以前、ファミレスに行った時の話ですが、
店員の余りに乱暴な対応に驚いた事があります
どこでも無愛想な店員はいて当たり前ですが、
その女性は郡を抜いていました。
恐らく、その時にいた客の多くが、
「何て感じ悪い!もう二度と来るか」、
…と思ったに違いありません。
見たところ、年の頃は大学生位なので、
どうやらアルバイトのようです。
多分、店の指導というより、性格の問題でしょう。
彼女が接客業に向かない人間である事は、簡単に推測出来ました。
しかし、それが全くの誤解だと、後になって判明したのです
注文を待っていると、「カーン」という音が店内に鳴り響きました。
どうやら、さっきの店員が、
下げたトレイのコップ(プラスチック)を床に落としたようです
よく見ると、配膳カウンターが下げた食器で溢れ返っています。
もう、これ以上は置けるスペースがないほどの山盛り状態でした
そんな所に無理して置いたら落ちるのは当然であり、
まさに自業自得でしょう。
驚いたのは、その直後です。
店員は、客席に向かって「失礼しましたー」と
投げやりな口調で謝った後、
おっかない表情でブツブツと小声で悪態を呟き始めたのです。
「もう、やってらんないよ」と。
ようやく気付きました。
かなりの混雑に関わらず、
ウェイトレスは彼女1人しかいなかったという事に…
どうやら、厨房とフロア含め、僅か2人で店を回していたようです。
帰り際に、「1人で大変ですね」と声を掛けたら、
彼女は苦笑いしながら「バイトが一気に2人休んだんですよ」
…と理由を教えてくれました。
さすがに、あの状況は無理です
若い彼女が取り乱すのも、致し方ないと思いました。
アメリカでは、銃の乱射事件がよく起こります
中には、自分の勤めていた会社を襲う犯人もいるそうです。
世間は、「異常者の犯罪」といって簡単に片付けますが、
よくよく調べると、犯人の置かれた極めて深刻な境遇が
後で明らかになる事があります。
日本でも、たまに通り魔事件が起きますが、
犯人の口から「ムシャクシャしてやった、
殺すのは誰でもよかった」などという台詞が出てくれば、
誰もが「精神異常者」だと思うでしょう。
しかし、実際には、極一般的な人間が
精神的に追い込まれて及んだ犯行である場合が意外に多いようです。
もし、あなたが家庭の事情で親元を離れ、
行った先で手酷い扱いを受け、
精神的に深い傷を負った後で追い出され、
飲まず食わずで独りぼっちになった場合、自暴自棄にならずに、
冷静で正しい判断力を保つ事が、果たして出来るでしょうか
例えにしては極端な表現でしたが、
不遇な目に遭って八方塞がりになる可能性は誰にでもあります。
従って、あなたの周囲にいる人たちが
ある日いきなり殺人犯になったとしても、
けして不思議ではないのです。
もちろん、あなた自身も
世間では、罪を冒す人に対して、
とかく「人格に問題がある」と考えがちです。
つまり、窃盗犯は「狡い性格」、
殺人犯は「残虐で攻撃的な性格」という訳です。
でも、現実には大人しくて真面目な人、
温厚で優しい人などが殺人犯として普通に逮捕されています
刑事ドラマを見ても解りますが、殺人事件の中には、
咄嗟のトラブルでの正当防衛や、徹底的に苛め抜かれた末の報復、
…などというケースがよくありますよね
他にも例は尽きません。
誰もが忌み嫌う戦争についてですが、
よくよく考えると驚くべき現実が浮き彫りとなります。
兵士たちの行いは完全なる人殺しであるにも関わらず、
後で裁かれる事はありません。
如何なる大量殺戮であっても、
権力者からの命令であれば、許されてしまうのです(例えば原爆)。
当然、兵士が人を殺すのは、性格に問題があるからではありません。
上官から命令され、やむを得ず銃の引き金を引いただけです
兵士の中には、暴力的で残虐な性格の持ち主もいますが、
戦争においては、むしろ大きなメリットをもたらします。
堂々と楽しんで人を殺しても、捕まるどころか、
上官から誉められて階級が上がり、
周囲からも英雄扱いされる訳です
あらゆる人間の行動動機は、
内的帰属と外的帰属の2つに区分されます。
前者は不安や恐怖、欲望や衝動などの精神的な要素、
後者は環境や境遇、周囲からの対偶など
様々な外的条件を指します。
考えてみれば当たり前な事ではありますが、
これを普段から意識している人は、まずいないでしょう。
常々、多くの人が一方の要素のみで物事を判断しようとし、
もう片方の理由については考慮しないはずのです。
このような傾向を、心理学では根本的帰属の誤りといいます。
これは、数ある認知バイアス(心理的勘違い)の1つで、
全く該当しないといえる人間は、恐らく誰もいないでしょう。
人間の誤った行動に内的・外的2つの要因がある以上、
その両方を考慮しなければ、公正な判断など出来やしません。
もし、内的要因が大きいのであれば、それは当人の課題となります。
つまり、外的条件に上手く対処し、
自身の意識と行動をコントロールする努力が必要となる訳です。
反対に外的要因が大きいのであれば、
環境やシステムの改善、周囲や他人の協力などが必要だと解ります。
もし、これらを多くの人が考慮するようになれば、
今以上に、もっと棲み良い社会が訪れるのは間違いありません
得てして人間は、何か間違いを冒した者を「悪い奴」、「自分勝手」、
「バカ」、「頭がおかしい」などと簡単に決め付けます。
反面、自分の冒した間違いについては、「運が悪い」、
「邪魔が入った」、「体調が悪かった」などといい、
つい責任を逃れようとしてしまうのです。
つまり、他人に厳しく、自分に優しいという事ですね
ある意味、この風潮が問題なのかも知れません。
他人への行き過ぎた厳しさが、不遇な状況に陥る人間を増やし、
また、自分への甘さにより犯罪に走る人間が増えている、
…といえなくもない訳です。
1つだけ間違いないのは、
人間は環境や状況に流される生き物だという事です。
多くの場合、犯罪や他人への迷惑は、
当人の単なる判断ミスによって起きているといえます。
自ら意識して「悪い事をしそう」、「他人を苦しめよう」、
…と思っている人は、ほとんどいません(サイコパスでもなければ)。
実際は、不都合な状況下で的確な判断が出来なくなり、
やむを得ず罪を冒してしまっている人が多いのです
もちろん、犯罪に置いては、如何なる理由があろうとも、
相応の償いと罰を免除する事は出来ません
一方、日常の些細な迷惑や間違いについては、
当人の置かれた外的帰属(各事情)を重視して、
大目に見てあげるべきでしょう
まずは、自身が根本的帰属の誤りを冒していないか、
考えてみてください
身に覚えがあったのであれば反省し、
今後の行動に活かすべきでしょう。
また、周囲に「根本的帰属の誤り」に陥っている人がいたら、
教えてあげてください。
もちろん、「オマエ、こんな事も知らんのか?」、
…なんていうのはなしで。
意識すべきは、自分には厳しく、人には優しく、
…です