〓ニュルンベルク動物園のシロクマの赤ちゃんの名前が、
Flocke [ ' f l ɔ k ə ] [ フ ' ろケ ] 「フロッケ」
に決まったそうです。由来はどうやら、
die Schneeflocke [ '∫n e : f l ɔ k ə ]
[ シュ ' ネーフろケ ] 「ひとひらの雪」
であるようです。あんがい、日本人の気づかないことですが、この Flocke という単語が、
女性名詞
であることも忘れてはいけないでしょう。メスの赤ちゃんなんですね。Knut 「クヌート」=「結び目、コブ、フシ」 は、knútr [ ク ' ヌートル ] という古代デンマーク語の 「男性名詞」 でした。「男性名詞」 だから “男の子の名前” に成り得たのであり、だからこそ、現代でも Knut 「クヌート」 は “男の子の名前” なんです。
〓言語が 「文法性」 を持つというのは、そういうことです。ネイティヴは、単語を思い浮かべるとともに、その単語が、アタマの中で、
「男性/女性/中性」
のいずれかに 「見えている」 わけです。
〓ドイツ語では 「シロクマ」 を、
der Eisbär [ ' アイスベーァ ] 「シロクマ」。ドイツ語
と言います。英語に置き換えると、
ice bear
です。英語では polar bear 「北極グマ」 と呼び、ネイティヴが ice bear とは、普通、言いません。
ijsbeer [ ' エイスベール ] オランダ語
ijs 「氷」 + beer 「クマ」
jegesmedve [ ' イェゲシュメドヴェ ] ハンガリー語
jég 「氷」 + medve 「クマ」
medvěd lední [ ' メドヴィェト ' レドニー ] チェコ語
lední 「氷の」 + medvěd 「クマ」
cf. белый медведь bjelyj mjedjed'
[ ' ビェーるイ ミェド ' ヴィェーチ ] 「白いクマ」 ロシア語
isbjørn [ エスビェドン ] デンマーク語
is 「氷」 + bjørn 「クマ」
jääkaru [ ' ヤーカルゥ ] エストニア語
jää 「氷」 + karu 「クマ」
jääkarhu [ ' ヤーカルフゥ ] フィンランド語
jää 「氷」 + karhu 「クマ」
ísbjörn [ イースビェルドン ] アイスランド語
ís 「氷」 + björn 「クマ」
isbjørn ノルウェー語
is 「氷」 + bjørn 「クマ」
isbjörn スウェーデン語
is 「氷」 + björn 「クマ」
〓以上が、「シロクマ」 を 「氷グマ」 という地域です。ドイツ=オランダ=北欧のゲルマン語域、および、その影響下のフィンランド、エストニア。また、ドイツ語圏であったチェコ、ハンガリーが含まれています。
〓この地域の人が、英語を使った場合、「シロクマ」 を ice bear と言う可能性は十分にありますね。
〓「フロッケ」 の名前募集に応じて、世界中から E-mail、ハガキで 50,000通の応募があったそうで、動物園が Flocke 以外にあげている例では、
Franke 「フランケ」
Frank 「フランク」 の女性形。ドイツ語
Stella 「ステラ」
ラテン語で 「星」
Knutschi 「クヌーチ」
Knut の指小形か。
Sissi 「ズィスィ」
英語女子名 Francis 「フランシス」 の愛称。「シシー」。
ドイツ語では、「ズィスィー」 となってしまう。
Yuki Chan 「ユキチャン」
日本からの応募ですね
〓「フロッケ」 の愛称形は、
Flöckchen [ フ ' れクヒェン ] 「フレックヒェン」、「フロッケちゃん」
で、「ふわふわして、ごく小さなもの」 の意味のドイツ語になります。Eisbär との and で Google を検索してみると、ドイツ語圏で 1,760件使用されています。
〓ドイツ語の -chen 「ヒェン」 は “指小辞” で、
Mädchen [ ' メートヒェン ] 少女
← Magd [ ' マークト ] 「乙女」
Märchen [ ' メールヒェン ] 民話、童話、おとぎ話
← Mär [ ' メーァ ] 「おもしろい話、うわさ」
といったぐあいに派生語をつくります。日本では、「メルヘン」 と言いますが、正しくは 「メルヒェン」 ですね。 [ t ] のあとに -chen が付くと、「チェン」 に近い音になります。
〓昔の日本の学生コトバで、“若い女の子” のことを 「メッチェン」 と呼ぶものがありました。もちろん、ドイツ語クズレなんですが、意外にも 「メッチェン」 という語形の初出は 1946年、すなわち、昭和21年です。戦後なんですね……
〓この -chen 「ヒェン」 という指小辞、もとは、-ken という語形でした。みなさんごぞんじの 「小便小僧」、あれは、ベルギーの発祥です。ベルギーのオランダ語、すなわち、フラマン語では、「小便小僧」 を、
Manneken Pis [ ' マナカン ' ピス ]
と言いますが、これは、
man 「男」 + -ken “指小辞”
で 「小さい人」 です。pis 「ピス」 は、英語の piss でわかるとおり 「オシッコ」 ですね。ベルギーのオランダ語はフランス語の影響を受けていて、後ろの名詞が前の名詞を修飾する語法があります。なので、「オシッコの小さい人」 です。
〓この -ken が、西ゲルマン語本来の指小辞です。ドイツ語は、k が硬口蓋化を起こして [ ç ] に変じたんですね。オランダ語では、-kijn [ - k ə n ] となり、英語では、-kin となります。
〓オランダ語、ドイツ語では、強い造語力がありますが、英語では、最初から造語力がなく、現代語に残っているのは、
lambkin [ ' らムキン ] 小さい子羊
くらいです。
〓ドイツ語の場合は、-chen が付くと、語幹の母音が、通常、ウムラウトを起こします。ですから、
Flocke → Flöckchen
なんですね。
Väterchen [ ' フェータァヒェン ] おとうちゃん
← Vater [ ' ファータァ ] 「父」
Häuschen [ ' ホイスヒェン ] 小さい家
← Haus [ ' ハウス ] 「家」
Kärlchen [ ' ケルるヒェン ] カルラちゃん
← Karla [ ' カルら ] 「カルラ」 (女子名)
Höschen [ ' ヘースヒェン ] パンティー
← Hose [ ' ホーゼ ] 「ズボン」
などとなります。
〓ウムラウトを起こすのは、
-chen の e が、本来、「前舌・半狭」 ―― 調音点が口の前のほうで、かつ上のほう ―― であったため、後舌の母音 u, o や、広母音 a の調音点が、「前方」 や 「上方」 に引っぱられて e の音色を帯びた母音に変化するためです。
〓実は、英語にも同じ現象が起こっていて、
foot → feet
mouse → mice
という単複の変則的ペアは、ウムラウトが起こったあとに、さらに大母音推移が起こったために生じたものです。たび重なる地殻変動をこうむった地層のように、現在見えている語形だけでは、何が起こったのか、なかなか、推測するのがむずかしくなっているんですね。
〓ところでですね、ドイツ語の Flocke というのは、英語の flake 「フレイク」 に当たります。ゲルマン祖語では、「白くて軽くフワフワしたもの」、
「鳥の産毛」、「雪のひとひら」
などを指していたようで、現代ゲルマン諸語には、似たような意味で残ります。ドイツ語の Schneeflocke に対応して、英語でも、
snowflake [ ス ' ノウフ , れイク ] 雪のひとひら
と言いますね。flake は、なにも、「コーンフレーク」 や 「鮭のフレーク」 だけじゃないんですよ……
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インターネットには、自分のペットの写真をアップしているヒトがたくさんいます。そこでですね、Flocke で画像検索をしてみると、ドイツ語圏では、どんな動物が Flocke と呼ばれるものなのかわかります。
白いネコ、白いイヌ、白いウサギ、白い馬
などが Flocke と呼ばれています。
イヌの Flocke