〓ええ、これは先週の 「雑学王」 から。
「“バリウム” のもともとの意味は?」
── 答え、「重い」
〓“バリウム” を発見したのは、英国の化学者
ハンフリー・デイヴィー Sir Humphry Davy
1778年 (コーンウォル、ペンザンス)~1829年 (スイス、ジュネーヴ)
です。彼は、化学史上、もっとも多くの元素を発見した化学者で、
1807年 カリウム
1807年 ナトリウム
1808年 マグネシウム
1808年 カルシウム
1808年 ストロンチウム
1808年 バリウム
の6つを発見しています。1808年に発見した4つの元素は、周期表の第2族元素に属する6つの元素のうちの4つにものぼります。
〓同族のベリリウムは、1797年に、フランスの化学者 ルイ=ニコラ・ヴォークラン Louis-Nicolas Vauquelin によって、すでに発見されていました。
〓また、ラジウムの発見は、まだ、90年を待たねばなりませんでした。みなさん、ご存じの 「ピエール・キュリー」、「マリー・キュリー」 Pierre & Marie Curie のキュリー夫妻が発見したんですね。
〓なぜに、デイヴィーが、第2族元素ばかり発見したか、というと、そのころ 「アルカリ土」 (あるかりど) の電気分解が、彼の中で流行っていたらしいんです。
アルカリ土 alkaline earth [ ' アるカ ˌ らイン ' アーす ]
〓d“earth” は 「地球」 のことじゃないの? という疑問はごもっともです。しかし、古英語では、これは 「大地」 という意味でした。その後、「世界」、「土壌」 などの意味が加わり、天体としての 「地球」 に earth を当てたのは、13世紀末のことです。
〓初期の化学者は、また、d“earth” 「土」 というコトバで、
酸化アルミニウム (アルミナ) など、 還元が
困難な酸化物を指し、これを “元素” だと考えていた
のでした。
〓そののち、d“earth” は周期表の第3族元素を指すコトバに転用されました。つまり、
スカンジウム、イットリウム、ランタン、アクチニウム
がd
“earths” 「土類」 (どるい) です。
〓また、スカンジウム、イットリウムに、ランタンを含む 「ランタノイド」 15元素を加えた 17元素を 「希土類」 (きどるい) rare earths と言います。これらは、金・銀などの貴金属にくらべて、地殻に含まれる割合は多いにもかかわらず、単独の元素として分離するのが困難なため rare 「珍しい」 と表現されます。
〓「アルカリ土」 alkaline earth というのは、天然水や乾燥した土壌に見つかる、水に溶ける 「鉱塩」 のことを言いました。それらは、
ベリリア (酸化ベリリウム) beryllia
マグネシア (酸化マグネシウム) magnesia
石灰 (酸化カルシウム) lime
ストロンチア (酸化ストロンチウム) strontia
バリタ (酸化バリウム) baryta
です。つまり、“アルカリである酸化物” ということのようです。
〓そこから、第2族元素を総称して d“alkaline earths” 「アルカリ土類」 と呼びました。もちろん、周期律が発見され、周期表が提唱されるのは、これらのコトバがつくられた、ずっとのちのことです。
〓現在では、 「アルカリ土類金属」 “alkaline earth metals” と呼び名が変わっています。
〓フシギなことに、日本では、「アルカリ土類金属」 から、
ベリリウムとマグネシウムをはずすことになっている
そうです。ナニがフシギかというと、英語圏では、この2つの元素は 「アルカリ土類金属」 からはずされていないからです。それどころか、フランス語圏、ドイツ語圏でもはずされていません。なぜ、日本だけ、「アルカリ土類金属」 からベリリウムとマグネシウムをはずしているんでしょうかね。
〓デイヴィーは、バリウムの比重が、他のアルカリ土類に比べて、きわめて重いことに注目しました。
ベリリウム 1.85
マグネシウム 1.74
カルシウム 1.55
ストロンチウム 2.63
バリウム 3.50
〓とりわけ、バリウムの化合物は比重が重いのが特徴です。バリウムの原料となる鉱物 「重晶石」 (じゅうしょうせき) は硫酸バリウムが結晶したもので、
比重は 4.5
です。水の 4.5倍の重さということです。鉛が 11.34ですから、その半分弱ですね。
〓みなさんオナジミのX線造影剤の “バリウム” は、この
硫酸バリウム
です。そうです。水の 4.5倍です。
胃液・腸液に溶解しない。
消化管から吸収されない。
毒性がない。
X線をよく吸収する。
という特徴から、“硫酸バリウム” が使われるんだそうです。
〓ギリシャ語で、「重さ、重荷」 という名詞を
βαρός barós [ バ ' ロス ] 古典ギリシャ語
と言います。英語の weight, burden にあたる、ごく普通の形容詞です。語根は βαρ- bar- ですね。
〓これに、「塩 (えん) をつくり得る金属・非金属」 をあらわす学術ラテン語の接尾辞 -ium を付けたのが、
barium [ ' バリウム ] 「近代ラテン語」 (学術ラテン語)
です。
〓実は、この -ium という接尾辞を使い始めたのも、ハンフリー・デイヴィーでした。
〓最初は、1807年の
Potassium [ ポ ' タッスィウム ] 「カリウム」。近代ラテン語
potash [ ' ポタッシュ ] <英語> 灰汁 (あく) + -ium
Sodium [ ' ソディウム ] 「ナトリウム」。近代ラテン語
soda [ ' ソウダ ] <英語> (苛性)ソーダ + -ium
から始まりました。
〓現在、この2つの元素が、 K (Kalium), Na (Natrium) として知られているのには、ややこしい事情があるようです。デイヴィーの業績をドイツに紹介したのは、ドイツの物理学者・化学者のルートヴィヒ・ヴィルヘルム・ギルベルト Ludwig Wilhelm Gilbert でした。1809年に発表されたデイヴィーの論文の翻訳は、ギルベルトが手を加えており、
Potassium → Kalium
Sodium → Natronium
と書き換えられていました。これは、デイヴィーの命名法が英語を使っており、ドイツ式の命名法に即していなかったからでした。
〓1813年、スウェーデンの化学者 イェンス・ヤーコブ・ベルゼリウス Jöns Jakob Berzelius が、独自の 「元素記号」 のシステムを発表します。
元素のラテン語名から1文字ないし2文字を抜き出して略表記にする
という、現在の表記法です。
〓当初、ベルゼリウスは、デイヴィーに従って、カリウムを Po、ナトリウムを So と表記していましたが、1年と経たないうちに、
K Kalium
Na Natrium
という表記法に転換しました。そのため、現在の元素記号になっていますが、英語では、デイヴィーの元素名をそのまま使っています。おそらく、英語圏のヒトたちは、「 Potassium が、ナンで K なんだ?」、「 Sodium が Na はおかしいだろ!」 と言っているに違いないですね。
K
カリウム ── 日本語
Potassium [ パ ' タスィアム ] 英語
Kalium [ ' カーりオム ] ドイツ語
Potassium [ ポタスィ ' ヨンム ] フランス語
【 語源 】
القلى al-qilī [ アる くィ ' りー ] アラビア語
原義は 「塩性植物を焼いた灰」、「ソーダ灰」。
現代アラビア語では 「アルカリ、塩基、灰汁」。
※ال 「アル」 は、定冠詞 (英語の the) であり、 単語の一部ではない。
↓
Kali [ ' カーりー ] 「カリ岩塩」。ドイツ語
Na
ナトリウム ── 日本語
Sodium [ ' ソウディアム ] 英語
Natrium [ ' ナートリオム ] ドイツ語
Sodium [ ソディ ' ヨンム ] フランス語
【 語源 】
نطرون naṭrūn [ ナと ' ルーン ] アラビア語
ナトロン natron。カイロの北西に位置する塩湖
「ワーディー・ナトルーン」 で採れる “天然炭酸ソーダ”。
↓
Natron [ ' ナートロン ] ドイツ語
〓ま、そんなワケで、 potassium と sodium は元素名から消えてしまったんですけど、
-ium を元素名に使う、という慣例は残りました。
〓 -ium 「イウム」 というのは、本来、 -ius 「イウス」 という形容詞語尾の中性形です。ラテン語では、語根に -ius を付けると、その名詞の形容詞をつくることができました。
〓デイヴィーの命名になる 「カルシウム」 がちょうどよい例なので説明してみましょう。もとになった名詞は、ラテン語の 「石灰」 です。
calx [ ' カるクス ] 「石灰、石灰石」。古典ラテン語
〓ちょいと見ると、ダマされるんですが、この主格は、 calc- に主格の語尾である -s が付いてるんですね。
calc-s [ ' カるクス ]
なんですけど、ラテン語では、 -cs- と音が続いたら、これを -x- で綴るという約束になっているんです。ですから、「石灰」 を意味するのは calc- です。
〓余談ですが、このラテン語の calc- は、オランダ語で kalk、ドイツ語で Kalk となります。それを採り入れたのが、日本語の 「カルキ」 です。「この水はカルキ臭い」 と言うときの “カルキ” ですね。正確には、ドイツ語の
Chlorkalk [ ク ' ろールカるク ] さらし粉、漂白粉
から来ています。
〓ええ、もとい。 calc- に形容詞をつくる接尾辞 -ius を付けると 「石灰の」 という意味になります。
calcius [ ' カるキウス ] 男性形
calcia [ ' カるキア ] 女性形
calcium [ ' カるキウム ] 中性形
〓さらに、ラテン語は、形容詞を名詞として使うことができます。つまり、「石灰のもの」、「石灰からできるもの」、「石灰に関するもの」 などの意味で名詞化できます。その際に、デイヴィーが -ium という中性形を選んだのは、
ラテン語が金属名に中性を当てていた
ことに従ったのだろうと思います。
ferrum [ ' フェッルム ] 鉄
cuprum [ ' クプルム ] 銅
argentum [ アル ' ゲントゥム ] 銀
stannum [ ス ' タンヌム ] スズ
aurum [ ' アウルム ] 金
hydrargyrum [ ヒュド ' ラルギュルム ] 水銀
plumbum [ プ ' るンブム ] 鉛
arsenicum [ アル ' セニクム ] ヒ素
〓キレイに中性で揃っていますね。男性でもない、女性でもない、「生きていないもの」 と考えたんでしょう。
〓それゆえに、現代語では、元素の名前の多くが 「~イウム」 と言うんですね。
〓ウィキペディアでは、日本語版・英語版とも、「バリウム」 の語源を、
ギリシャ語の βαρύς barýs [ バ ' リュス ]
「重い」 という形容詞からの造語
としていますが、この説明はあまりよろしくありません。 βαρύς barýs 「バリュス」 は、語根 βαρ- bar- に、 -ευ- -eu- が付いて βαρ(ε)υ- bar(e)y- 「バリュ~/バレウ~」 という形容詞語幹を派生しているものです。
〓語源は、 βαρύς barýs 「重い」 ではなく、 βαρός barós 「重さ」 と言ったほうが素直でしょう。
〓もっとも、デイヴィーが 「バリウム」 の命名を行う以前に、スウェーデンの化学者 カール・ヴィルヘルム・シェーレ Karl Wilhelm Scheele が、1774年に、硫酸バリウムが結晶した鉱物 「重晶石」 (じゅうしょうせき) を発見して、
barytes [ ' バリュテース ] 「重晶石」。近代ラテン語
と名付けています。これは、
βαρύτης barytēs [ バ ' リュテース ] 「重み、重いこと」。ギリシャ語
という名詞を、そのままいただいたものです。英語では、
barytes [ バ ' ライティーズ ] 「重晶石」。英語
と言います。 barytes なんて綴りだと、「バライツ」 と読みたくなりますが、
ラテン語、ギリシャ語に由来する -es は [ -i:z ] と読みます。
〓デイヴィーが、「バリウム」 という命名を行ったのは、シェーレに対する敬意の表れとも言えますね。
〓昔から写真が好きで、暗室作業もしたことがあるヒトならご存じだと思いますが、
バライタ紙
という印画紙があります。今では、ほとんど使われないんでしょうが。これは、印画紙のもとになる紙に、白さを増すための硫酸バリウムを混ぜた感光乳剤を塗った、ひと昔前の印画紙です。
baryta [ バ ' ライタ ] 「酸化バリウム」。英語
baryta paper 「バライタ紙」。英語
〓この単語は、 barytes からの造語です。
〓またまたですね、声楽の音域を言い表すコトバに、
baritone [ ' バリ ˌ トウン ] 「バリトン」。英語
がありますね。これは、イタリア語の
baritono [ バ ' リートノ ] 「バリトン」。イタリア語
を借用したものです。
βαρύ-ς barys [ バ ' リュス ] 「重い」。ギリシャ語
+
τόνος tonos [ ' トノス ] 「声の調子」。ギリシャ語
↓
βαρύτονος barytonos [ バ ' リュトノス ] 「重い声の調子」。ギリシャ語
↓
barytonos [ バ ' リュトノス ] 後期ラテン語
〓ま、そんなこんなで、バリウムの語源は終わりです。次に、バリウムを飲むときは、
“バリ” は “バリトン” の “バリ” と思い出してみましょう
〓ナニカの足しになるだろうか……