育休&帯同休業で駐妻中

Ninaです。

 

 

 

 
 
 
クローバー自己紹介ストーリークローバー
 
 
 
 
 
今日はプロフィール写真について
少しお話したいと思います。
 
 
 
 
 
この写真は私が受講した
MYコンパスベーシックで
一緒に2ヶ月間学んだ同期が
送ってくれたものです。
 
 
 
 
彼女は2ヶ月間のワークを終え
受講生一人一人に餞として
花言葉を送ってくれました。
 
 
 
 
 
私に送られたこの花の名前は
ラナンキュラス
 
 
 
 
花言葉は
晴れやかな魅力、魅力的、名誉
 
 
 
 
 
 
彼女の言葉を一部を紹介します。
 
 
 
 
ラナンキュラスは
十字軍の遠征隊が西アジアから
イギリスに持ち帰ったのが始まりと
言われているそうです
それくらい、美しく、魅力があります



どうしてこんなに美しいのでしょうか
ラナンの花は
花びらが幾重にも幾重にも重なり
大きな花を咲かせます
 
 

大きな大きな花を咲かせるには
きっと
大きな大きなエネルギーが必要です
 
 

まるで
限りある時間を
目一杯美しく咲くんだと
覚悟を持って咲いているように
私には見えます




あなたが発する言葉は
なぜか人を惹きつけます
自然と付いていきたくなります
どうしてでしょうか
 
 

あなたにも
限りある人生を悔いなく生きたい
という覚悟を
心の奥底に持っているように
私には見えます
 
 
 
 
 
MYコンパスというオンライン上で知り合い
たった2ヶ月間共にワークをしただけですが
生涯大切にしたいと思う言葉を
沢山もらいました。
 
 
 
 
私は母が40歳の時に生まれました。
 
 
 
 
両親共に教員で共働き家庭。
 
 
 
 
教育熱心だった母から与えられたのは
世界の偉人に関する沢山の書籍
 
 
 
 
ナイチンゲール
ヘレンケラー
キュリー夫人など
女性でも世界で活躍している人が
いることを本から学びました。
 
 
 
 
同時に世界の偉人の母親たちを知り
書籍から学ぶ「母親像」と
目の前にいる「自分の母親」との
ギャップに苦しみました。
 
 
 
 
 
どうして私の母親は
料理が苦手なのだろう
 
 
 
 
どうして私の母親は
毎日苦しそうなのだろう
 
 
 
 
どうして私の母親は
疲れたと言って一緒に買い物に
行ってくれないのだろう
 
 
 
 
どうして私の母親は
こんなにも理不尽なことを言うのだろう
 
 
 
 
 
 
その後もドラマや友人家庭から垣間見える
「母親像」と乖離している「自分の母親」
を見てはとても苦しみました。
 
 
 
 
 
 
その原因を
母が高齢出産をしたからだと思い
 
 
 
中学になる頃には
20代で結婚し30歳までには子供を産もう
と決めていました。
 
 
 
 
 
 
 
しかし
真実は違っていました。
 
 
 
 
 
 
 
母は40歳で私を生み
50歳で乳がんを患い
65歳で亡くなりました。
 
 
 
 
 
母は私が10歳の頃からの約15年間
苦しい闘病生活を送っていました。
 
 
 
 
 
薬の副作用で匂いに敏感になり
料理を作ることもままならなかったし
 
 
 
 
 
体力的にも問題はありましたが
ウィッグをつけて出かけるのを嫌がり
成人式の服も一緒に買いに行けなかった。
 
 
 
 
 
 
最後の数年間は
病と闘っているのか
薬と闘っているのかわからず
 
 
 
 
理性もなくして本能むき出しの母に
辛辣な言葉を言われては
距離を置くようになっていました。
 
 
 
 
 
 
今だったらそれが
薬の副作用のせいとわかりますが
10代の頃の私には受け止めきれなかった。
 
 
 
 
 
 
 
社会人1年目
 
 
 
 
地元の千葉を離れ、関西に就職した私は
ガムシャラに研修生活を送る日々
 
 
 
 
仕事を少しずつ覚え
自分一人で仕事回せるようになり始めた頃
 
 
 
 
 
母危篤の知らせを受け
地元に戻った次の日に
母は息を引き取りました。
 
 
 
 
 
この1ヶ月前に見舞った時から
覚悟はできていました。
 
 
 
 
母はもう
そう長くは生きられないんだろうな。
 
 
 
 
 
そんな状態でも辛辣な言葉を発していた母が
今はもう言葉を発することすらない。
 
 
 
 
 
 
 
この時
とても、ほっとしました。
 
 
 
 
 
 
 
あ〜
もうお母さんは頑張らなくていいんだ。
15年間お疲れ様。
 
 
 
 
 
 
 
 
親孝行は米1粒ほどもできなかったけど
後悔するとかそんな感情はなく
もう自分の母親は苦しまなくていいのだと
ほっとしたのを覚えています。
 
 
 
 
 
 
そして同時に
もう母の言葉に傷つかなくていいのだ
ということに心底ほっとしました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そして時を経て
自分も結婚し、家庭を持ち
子供を持ってから気がついたこと。
 
 
 
 
 
 
理想の母親像を自分の母親に押し付け
それが自分自身を苦しめていた
気づいたのです。
 
 
 
 
 
 
勝手に理想のお母さん像を押し付けて
”お母さん”はこんなことは言わない!と
母から発せられる言葉に傷ついていました
 
 
 
 
 
 
自分の母親も
母である前に一人の人なのに
 
 
 
 
 
 
 
 
私は自分が妻になり、母になり
世間的には幸せなはずなのに
なぜか満たされず
 
 
 
 
その肩書きから解き放たれて
自分らしく生きたいと
思うようになりました。
 
 
 
 
 
 
 
自分の母親ももしかしたら
病気をきっかけに母親業から離れ
自分を取り戻そうとしていたのかもしれない
 
 
 
 
 
 
 
母と子ではなく、人と人として
もっと話す時間が欲しかったなと思いました
 
 
 
 
 
 
 
 
その後乳がんの遺伝性に気がつき
他人事ではなくなります。
 
 
 
 
 
 
 
いつか私にも
その時が来るのかもしれない。
 
 
 
 
 
 
あの苦しそうな日々が自分にも
訪れるかもしれないと怖くもなります。
 
 
 
 
 
 
 
 
でも同時に
人間は誰だって平等に命は限りあるものだ
ということにも気がつきます。
 
 
 
 
 
 
 
 
限りある命だからこそ輝きたい
 
 
 
 
 
 
 
自分らしく、人として輝きたい
 
 
 
 
 
 
 
妻、母親などの役割や肩書きではなく
自分としての人生を咲かせたい
 
 
 
 
 
 
 
 
そう思うようになりました。
 
 
 
 
 
 
みなさんは限りある命
どんな風に生きたいですか?
 
 
 
 
 
 
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