、英国には見られません。現代では、なぜか、ノルウェーにのみダントツに多い名前です。デンマークには少ない。
Sigbjørn …… 363,000件 ※ Google Norge ノルウェー国内限定
Sigbjörn …… 45,700件 ※ Google íslensk アイスランド語のページ限定
Sigbjörn …… 12,800件 ※ Google Sverige スウェーデン国内限定
Sigbjørn …… 4,510件 ※ Google Danmark デンマーク国内限定
〓前半部の sig- は 「勝利」 という意味で、ドイツ語の Sieg [ ' ズィーク ] と同源です。英語では消失しました。現代デンマーク語では sejr [ ' サイア ]。
〓後半の bjørn は 「クマ」 です。英語の bear、ドイツ語の Bär [ ' ベーア ] と同源。北欧、アイスランドでは、現代でも、
bjørn …… デンマーク語、ノルウェー語
björn …… スウェーデン語、アイスランド語
というふうに、古代からほとんど語形が変わっていません。
〓北欧では、 Björn 「クマ」 のみでも男子名になります。たとえば、かつてのスウェーデンのプロテニスプレーヤー、ビョルン・ボルグですね。この日本語読みは、英語でもない、スウェーデン語でもない、ヘンテコな読み方です。
Björn Borg [ 'bjœ:ɳ 'bɔrj ] [ ビ ' ヨーヌ ' ボ-リィ ]
※ [ ɳ ] は “反り舌の n ” です。米語の water 「ワラ」 の t の子音の位置で
舌を 「口蓋」 (口の天井) につけて [ n ] を発音します。
r のあとに続く子音は、スウェーデン語では “反り舌化” という特有の変化を起こします。
要は、英語の turn [ 'tɚ:n ] を発音するときに、 -ur- で反り返らせた舌を
もとに戻さずに、反らせたまま [ n ] を発音すると、このスウェーデン語の子音になります。
〓つまり、 Sibbersen 「シバセン」 (ナンか司馬遷みたいですが) という姓は、
Sibbersen 「勝熊 (カチクマ)」 の息子
という意味です。
〓岡田眞澄さんのお兄さんは 「E・H・エリック」。ワケエシには、まったく、オナジミではござりますまい。
〓名前の読み方は、イーエッチ・エリック。その当時、一般の日本人で、H を 「エイチ」 などと読むヒトはいませんでした。
〓アッシなど覚えまして、子どものころには、すでに、テレビタレントに “外タレ” という奇妙なカテゴリーがありました。今で言う、デーブ・スペクター、ボビー・オロゴンという範疇のヒトたちですね。
〓一昔前なら、ケント・デリカット、ケント・ギルバート、サンコンさん、もう一昔前なら、ウィッキーさん、デストロイヤー、フランソワーズ・モレシャン、そして、もう一昔前のテレビ草創期だと、
ロイ・ジェームス、E・H・エリック、イーデス・ハンソン
という感じがします。
〓ロイ・ジェームスさんなんて、アッシ、子どもながらにして、その名前と風貌から、テッキリ、アメリカ人だと思ってましたが、実は、ロシア革命で亡命してきた 「カザン・タタール人」 でした。
〓言語的には、トルコ共和国のトルコ人と同系の民族です。地図を見ると、ロシア・ヨーロッパ部のほぼ中央に 「カザン」 Казань Kazan という都市があります。カザン・タタール人の故郷はそのあたりです。
〓エイゼンシュテインの映画 『イワン雷帝』 に、モスクワ大公国軍 (ロシア軍) が、チュルク人国家、カザン・ハン国を攻め落とす壮絶なシーンがあります。ロシア軍の攻撃で破壊されるのが首都カザンです。
〓現在のロシア連邦内の “タタールスタン共和国” は、かつてのカザン・ハン国の版図とはかなり形がちがい、南が短く、東に長くなっていますが、カザン・ハン国の後裔 (こうえい) と言ってよござんしょう。
〓ロイ・ジェームスさんが生まれたのはペルミ Пермь Perm' だそうです。この都市は、タタールスタンから北東に少し離れていますが、カザン・ハン国が滅ぼされたとき、タタール人はカザンから追放されたんです。だから、カザン・タタール人は、タタールスタンの周辺にも多いのです。
〓E・H・エリックさんも、名前のセイなのか、岡田眞澄さんに比べると、はるかにアメリカ人という感じがしました。アッシら子どものころは、悲しいことに、「外国人=アメリカ人」 という発想しかありませんでした。
〓「E・H・エリック」。もちろん、これは芸名であって、本名は 「岡田泰美」 (おかだ たいび)。
〓その岡田泰美さんの次女が、先だってマチャアキこと堺正章 (さかい まさあき) さんと離婚した 「岡田美里」 (おかだ みり) さんです。すなわち、岡田美里さんは岡田眞澄さんの姪です。
〓岡田泰美、岡田眞澄兄弟は、戦争に翻弄された少年時代を過ごしました。
〓岡田一家は、南仏のニース Nice で暮らしていたようです。コートダジュール。天候の良い温暖な土地柄で、太陽の光に満ちた平穏な暮らしだったでしょう。ニースは先だって申し上げたプロヴァンスの都市です。ジェラール・フィリップの生まれたカンヌ Cannes、育ったグロース Grosse は目と鼻の先です。
〓兄 岡田泰美、1929年 (昭和4年) ニース生まれ。弟 眞澄、1935年 (昭和10年) ニース生まれ。
〓しかし、1939年 (昭和14年) 9月1日、ヒトラー指揮下のドイツ軍のポーランド侵攻により、第二次世界大戦が勃発。1940年4月には母親の故国であるデンマークが、中立国であるにもかかわらずドイツに占領されました。
〓1940年6月14日、ドイツ軍がパリ入城。フランスは、ドイツ支配下の北フランスと、休戦によって支配を免れた南フランスに分断されました。南フランスのフィリップ・ペタン Philippe Pétain 元帥によるヴィシー政府 le Régime de Vichy は、ドイツに対して弱腰で、対独協力の路線を取りました。
■ ドイツ占領地域 / ■ 非占領地域 / ■ イタリア占領地域
〓映画 『カサブランカ』 のラストシークエンスで、ルノー署長が 「ヴィシー水」 というミネラルウォーターのビンをゴミ箱に放り込みますネ。つまり、そういうことです。
〓このころ、対独戦でフランスの劣勢を見て取ったムッソリーニ Mussolini は、6月10日にフランスに対し宣戦布告し、イタリアと国境を接する地域を帯状に占領しました。
〓ジェラール・フィリップの住まうグロース Grosse は非占領地区でしたが、岡田一家の住まうニースはイタリアの占領下におかれました。
〓この3ヶ月後、1940年9月27日、日独伊三国同盟が締結されます。つまり、ここにおいて、
日本人は、ハッキリと、フランス人の敵
となったわけです。
〓ニースに住まう岡田一家が、その当時、どのような状況におかれたかは想像するしかありません。しかし、翌1941年 (昭和16年)、ヨーロッパ戦線が拡大するなかで、一家は親類を頼って台湾 (当時は日本領) に渡ったのでした。
〓1941年 (昭和16年) 12月8日、日本は真珠湾攻撃とともに、太平洋戦争 (大東亜戦争) に突入。米国と戦争状態に入ります。
〓そして、1945年 (昭和20年) 8月15日、昭和天皇の玉音放送とともに、日本国民は敗戦を知ります。岡田一家は、この日を台湾で迎えました。続いて、蒋介石 (しょう・かいせき) 率いる中華民国政府が軍隊とともに台湾に上陸。日本人の本土引き揚げが急速に行われました。
〓岡田一家も少なくとも終戦の翌年には日本に引き揚げて来ていたでしょう。
〓台湾からの引き揚げ後、一家は、有楽町のガード下で、浮浪者のような生活をしていたと言います。その後、赤坂の引揚者住宅に入居し、泰美、眞澄兄弟は、横浜のインターナショナル・スクールに通います。
中平康 (なかひら こう) 監督、1957年 (昭和32年) の映画 『街燈』
〓その後、先に芸能界入りしていた兄、泰美を追って芸能界入り。1953年 (昭和28年)、第6期の東宝ニューフェースに合格します。しかし、東宝の映画には1本も出ないうちに、翌1954年 (昭和29年) に映画製作を再開した日活に入社。1955年 (昭和30年) の正月に封切られた日活映画 『初恋カナリヤ娘』 で映画デビュー。
〓ハナシは少し戻ります。
〓東宝ニューフェースに合格した昭和28年、1本のフランス映画が日本で公開されました。
『花咲ける騎士道』 «Fanfan la Tulipe» (1952)
〓主演は、ご存知、永遠の美青年俳優となってしまった 「フランス映画の貴公子」、
ジェラール・フィリップ Gérard Philipe
でした。
〓先だって申し上げたとおり、1922年 (大正11年)、カンヌ生まれ。
〓『モンパルナスの灯』 «Montparnasse 19» で、不遇のうちに35歳で亡くなったモジリアーニを演じた1年後の1959年 (昭和34年)、肝臓ガンのため36歳で夭逝 (ようせい) しました。
〓フィルモグラフィが36歳で途絶えてしまったために、スクリーンの中のジェラール・フィリップは永遠に歳をとらないんですね。
〓1953年、30歳、現役バリバリのジェラール・フィリップが、愉快な騎士道コメディにして、痛快な勧善懲悪モノの映画、『花咲ける騎士道』 “ファンファン・ラ・チュリップ” とともに日本にやって来ました。
〓本当にやって来たんですね。1953年の第1回フランス映画祭 (現在の同名の映画祭とは別の1950~60年代の映画祭) のために初来日しているんです。その熱狂が、同年、東宝ニューフェースとしてデビューした岡田眞澄さんの愛称 「ファンファン」 の由来につながります。
【 「ファンファン」 とは何か? 】
〓“ファンファン・ラ・チュリップ” «Fanfan la Tulipe» というのは、映画のタイトルにして、ジェラール・フィリップ演じるところの主人公の騎士のアダ名です。「ファンファン」 というのは、enfant [ アん ' ファん ] 「子ども」 の指小形・愛称形です。
fan ← enfant [ ɑ̃ 'fɑ̃ ] [ アん ' ファん ] 「子ども」
↓
fanfan [ fɑ̃ 'fɑ̃ ] [ ファん ' ファん ]
enfant の愛称形、「小さな子ども」 (petit enfant)。とくに 「坊や」 (petit garçon)
〓この単語は、現代フランス語では俗語扱いで、通常の辞典には載っていません。しかし、 fanfan は中世フランス語から存在する由緒あるコトバです。
〓そして、 la Tulipe 「ラ・チュリップ」 というのは、 Fanfan と同格に置かれた 「意味を規定する語」 です。難しい言い方ですが、英語の次のような句で考えてみやしょう。
John the Baptist 「洗礼者ヨハネ」
Billy the Kid 「ビリー・ザ・キッド」
Winnie the Pooh 「ウィニー・ザ・プー」 “クマのプーさん”
Rudolph the Red-Nosed Reindeer 「赤鼻のトナカイ、ルドルフ」 “赤鼻のトナカイ”
Jack the Ripper 「ジャック・ザ・リッパー」 “切り裂きジャック”
〓 la Tulipe というのは、これらの句の "the Baptist", "the Kid", "the Pooh", "the Red-Nosed Reindeer", "the Ripper" などと同じ用法です。固有名詞のあとに、それが普通名詞で言うとナンなのか、を説明しているんですね。
〓 “Winnie the Pooh” (ミルンの表記は Winnie-the-Pooh) は 「クマのプーさん」 という便宜的な訳をされていますが、原義のニュアンスは、
Winnie the Pooh 「ウィニーという名前のプー (プーグマ Pooh Bear) という生き物」
です。つまり、 Pooh (Bear) は類概念で、ホントウの名前が Winnie。
〓こうした言い方と同類のものとしては、 “Alexander the Great” のタイプがあります。 “the Great” は Alexander と同格に置かれた 「名詞化された形容詞」 ですね。つまり、「偉大なる者、アレキサンダー」 となります。
〓 “the Great Alexander” の倒置ではないか、と思われるヒトは、
William the Conqueror 「ウィリアム征服王」
という言い方もあるのを思い出してチャブダイ。倒置じゃないっすね。
〓これは多くの言語で同様の表現が見られます。フランス語でもこのとおり。
Jean le Baptiste [ ジャんるバ ' チスト ] 「洗礼者ヨハネ」
Pierrot le fou [ ピエほる ' フゥ ] 「気狂いピエロ」
Collonges-la-Rouge [ コろんジュら ' ふージュ ] 「コロンジュ・ラ・ルージュ」
〓 «Pierrot le fou» というのはジャン=リュック・ゴダール Jean-Luc Godard の映画のタイトルであり、ジャン=ポール・ベルモンドが演じる主役のアダ名です。主人公の名前は “フェルディナン” Ferdinand なんですが、アンナ・カリーナ演じるマリアンヌ Marianne は、なぜか、“ピエロー” という由来不明のアダ名で呼ぶんですね。
〓 Pierrot [ pjɛ'ʁo ] [ ピエ ' ほ- ] 「ピエロ」 と言うのは、 Pierre [ 'pjɛ:ʁ ] [ ピ ' エーふ ] 「ピエール」 (英語の Peter) の “指小形”、つまり、「ちっちゃなピエール」 という意味です。フランス語では、その 「ピエロ」 が “道化師” の意味に転用されました。
〓また、 fou [ 'fu ] [ ' フゥ ] は、「気が狂った」 という形容詞であるとともに、名詞化すると、「狂人」、「道化師」 の意味になります。つまり、「ピエロ・ル・フゥ」 という句は、
Pierrot le fou 「狂人のピエールちゃん」、「道化のピエールちゃん」、「道化の道化師」
など、重層的な意味を持つんですね。そこがこのタイトルのオモシロイところです。
〓邦題の 「気狂いピエロ」 という訳は、これを the mad Pierrot と誤って解釈してしまっているんです。“気狂いピエロ” を仏訳するなら、
Le Pierrot fou
となりましょう。 Pierrot le fou と語順がちがいましょう?
〓固有名詞に形容詞が付く場合、それが一時的な状態でなく、恒常的な評価であれば、英語でもフランス語でも定冠詞をともないます。フランス語の場合は、形容詞によって、名詞の前に行ったり、後ろに行ったりします。
le grand Corneille / le grand Molière 「大コルネイユ (ピエール)、大モリエール」
la célèbre Marie-Antoinette 「かの有名なマリー=アントワネット」
cf. un Michael Jackson à la peau blanche comme neige 「肌が雪のように白いマイケル・ジャクソン」
〓また、フランス語は、「定冠詞+形容詞+固有名詞」 という表現はあまり好まれない (生産性がない) ようで、英語とフランス語で次のようなちがいがあります。
【 華麗なるギャッツビー 】
“The Great Gatsby” <英> ←→ «Gatsby le Magnifique» <仏>
【 疑り深いトマス 】
“the doubting Thomas” <英> ←→ «Thomas l'Incrédule» <仏> [ ト ' マ らんクレ ' デュる ]
〓 Collonges-la-Rouge 「コロンジュ・ラ・ルージュ」 というのは、「フランス屈指の美しい村々」 «Les Plus Beaux Villages de France» の1つに選ばれている村の名前です。南仏のリムーザン地方 Limousin にあり、村のすべての建物が “赤い砂岩” で建てられているため、村全体が赤褐色をしているんです。なので、
Collonges la rouge 「赤い村、コロンジュ」
と呼ばれるわけです。ハイフンが入るのは地名として1語にまとめるためです。
〓 Collonges は -s に終わりますが、フランス語の地名としては複数名詞として扱いません。 la rouge が付いていることでわかるように、単数女性名詞扱いです。おそらく、類概念が la commune [ らコ ' ミュンヌ ] 「コミューン」 (市町村) だからでしょう。
〓フランスの地名に多く見られる Collonge 「コロンジュ」 というのは、ラテン語の colōnica [ コ ' ろーニカ ] の変化したもので、「入植者に貸し出された農地」 を言い、それが現代の地名に残っているわけです。フランス語の辞典をひいても載っていません。
〓「コロンジュ・ラ・ルージュ」 の場合、現地のリムーザンの方言では、単に Colonjas 「コロンジャス」 と言います。「貸し付け入植地」 の複数形です。おそらく、複数の入植地があったんでしょう。この地方のコトバでは、今でも複数の -s を発音します。
〓フランス語綴りの Collonges は、それを踏襲したものですが、単数扱いにされてしまったんですね。
〓というわけで、 “Fanfan la Tulipe” というのは、
「チューリップの坊や」
というようなニュアンスなんでしょう。じゃあ、「チューリップ」 ってナンでしょ?
〓映画の主人公 「ファンファン」 は、フランス軍に志願しようと軍の宿舎に向かう途中で、盗賊に襲われた馬車を助けるのですが、これがポンパドゥール公爵夫人の馬車でした。彼は夫人から、お礼として、
「チューリップのブローチ」
をもらうのです。
〓かくして、「チューリップ坊や」 の誕生です。
『花咲ける騎士道』。 左がジェラール・フィリップ。 右がジュヌヴィエーヴ・パージュ扮するポンパドゥール夫人
これが “ファンファン・ラ・チュリップ” の語源となったチューリップのブローチ。
〓『花咲ける騎士道』 の映画監督 クリスチアン=ジャック Christian-Jaque は、この映画の11年後、アラン・ドロンを主役に立てて、
『黒いチューリップ』 « La Tulipe noire » (1963)
という映画を撮っています。こちらは、“黒いチューリップ” というアダ名の義賊でした。
〓東宝ニューフェースの合格が、ジェラール・フィリップの来日と重なった岡田眞澄さんは、その端正な西欧風の顔立ちから、和製ジェラール・フィリップということで、「ファンファン」 という愛称で呼ばれることになりました。
〓フランスでは、『花咲ける騎士道』 は日本よりも1年早く公開されていました。なので、日本では、
当時、ジェラール・フィリップは、 «Fanfan la Tulipe» という役名から、
Fanfan 「ファンファン」 (坊や) という愛称をファンから賜っていた
と言われているんですが、フランスのネット情報を見るかぎり、フランスで、ジェラール・フィリップを Fanfan という名で呼んでいる例は見られません。というか、フランス語では、「坊や」 という意味のコトバでしかありませんし…… 「ファンファン」 という愛称は日本独自のものではないか、と思うんですが。
〓岡田眞澄さんは、お年を召してからは、ジェラール・フィリップというより、スターリンにそっくりになられて、芝居でスターリンの役もしていました。
〓かつての 「ファンファン」 という愛称もあまり聞かれなくなっていたのですが、1988年 (昭和63年) からの 「とんねるずのみなさんのおかげです」 の番組内コーナー 「仮面ノリダー」 で、敵役の
ファンファン大佐
を演じたことから、ふたたび、「ファンファン」 と呼ばれるようになったんですね。
〓ダウンタウンDXにゲスト出演すると、浜ちゃんが、岡田眞澄さんを 「ファンファン、ファンファン」 と呼んでいたのを思い出します。
〓アッシじしん、岡田眞澄さんを初めて知ったのは、何によってだろうと考えてみると、子ども向けの特撮TVドラマ 『マグマ大使』 だったようです。ガムやマグマ大使を呼ぶ笛を持っているマモル少年 (江木俊夫) の父親が岡田眞澄さんでした。そういえば、『マグマ大使』 にはイーデス・ハンソン Edith Hanson さんも出てました。
〓最後に拝見していた岡田眞澄さんの姿は 「サルヂエ」 の “サルさん” でしたね。