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なーんだ、一緒なんだ

4月よりアフリカ・マラウイに派遣されているスタッフ・杉尾の
ンコタコタ記・その9をお送りします!(毎週火曜・金曜更新!)


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エコサントイレミーティングの後、皆がすごい勢いで写真を撮って欲しいと迫ってきた。一人撮れば、皆が満足するまで撮り続けないといけない。「よしっ、これも交流!」と心の中で気合いを入れ、大声で「ハイチーズ」と叫びながら、シャッターを切った。

すると、なーんだ。カメラが珍しいという点を除けば、そう日本と違わない。お年寄りは少し緊張気味にカメラの前に立ち、若者は何かしらのポーズを取る。お母さんは嫌がる子どもを引っ張り出してでも子どもと一緒に撮られたがるし、何としてでも写真に入りたがるデシャバリもいる。

「なーんだ、一緒なんだ。」と何だか微笑ましい気持ちになった。



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蚊帳

4月よりアフリカ・マラウイに派遣されているスタッフ・杉尾の
ンコタコタ記・その8をお送りします!(毎週火曜・金曜更新!)


ベッドのマットレスの下に、蚊帳の端っこを引っ張りながら織り込むように入れる。そして、あまり大きな穴を開けないように体を小さくして中に入るのが、マラウイに来てからの私の日課になった。そしてそのたびに、子どもの頃、基地にしていた場所を思い出して、なんだかワクワクしてくる。

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…でも実際は、そんな甘いもんじゃない。この一枚の薄っぺらい蚊帳が、命をつなぐ手綱。蚊帳がないためにマラリアにかかり亡くなった人も、ここマラウイにはたくさんいる。私が一緒に活動している現地スタッフたちも、「マラリアにかかったことがあるか」という私の質問に、何をマヌケなことを聞いているんだとでも言わんばかりに「そんなの当たり前だ。」という。「1年に2-3回」「数年に1回」などなど、「かかったことがない」というスタッフは一人としていない。じゃあ風邪を引くのと同じようなものかというと、そうではない。刺された場所が悪ければ目が見えなくなったり、命を落とす人も大勢いる。

蚊帳の中で息をするのは何となく息苦しい気もするが、蚊帳を手に入れられない人のことを思えば、ありがたいことだと思う。そんな気持ちで、私は今日も蚊帳に入って眠る。


村のエンターテイナー

4月よりアフリカ・マラウイに派遣されているスタッフ・杉尾の
ンコタコタ記・その7をお送りします!(毎週火曜・金曜更新!)


事業地(村)に向かう車の中で、それはそれはたくさんの人々の視線を受け止める。


決して好意的なものばかりではないけれど、

目をジーっと見ていると、微笑み返してくれる人、手を挙げ挨拶をしてくれる人、

大声で笑い転げる子どもまでいる。


手を振られ、振り返す。

私はヒーローではないし、飢餓や病気で苦しんでいる人たちを一斉に助ける力なんて持ってない。

だから時にヒーロー気取りに見えやしないか、複雑な気分になる。

それでも、私が手を振り返すことで、笑顔を返すことで、

彼らに少しでも笑いをもたらすことができるなら、それだけで十分だと感じる。


私は村のエンターテイナーだ。

書き留めたい。

4月よりアフリカ・マラウイに派遣されているスタッフ・杉尾の
ンコタコタ記・その6をお送りします!(毎週火曜・金曜更新!)


マラウイでの生活もはや1週間が過ぎた。
たった1週間という短い時間の中で、私はたくさんのことを学び、「人と生きる」ことの喜びを実感している。


自然とともに生きる。電気が通っていない村々では、人々は太陽とともに起き、太陽とともに寝屋に入る。午前中の農作業が終わると、大人たちは風通しの良い木の下で集まり時に深刻な顔を突合せ、話をする。そんな大人たちに見守られながら、子どもたちは元気に外を駆けずり回る。


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水を運ぶ。頭の上に水を乗せ、歩く。私が試したのはたった1.5キロという重さとわずか15メートルほどの距離。それなのに、私の頭の上では水がちゃぷんちゃぷんと勢い良く音を立て、時に(よく)零り落ちる。それでも「パンゴノ パンゴノ(ゆっくりゆっくり)」という言葉に励まされ、何とか目的地にたどり着き、少し減ってしまったバケツを覗き込み、皆と笑う。


村人たちの中のリーダーが決まる。そのリストを受け取りに私たちはパソコンの前に座ってデータを受信するのではなく、車に乗ってガタガタ道を進み、村々を束ねる代表者に会う。時には車を降りて、歩いて会いに行く。現地の言葉で挨拶を交わし握手をしたら、それだけで笑いがこぼれる。


効率はいいが機械的にすべてがなされている日本とは違い、ここには大自然に見守られる中、生き生きとしたふれあいに溢れている。お金がなくても、心は豊かだ。多くの人が向けてくれる笑顔には、疲れやおべっかでもない「笑いたいから笑う」本物の笑顔を見つけることができる。だから、私も笑顔を返さずにはいられない。そしてそのたびに、私のほうが彼らから「元気」をもらっている。

トイレが欲しい、でもお金がない。

4月よりアフリカ・マラウイに派遣されているスタッフ・杉尾の
ンコタコタ記・その5をお送りします!(毎週火曜・金曜更新!)


勤務3日目。エコサントイレを建てたいという村人たちを集め、説明会を行った。
何百年も村を守ってきたに違いないどっしりとした大樹の下、約200人の村人たちが集まった。正面には村々を治める長2名がイスに腰をかけ、その隣のゴザの上には役職に就いている村人3名が座った。正面から右には男性たちが、そして左には女性たちが、地べたにそのまま座りこんだ。昨日訪ねた時はばっさり切られたような大きな穴の開いたシャツを着ていた村長も、この日ばかりはおめかしをしていた。

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今回の説明会の最大の焦点は、「ビルダー(エコサントイレを建設する村人)に支払うお金」についてだった。「ちゃんとしたトイレが欲しい。だからエコサントイレを建ててもらいたい。でも、(ビルダーに支払う)1500クワチャ(約1200円)を工面することができない。」必死に訴える村人たちの声にどうしたものかと耳を傾けながらも、NICCOの予算は材料費(セメント)や道具代(シャベルや一輪)にしか使えないこと、また、自分たちのトイレを建てるために少しでも自分たちでお金を出せば、「単なる贈り物ではなく、自分たちのお金で建てたものだから大切にしよう」という気持ちが生まれてくるはずだ、と説明した。一生懸命伝えること、真剣なんだとわかってもらうことが何より大切だと思い、とにかく彼ら一人ひとりの目を見て、体全体を使って話をした。まるで裁判にでもかけられているかのような緊張感の中、私の一挙一動に笑ったり、黙ったり、拍手をしたり、ちゃんと聞いてくれていることがわかって嬉しかった。皆が納得した上で話し合いは続き、お金がどうしても工面できない人たちのために、「穀物での支払い」が許されることになった。


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私一人にできること。それはとても小さなこと。それでも、「村には十分な数の井戸がなく困っている」「マラリア対策のために蚊帳の配布を続けてほしい」などなど、次から次へと沸いて出てくる要望(彼らの問題)に耳を傾け、マラウイの現状を日本の人々に伝えることはできる。そんな想いで綴っているこのブログが、少しでも多くの人の目に留まっていることを、心の底から願っている。