〓先週の 「世界ふしぎ発見」 は、テーマが “トラキア” でした。ええ、なかなか面白うがした。ただ、言語的視点から指導を入れるなら、
「ヨーグルト」 の語源は、トラキア語で、
「固い」+「乳」 という造語である
という説明は 「トンデモ」 以外のナニモノでもありません。いったい、そんな説をどこで拾ってきたのかフシギでなりません。
〓「ヨーグルト」 そのものの起源となると、遊牧民族トラキア人が生み出したものかもしれませんが、少なくとも、「ヨーグルト」 というコトバに関するかぎりは、語源は明解です。
トルコ語起源
ですね。
〓「コーヒー」、「キヨスク」 など、オスマン帝国が繁栄した時代には、多くの文物とともにトルコ語彙が、主として隣接するイタリア語を経由して、ヨーロッパじゅうに広まっています。
yoğurt [ jo: 'uɾt ] [ ヨー ' ウルト ] トルコ語
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yoghurt, yogurt [ 'joʊɡɚt | 'jɒɡə:t ] [ ' ヨウガァト| ' ヤガート ] 英語
yaourt [ ja 'u:ʁ, ja 'uʁt ] [ ヤ ' ウーふ、ヤ ' ウふト ] フランス語
yoghurt, yogurt [ jɔ 'ɡu:ʁ, jɔ 'ɡuʁt ] [ ヨ ' グーふ、ヨ ' グふト ] フランス語。
yogurt, yoghurt [ 'jo:ɡurt ] [ ' ヨーグルト ] イタリア語
yogur [ jo 'ɡu:ɾ ] [ ヨ ' グール ] スペイン語
iogurte [ ヨ ' グルティ | ヨ ' グルチ ] ポルトガル語、ブラジル語
iaurt [ ヤ ' ウルト ] ルーマニア語
Jogurt, Joghurt [ 'jo:ɡʊʁt ] [ ' ヨーグルト ] ドイツ語
йогурт jogurt [ ' ヨーグルト ] ロシア語
јогурт, jogurt jògurt [ ' ヨグルト ] セルビア・クロアチア語
jogurt [ ' ヨグルト ] チェコ語
jogurt [ ' ヨーグルト ] ポーランド語
yoghurt [ ' ヨーグァット ] デンマーク語
yoghurt [ 'jɔ:χəʁt ] [ ' ヨーふふト ] オランダ語
jogurt [ ' ヨーグルット ] エストニア語
jogurtti [ ' ヨグルッティ ] フィンランド語
γιαούρτι yaurti [ ヤ ' ウルティ ] ギリシャ語
joghurt [ ' ヨーウルト ] ハンガリー語
〓これだけのヨーロッパの言語で、ほとんど同じ語彙を使っているという例は、なかなか、ありません。しかも、現代における借用語ではなく、15世紀にさかのぼるような語彙において、このようなことは珍しい。「コーヒー」 よりも語形が揃っているのです。
〓英語の初出は 1625年です。オスマン帝国の内部で国家を統制するシステムにガタが来始めたころです。しかし、まだ、大帝国にはちがいなかった。
〓フランス語の初出は、さらに古く 1432年に yogourt [ ヨ ' グルト ] の語形で。オスマン帝国によって東ローマ帝国 (ギリシャ語国家) が滅ぼされるのが 1453年ですから、その21年前です。
〓フランス語では、1907年に、ふたたび yahourt [ ヤ ' ウールト ] で登場しています。これと似た音を持つのがギリシャ語、ルーマニア語で、それぞれ、
γιαούρτι [ ヤ ' ウルティ ] ギリシャ語
iaurt [ ヤ ' ウルト ] ルーマニア語
となっています。これがどこから来ているかというと、おそらく、ブルガリア語の旧語彙である
ягурт jagurt [ ヤ ' グルト ]
※ югурт(а) jugurt(a) [ ユ ' グルト、~タ ]
という語形もあった。
に由来するんではないでしょうか。 г は、トルコ語を摸して [ ɣ ] で発音したかもしれません。
〓ネットで検索すると、トルコ国内でも yağurt [ ヤー ' ウルト ] という表記が 275件見つかります。方言音にあるのかもしれません。
〓面白いことに、現代ブルガリアでは、通常、
кисело мляко
kiselo mljako [ ' キーセろ ム ' りゃーコ ]
=「酸っぱいミルク」
と言います。ロシア語で言うところの、
кислое молоко
kisloje moloko [ ' キースらヤ マら ' コー ]
に、逐一、単語が一致しますが、この語でロシア語が言い表すのは、以前、話題にしたところの 「ケフィール」 のことです。ホントの 「酸っぱいミルク」 ですね。
〓ブルガリアでは、йогурт 「ヨーグルト」 という言い方もします。しかし、旧語彙である、ягурт 「ヤグールト」、югурт(а) 「ユグールト、~タ」 は使わないようです。
〓おそらく、йогурт は 「英語からの借用語」 というタテマエなんでしょう。
〓ブルガリアという国は、500年間にわたってオスマン帝国の支配を受けていました。その歴史の中で、もっとも悲劇的なのは、1876年の 「四月蜂起」 と言われるものです。
〓瀕死の巨竜といった状態であったオスマン帝国内部では、被支配民族の民族主義や独立の気運が高まっていて、そんななかで、独立を目指すブルガリア人が武装蜂起しましたが、オスマン軍に鎮圧され、1万5千人が虐殺された、と伝えられています。
〓ブルガリア人が、ягурт 「ヤグルト」 という簡便な語彙を放棄し、わざわざ、кисело мляко 「キーセロ・ムリャーコ」 という長ったらしい名前を使ったり、йогурт 「ヨーグルト」 という “英語” を使う背景には、
「トルコ語を使うのは御免だ」
「“ヨーグルト” はそもそも
ブルガリア (トラキア) の食品だ」
という意識があるように感ぜられます。
〓第二次大戦後から現代まで続いている、朝鮮半島における 「国語純化運動」 にも似ています。
〓ここでですね、「ふしぎ発見」 のスタッフが、例の 「ヨーグルトは、トラキア語で “固い”+“乳” である」 という説をどこで拾ってきたか、ナントナク想像がつきました。
〓というのも、ネットでは、この説は、全世界のウェブで調べても4件程度しかヒットしないからです。
〓スタッフは、この説を
「ブルガリア人から仕込まれてきた」
のではないでしょうか。そこには、自分たちの国の伝統的食品を、かつての支配民族の言語でしか言い表せないブルガリア人の苛立ちのようなものを感じます。
【 “ヨーグルト” の語源 】
〓「ヨーグルト」 はトルコ語で、
yoğurt [ ヨー ' ウルト ]
と言います。 ğ という字は、本来、“摩擦音の g” [ ɣ ] を書き表す文字です。スペイン語などに登場する子音ですね。20世紀のトルコ語では、この “摩擦音の g” [ ɣ ] が急速に脱落し、現代標準語では発音されなくなりました。代償として、先行する母音が長くなります。なので、「ヨーウルト」。アクセントは 「ヨー」 ではなく、「ウ」 にあります。
〓ヨーロッパ諸言語が、この単語を借用したころには、まだ ğ が発音されていたので、 yoghurt 「ヨウガァト」 のごとくなるわけです。 -gh- という子音群は、ヨーロッパ諸言語の常識として、
gh [ ɣ ] (摩擦音の g )
という、ナントナク成立したルールがあります。それで、 yoGHurt となるわけです。
〓トルコ語には、次のような語群があります。
yoğun [ ヨー ' ウン ] 濃い、密度の高い
yoğunluk [ ヨーウン ' るック ] 濃度、密度、濃さ
yoğurmak [ ヨーウル ' マック ] 練る、考えを練り上げる
〓これらの単語が、トラキア語からの借用でないことは容易に証明できます。
*jugur- [ ユグル ] 「練る」 to knead。チュルク祖語
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joɣur- (juɣur-) [ ヨぐル、ユぐル ] 古チュルク語 (古ウイグル語)
juɣur- [ ユぐル ] カラハニド語 (古代語)
juɣur-, joɣur- [ ユぐル、ヨぐル ] 中世チュルク語、西ウイグル語
juɣu(r)-, žuɣu(r)- [ ユぐ(ル)、ジュぐ(ル) ] ウイグル語
joɣur- [ ヨぐル ] アゼルバイジャン語
juɣыыr-, juɣur- [ ユぐール、ユぐル ] トルクメン語
čura- [ チュラ ] ハカース語
čūr- [ チュール ] ショル語
žūr- [ ジュール ] キルギス語
jur- [ ユル ] ガガウズ語
〓それどころか、チュルク人がモンゴル高原にいたころから存在した単語であることも証明できます。
žura- [ ジュラ ] 中世モンゴル語
zūra- [ ヅォーラ ] 現代モンゴル語 (ハルハモンゴル語)
зуурах dzūrakh [ ヅォーラフ ] 「練る」
〓つまり、どう考えても、もともとチュルク語に存在し、モンゴル高原でモンゴル語とも共有した語彙が、後世にトルコ人がトラキア人から借用した語彙であるはずがないのですね。
yoğurmak [ ヨーウル ' マック ] 練る
↓
yoğur- [ ヨー ' ウル ] 「練る」 の語幹
+
-t 「その動作をする対象を言い表す接尾辞」
↓
yoğurt [ ヨー ' ウルト ] 「練る物」
〓これは、動物の乳を 「練るように」 延々とかき混ぜることで、乳がヨーグルトに変ずることを示しています。
〓以上、「ヨーグルト」 の語源はトルコ語である、ということを、少々、ていねいに説明してみました。