
【備忘録】ある天才画家について思うこと。
いつの間にか時間は経ち、このブログも開設10年にもなる。
……とはいえ、近年はインスタグラムからの投稿のみで、積極的に関わっていないし、今後もおそらくそうなると思う(僕にとってブログというのは役割を終えたネットメディアであり、現在は「インスタ以降のネットメディア」の登場を待ってもいる)。
そんな状況なのだが、自分への備忘録として書いておきたい出来事があった。
10年前、このブログを開設して間もなく知り合った、あるひとりの「天才絵師」についてのことだ。
便宜的に彼女の呼称を「A」とする。リンクは張れない。彼女は現在、リンクを張れる場所をネットには持たない。
……厳密に言うとなくはないのだが、彼女はそれを望まないだろうし、ごく限られた少数しか閲覧できない設定になっている。
彼女はあるがままである。
かつてAはこのアメブロにもアカウントを持っていた。しかし、あっさりとそのアカウントを引き払い(わずらわしく思ったのかもしれない)、どこかへ旅立った。
Aの描く絵は強烈な印象を残した。圧巻だった。
想像力が現実と幻想を自由に行き来し、その情景は様々な手段によって構築され(方法はいくつもあった、油彩に水彩、CG、鉛筆によるデッサン、洋画から日本画、歌舞伎絵まで自在に描きわけた)、その技術とセンスはどれほど著名な画家をも超越していたように思う。
人間にはない特別で感覚でもって世界を感知し、現実にはありえない方法で、その感覚を絵という可視化の可能なものへ変換しているような気さえした。
一言で言えば、到底、真似ができない。その気にもなれないという感じだった。
彼女が一枚のデッサンをブログに投稿する。
するとメッセージで溢れかえると言っていた。
「いくらなら買えるのか」
「うちの画廊で展示できないか」と。
そうだろうと思う。
当時の僕は、その才能で生きていこうとしない彼女が不思議だった。
いくらでも稼げただろう。
名誉も地位も、なにもかも手にできる。だから不思議だった。
スポーツ、学問、芸術……特別に秀でた能力を持つ人というのは、それは努力によって獲得した力ではない。
誰でも、鍛錬すれば一定の水準までは能力を引き上げることができるが、それ以上は才能だ、生まれ持ったものがなければ、それ以上は伸びなくなる。
……イチロー選手と同じ練習をしたとしても、現在の少年野球〜高校球児からイチローさんが生まれる可能性はほとんどない。
それが現実だ。
Aは若い。
若いが多くの病と生きてもいる。
生きることをあきらめてはいないし、しかし、戦ってもいない。あくまでナチュラルに、「これが私だから」と笑う。
実に三年ぶりの連絡だった。
僕は遠方に住む彼女の安否が気がかりで、連絡できないもどかしさに苛立つこともあった。
「お守りを送る」
僕はそう伝えた。
この一年、僕は人生観がひっくり返るような不思議な出来事、様々な出会いがあり、あるお寺に参拝するようになった。
ある神社で知り合った方から始まった、その不思議な縁と信心は、いま、僕を新たな道へ、世界へと繋いでくれている。突然、道が開いたような感覚だった。
そのお寺のお守りを彼女に渡したかったのだ。
特別な祈祷を受けたお守りは、無事に彼女に届いてくれた。
お守りをくれて、ほんとにありがとう。肌身離さず持ってる。
でも、怒らないで。
私は私のことを……例えば、からだのことだとか……お願いしたりはしない。
私の大切な人だとか、家族とかね、ビリーやビリーの大切な人のことへは幸福をお祈りするけれど、私自身のことにお願いすることなんてない。
だって、遠くから心配してくれる人がいるしね、幸せだから。
人より長くはないかもしれないけど、これが私。
私は幸せだから、大切な誰かのことなら、お祈りするよ。
彼女には自己顕示欲がない。名誉欲もない。承認欲求なんてあるはずもない。
強く、清々しく、真っ直ぐだ。
そして、深い愛情を受け、その愛情を分け隔てなく注いで生きている。
ただひたすら、いまを生きるのみなのだ。
いま見たいものへ飛んでゆき、描きたいものを描き、自在には動いてくれないもどかしい体で、どこへだって行く。
以前、彼女は笑った。
「一度しか生きられないし、私は人より生きられないから。だから、どこへだっていく。体を引きずってでも行きたいところへ行く。じっとしてる時間なんて、同じことをやってる時間なんてないよ!」と。
……聞けば、医師の制止を振り切り、ニューヨークにまで行ってしまっていた(笑)。
そんな彼女に振り回されている気もするけれど、それでも、その生き方は自由奔放で、憧れさえする。
久しぶりに彼女と話す。
「どんな絵を描いてる? 君の才能は神様がくださったものだから」
「描いてるよー!」
そう言って、一枚の絵のデータが届けられる。
進歩、進化している。
Aは同じことをやらない。視点と方法を変え、新たな世界を創造する。
キャンバスに描かれていたのは、ひとつの眼だった。
「思いつきだけど、炭を溶かして描いてみたの。旅をしてたんだけどね、そこで朝ごはんを食べに通った、喫茶店のおじいさんを描こうと思った」そうだが、古いフィルムに焼きつけられたようなその絵は、彼女の技術とセンスがさらに磨き抜かれ、新しい着地点を見つけていると確信するに充分だった。
「すげえな。眼ってこんなふうだったな。これなら、なんだって見られる」
「見たいものも見たくないものも、ね(笑)」
「俺さ、一応、こんなでも絵仕事を引き受けたりね、この数年はフリーペーパーの表紙も描いたりしたんだよ。
……でも、Aにだけは届かない。100年やってもムリ。センスもテクニックも、なにもかも違う。持って生まれたものが違う」
それでいい。
いままでそうであったように、ずっと遠くで待っててくれたら。
それでいいのだ。いつかはたどり着けるだろう。たどり着けなくとも、僕はそこへ向かうだろう。
果てしなく遠い、岬の灯台のようであったとしても、歩くことを続ければ、なにかがある。
……もちろん、他の方法を探しているし、それはすでに示唆されているのだ。
僕もまた、彼女と同じこの世界に生きているのだから。
※冒頭のイメージ画はAが描いたものではなく、私、田中ビリーがAをモチーフに描いたものです。
彼女の絵画作品はこんな拙いものではありません(笑)。

