〓昨夜、雨の中、キンモクセイが香ってきました。この花は、なぜか、雨の中でもよく香りますね。
〓キンモクセイ。何とも言えない高貴な香りです。それに花がかわいらしい。雨の日は、路面にダイダイ色の星をちりばめたようです。ミカン色の小さな十字架がいっぱい。
〓昔から気になってたんですが、何で 「金木犀」 (きんもくせい) には、サイが入っているんでしょう。「犀」 ですよ 「サイ」。
Rhinoceros ライノサラスです。
〓銀木犀 (ぎんもくせい) という木もありますね。
【 中国語でも 「犀」 が出てくる 】
〓あとで詳述しますが、中国で 「金木犀」、「銀木犀」 というコトバが使われることは稀 (まれ) です。しかし、「金」、「銀」 のついていない、
木犀 mùxī [ ムーシー ]
木樨 mùxī [ ムーシー ]
というコトバはよく使われます。 「木犀」 (ムーシー) は、モクセイ属の樹木の総称で、中国では、日本とちがって、
(1) 黄色い花 (ウスギモクセイ)
(2) 白い花 (ギンモクセイ)
(3) 橙色の花 (キンモクセイ)
の順にポピュラーらしいのです。つまり、中国では、「木犀」 と言ったら、まず、「ウスギモクセイ」 なのです。
〓日本では、順序がまるっきり逆で、
(1) キンモクセイ (2) ギンモクセイ (3) ウスギモクセイ
の順に多く見かけます。
〓中国では、チャーハンとか、玉子スープに見られるように、料理に混ぜ込んで、細かくなった黄色い玉子のことを、
木樨 (木犀) mùxī [ ムーシー ]
「木樨肉」 という名の一品。
と 「ウスギモクセイ」 にたとえます。風流な見立てですね。中国では、それだけ、「モクセイ」 と言えば、「ウスギモクセイ」 のことなんです。
【 ウスギモクセイ 】 [ 薄黄木犀 ]
Osmanthus fragrans var. thunbergii
[ オス ' マンとぅス フ ' ラーグラーンス ワ ' リエタース とぅン ' ベルギイ ]
〓 Osmanthus 「オスマントゥス」 という属名は、日本語では 「モクセイ属」 と訳します。ギリシャ語による造語で、18世紀のポルトガルのイエズス会の宣教師 ジョアン・デ・ロウレイロ João de Loureiro が命名しました。よっぽど 「いい香りがする花だ」 と思ったんでしょう。こんな造語です。
ὀσμ- osm- ← ὀσμή osmē [ オスメ ' エ ] 「匂い、香り」。ギリシャ語
+
ἄνθος anthos [ ' アンとス ] 「花」。ギリシャ語
↓
ὀσμάνθος osmanthos [ オス ' マンとス ] 「香りの花」
↓ ※ラテン語化
↓
osmanthus [ オス ' マンとぅス ]
〓ロウレイロは、モクセイの種小名 (しゅしょうめい) まで
frāgrāns [ フ ' ラーグラーンス ] 「馥郁 (ふくいく) と香る」。ラテン語
としました。「オスマントゥス・フラーグラーンス」 という学名は、「キンモクセイ」、「ギンモクセイ」、「ウスギモクセイ」 に共通の学名で、この3つは、
同じ種のなかの “変種” = varietas [ ワ ' リエタース ] ラテン語
として扱われます。
〓 var. thunbergii 「ワリエタース・トゥンベルギイ」 というのは、「テュンベリーの変種」 という意味で、スウェーデンの植物学者 Carl Thunberg 「カール・テュンベリー」 の名を冠したものです。「トゥンベルギイ」 thunbergii というのは、「テュンベリー」 Thunberg をラテン語化した単語の属格 (所有格) です。
〓残りの2種、「キンモクセイ」 と 「ギンモクセイ」 は、次のような学名で呼ばれます。
【 キンモクセイ 】 [ 金木犀 ]
Osmanthus fragrans var. aurantiacus
[ ~ ワ ' リエタース アウラン ' ティアクス ]
【 ギンモクセイ 】 [ 銀木犀 ]
Osmanthus fragrans var. latifolius
[ ~ ワ ' リエタース らーティ ' フォりウス ]
〓「キンモクセイ」 の変種名 aurantiacus は、次のような意味です。
aurum [ ' アウルム ] 「黄金」。ラテン語
↓
auranti- ← aurantium [ アウ ' ランティウム ] (果実の) 「ダイダイ」。ラテン語
+
-acus 「~の性質を持つ」 形容詞語尾
↓
aurantiacus [ アウラン ' ティアクス ] 「ダイダイのような」。学術ラテン語
〓「キンモクセイ」 は、まさに 「橙のよう」 ですね。
〓「ギンモクセイ」 の変種名 latifolius は、「広葉樹」 というときの 「広葉の」 という形容詞です。
lāt- ← lātus [ ' らートゥス ] 「幅広い」。ラテン語
+
-i- ラテン語の造語用の接合母音
+
foli- ← folium [ ' フォりウム ] 「葉」。ラテン語
+
-us 形容詞語尾
↓
latifolius [ らーティ ' フォりウス ] 「広葉の」。学術ラテン語
〓中国語では、「金木犀」、「銀木犀」 という言い方は 「稀」 (まれ) だと書きましたが、では、中国語ではどう言うのかというと、
【 金木犀 キンモクセイ 】
→ 丹桂 dānguì [ タンクイ ]
【 銀木犀 ギンモクセイ 】
→ 銀桂 yínguì [ インクイ ]
【 薄黄木犀 ウスギモクセイ 】
→ 金桂 jīnguì [ チンクイ ]
〓おもしろいですね。「ギンモクセイ」 と 「銀桂」 (インクイ) は、花は白であるにもかかわらず、名前は日中とも 「銀」 で共通しています。
〓しかし、
日本で 「キンモクセイ」 と言っているものを、
中国では 「丹桂」 (タンクイ)、つまり、「朱色」 のモクセイ
だと言うのです。
〓そして、
日本で 「ウスギモクセイ」、つまり 「薄黄色」 だと言っているものを、
中国では 「金桂」 (チンクイ)、つまり、「金色」 のモクセイ
だと言っています。
〓色の感覚がちがうのか、それとも、ヒトは身近なものほど 「金」 だと誉め称える習性があるのか。
〓これら3種のモクセイをひっくるめて、中国語では、
桂花 guìhuā [ クイフヮー ] = モクセイ
と言います。あれ、「桂」 は 「カツラ」 じゃないか? と思うでしょ。そうなんです。そこです。
「桂」 の字を 「カツラ」 に当ててきたのは、日本と朝鮮における誤用
なんです。
〓中国では、
「桂」 guì [ クイ ] = モクセイ、肉桂 (にっけい)
を指します。中国語では、「カツラの木」 は、
連香樹 liánxiāngshù [ りエンシアンしゅー ] = 「しきりに香る木」
と呼びます。
〓日本人にも人気のある中国の観光地に 「桂林」 Guìlín [ クイりン ] がありますが、これは 「桂林」 の町に 「モクセイ」 が多いことから付けられた名前だといいます。
〓さて、「カンジンのサイはどうなったのだ?」 と、アアタ、思ってるでしょ。
〓まあ、あわてない、あわてない、ひとやすみ、ひとやすみ……
【 2通りの意味があった 「桂」 】
〓中国では、古く、「桂」 という漢字1文字で 「モクセイ」、「ニッケイ」 のどちらかを指しました。古籍で 「桂」 がどちらを指すのかは、文意によってある程度判別できるようです。
〓これは、モクセイの仲間とニッケイの仲間とで、花と葉がよく似ており、どちらも 「桂 = 香りのよい木」 という概念であったための混乱であるらしい。
〓「肉桂」 (にっけい) というのは、日本語では 「ニッキ」 とも訛って呼ばれます。昔の 「サクマの缶入りドロップ」 には、“ニッキ味” というのが混ざっていて、子どもにとっては往生のタネでした。その “ニッキ” です。今では、むしろ 「シナモン」 という言い方をすることのほうが多いです。
〓「肉桂」 の学名は次のとおりです。
【 肉桂 ニッケイ 】
和名 = シナニッケイ
学名 = Cinnamomum cassia
[ キンナ ' モームム ' カッスィア ]
[意味] ニッケイ (桂皮) にして、シナモン。
← κιννάμωμον kinnamōmon
[ キン ' ナモーモン ] 「シナモン」。ギリシャ語
← κασία, κασσία kasia, kassia
[ カ ' スィア、 カッ ' スィア ] 「ニッケイ」。ギリシャ語
〓すごい単語ですね。「キンナモームム」。言えますか? どちらの単語もギリシャ語が起源ですが、それ以前の語源は未詳です。ヘブライ語には、それぞれ同源と思われる単語があり、その起源がギリシャより東方にあることを示唆しています。
קינמון
kinamon [ キナ ' モン ] ([ ' キナモン ]) 「シナモン」。現代ヘブライ語
קִנָּמוֹן
qinnāmōn [ くィンナー ' モーン ] 「シナモン」。古代ヘブライ語
קְצִיעָה
qͤtsī‘āh [ くェツィー ' ァアーふ ] 「ニッケイ」。古代ヘブライ語
〓Cinnamomum cassia という学名は 「中国のニッケイ」 (英名 cassia) の学名です。いっぽう、日本語で 「シナモン」 と呼ばれるのは、「セイロン肉桂」 (英名 cinnamon) のことで、学名は次のとおりです。
【 セイロン肉桂 】
和名 = セイロンニッケイ
学名 = Cinnamomum verum
[ キンナ ' モームム ' ウェールム ]
[意味] 真実のシナモン
※日本語版 Wikipedia では、「シナモン」 の項で、学名を Cinnamomum zeylanicum
[ ~ ゼイ ' らニクム ] で、 C. verum を “シノニム” (同義の学名) としていますが、
これは逆ですね。 C. verum が有効な学名で、 C. zeylanicum がシノニムです。
Zeylan 「ゼイラン」 というのは、スリランカのオランダ領時代のオランダ語名です。
それに、ラテン語の形容詞語尾 -icus を付けたもの。 -icum は中性形。
〓以上の学名よりわかるとおり、「ニッケイ」 というのは、Cinnamomum 「クスノキ属」 なのです。ですから、Osmanthus 「モクセイ属」 とは縁もユカリもない。
【 モクセイ 】
ゴマノハグサ目 モクセイ科 モクセイ属
【 ニッケイ 】
クスノキ目 クスノキ科 クスノキ属
〓それでも、香りのよいところ、花や葉の形が似ているところから、両者が混同されたのでしょう。
〓ところで、古い時代の中国語ほど、
1文字=1単語
という傾向が強くなります。
〓時代が降るにつれ、「一文字、一概念」 という単語が減ってきます。中国語の語彙が増えるいっぽうで、発音が単純化し ── 「音節末の閉鎖子音」 (入声)、「音節頭の子音群」 などが失われ ──、同音異義語がふえたからです。
〓これに対処するために、中国語では、多くの語彙が 「1文字から2文字、3文字」 への変化を余儀なくされました。たとえば、
竹 → 桂竹 guìzhú [ クイチュー ]
杉 → 杉樹 shānshù [ しゃンしゅー ]
というぐあいです。日本語では、中国語の古い単語を残しているので、「竹=たけ」、「杉=すぎ」 となっているわけです。
〓「モクセイ」、「ニッケイ」 を意味していた 「桂」 は、2文字化するにあたって、2つの語義が、2つの表記に分裂しました。
桂 → 桂花 guìhuā [ クイフヮー ] モクセイ
桂 → 肉桂 ròuguì [ ロウクイ ] ニッケイ
【 「金木犀」 には、なぜ、「犀」 が入っているのか? 】
〓ここらで、最初の疑問に戻りましょう。「なぜ、キンモクセイには “犀” が入っているのか?」 とりあえず、「犀」 という文字の意味を調べてみます。
【 犀 】 xī [ シー ]
(1) (動物の) サイ。
(2) 固くて鋭い。
(3) サイの角。
〓ははあ、(2) の語義かな。「固くて鋭い」。読書好きなヒトなら、こんな日本語を目にしたことはないでしょうか。
犀利な刃物 (さいりなはもの)
〓そうです。「鋭利な刃物」 と同義ですね。おそらく 「サイの角」 の 「固くて尖っている」 ようすから来ているのでしょう。しかし、何が 「固くて尖っているのか」?
枝? 葉?
〓モクセイは常緑樹です。葉がすっかり落ちてしまうことがない。むしろ、「固くて尖っている」 のは葉かもしれない。しかし、どうも納得がいかない。
〓日本のネットで調べても、このヘンで堂々めぐりをしているようです。図鑑のたぐいにも記述が見当たらない。ならば、中国人に訊いてみましょう。
『成語植物圖鑑』 貓頭鷹出版社(台湾) 2002
という図鑑の 「桂花」 (モクセイ) のページを見ますと、
――――――――――――――――――――
天然的桂花樹多叢生於巌嶺之間,因此又名為巌桂,
木材 「紋理如犀」,又名木樨。
野生のモクセイの木は、多く、険しい山の峰々に群生し、
そのゆえに別名を 「巌桂」 という。
木材は 「紋理、サイの如く」、別名を 「木樨」 という。
――――――――――――――――――――
とあります。ついでに、 Yahoo! China で “桂花 紋理如犀” を検索しますと 278件もヒットします。
〓「紋理」 wénlĭ [ ウェンりー ] というのは、ちょうど英語の texture にあたるコトバです。“手触り、風合い、キメ” などを意味します。「布の肌理 (きめ)、風合い」、「大理石の手触り」 など、「触った感じ、見た感じ」 を言います。
〓木の場合は、どうやら、
(1) 製材された木材の木目、風合い。
(2) 樹皮の手触り、風合い。
の2通りの意味があるようです。中国のネット情報では、
――――――――――――――――――――
因其材質致密,紋理如犀而称 “木犀”
その材質は緻密にして、「紋理はサイの如く」、
そのゆえに “木犀” と称す。
――――――――――――――――――――
という記述が多く見られます。
〓以上のことから結論をまとめてみますに、どうやら、
モクセイ科の木は、樹皮が “サイ” のようである
ということらしい。
キンモクセイの樹皮 サイの皮膚
〓これが、「金木犀」 に “犀” が入っている理由だったのです。これだけの結論を出すのに、大いに遠回りをしました。近所のキンモクセイの木の肌に触れて、納得してみてください。