育休&帯同休業で駐妻中
Ninaです
今日は少し自己紹介の
続きにお付き合い頂ければと思います。
自己紹介ストーリー
東京生まれ、千葉育ちの私が
なぜ関西企業に就職し
生活拠点を関西に移したのか
女子大・文系出身なのに
なぜ理系企業
転勤ありの総合職を選んだのか
流れに逆らいまくった
人生の選択をした私が
思うことについて
お話したいと思います
生まれも育ちも関東
東京に生まれ
高校までを千葉で過ごし
東京の女子大に進学
4年間東京で
一人暮らしをしていました
この一人暮らしの時に
感じていたのは
東京って空が狭いな
夜空の星が見えないな
東京の中でも
比較的緑豊かな場所で
生活はしていたものの
狭い空
窮屈な電車の中
いつだって多い人
周りの先輩や同級生達は
キラキラした東京の街並みに
生き生きしているのに
なぜか楽しめない自分
この先ずっとこんな感覚を持ちながら
ここで生活するんだろうか
そんな風に疑問に感じていました。
2009年の就職活動
2008年のリーマンショックを受けて
それはそれは厳しい状況でした
ただでさえ採用人数が絞られている中
前年の就職浪人生も相まって
本当に厳しい状況
女子大特有の
金融関係の推薦枠も
減らされているような状況
当時私の母は闘病中
乳癌が再発して再度療養中の身
普通に考えたら近くにいるべき
女子大出身だし
家族のことも考えて
転勤がない関東周辺の
金融関係・一般職かな
最初はそんな風に考えていました
でも就職活動をする中で
自己分析をして
業界分析をして
様々な人に会って・・・
心が動かされるのは
仕事内容よりも
勤務場所よりも
出会う人
こんな仕事ができる!とか
こんな場所で働ける!とかよりも
こんな人達の中で働いてみたい!
特にメーカー総合職に入社した
OG訪問で出会った方々に
とても心揺さぶられていました。
なぜそこに入社することにしたのか
入社理由や経緯、現在の仕事内容など
事細かに聞けば聞くほどに
魅力を感じる。
”就活生”ってだけで
普段会えないような方々に会えるあの日々は
本当に毎日ワクワクしていました。
今私、新しい人生に飛び込める
チャンスの場所に立っているかも
そんな風に思うようになります。
と同時に、電車の中で出会う
よれよれのスーツを着たおじさんをみては
よれよれのスーツだけどあの人は
ちゃんとした会社員。
どこかの企業に所属しているんだ。
いいな。羨ましいな。
私ちゃんと会社員になれるかな。
そんな風にも考えていました。
どこかに所属して
雇用されること前提
それでも悲観した気持ちはなく
自分の選択次第では
何か新しいことが始まるかもしれないと
ドキドキする気持ちでいました。
そんなワクワクする気持ちと
不安な気持ちを行き来しながら
就職活動を進める中で頂いた内定。
内定の電話をもらったのが駅のホーム。
電車の通り過ぎる音を左耳で感じながら
電話を持つ右手と自分の声が震えていたのを
今でも覚えています。
それくらいやっぱり嬉しかった。
あの人達と働けるかも!って。
でも冷静に考えて
全国転勤ありの総合職
しかも関西企業って・・・
この先どうなるかわからないのに
家族のこと、どうしよう。
3歳上の兄はすでに関東を離れていて
長女の私が親の面倒を見るような雰囲気
今までだって
ただでさえろくに
親孝行できていないのに・・・
どうしよう。
悩んだ末、両親に正直に
素直な気持ちを話しました。
父親は反対。
リーマンショックの影響もあり
公務員や銀行以外の就職先に怪訝な顔。
女性なのになぜ自分から苦労を買って出るんだと。
そりゃそうだ。
すると意外にも母親は大賛成
あなたの好きに生きなさい
あなたの人生なんだから
この言葉
意外でした。
正直、
女子大に入ったのも母のため
今まで散々
こうした方がいい
あなたのためよ
と言われてきたのに…
そう言われる度に
反抗しつつも従ってきた自分
私、一度ここを離れてみたい。
ちょっと別の世界を見てみたい。
今思えば
安心して戻れる場所があるから
一度離れたいと思っていたのかも
しれないですね。
その後、兄が転職で関東に戻ることになり
私は安心して関東を離れました。
就職して1年後
母はこの世を去りました。
最後の1年くらい
そばにいてあげればよかった。
でも最後の1年間が
もしかしたら一番仲が良かったかも
研修で訪れた京都のお土産を送ったり
北陸・関西地方の出張土産を送ったり
旅行に行った先の写真を送ったり
私が行った先々の話で
母と楽しく電話やメールをする日々
東京で一人暮らしをしていた頃は
空が狭くて
電車の中も狭くて
なんかどこか息苦しくて
母との会話もどこか苦しくて
でも就職してからは
空が広くて
緑も多くて
仕事は大変だったけど
やりがいもあったし
母との会話でも
新しい発見がたくさんあって
本当に楽しかった
大きな空と
自然豊かな山々に囲まれ
深呼吸から始まる毎日
もちろんキラキラした
オフィスレディ生活では
なかったけど
尊敬する方達と出会い
社会人として育まれ
辛くも楽しい5年間を過ごしました。
私が親元から離れても
大切にしたかったものは
自分がどう生きたいか
自分が何を見て
何を感じながら生活したいか
東京で就職活動して
転勤のない一般職を
選ぶこともできたけど
あえてそれをしなかった
母親の闘病を
10年以上間近で見てきたので
自分らしくいられる時間って
意外と限られてるのかもって
思っていたから
でもやっぱり
結婚して子供産まれてからが
大変だった〜〜
実家頼れないって大変!!
自分のことを親不孝者だと思いつつ
好き勝手な生き方を応援してくれていた
両親に今は感謝の気持ちでいっぱいです。
私にとっての転機の1つが就活
自分の行動で人生を変えられる経験を
ここで体感しました。
流れに乗れる時は流れに身を任せ
心が動いた時に行動する
これ、私が大切にしていることです。
心が動いた時は
行動に移すチャンスかもしれません。
長くなりましたが、
お読み頂きありがとうございました。
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