声明道場の男前阿弥陀(京都大原・勝林院)その1
夏休みに京都仏像めぐりをしてきました。
初日は大原。京都駅からバスで63分。
特に何も考えずに行ったのですが、
大原は比叡山(天台宗)に近くて、
比叡山出身の法然や源信も活動した場所なので
天台宗と浄土宗ゆかりの寺が多くて仏教史的にもめっけもんでした。
山の中で、清流が流れていて、苔がきれいで、
お寺の手入れも行き届いて、言うことなしです。
大原といえばまず三千院ですが、本日はその奥にある勝林院について。
みんな三千院を見て引き返してしまうようで、
勝林院には私ともう1人しか拝観客がいませんでした。
本堂と鐘楼ぐらいしかないですが、ここを見ないのはもったいない。
ガイドにもネットにもロクに情報がないのでメモしておきます。
勝林院=============================
天台宗(大原魚山流 声明道場)1013年建立
法然上人「大原問答」旧跡
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◆本尊・阿弥陀如が男前
国宝や重文ではないですが男前で、浅野忠信似です(平安中期、康尚作)。
すぐ近くから、はっきり見ることができます。
手からは五色の綱が垂れていて、白布の網を葬儀のときに来迎橋(寺入口)
の外まで伸ばして棺の上に垂らすという儀式を平安時代に行っていました。
平安時代の来迎図などでも紐が出ているものがありますが、
綱・紐ので阿弥陀さまに浄土に引っ張ってってもらおうという発想は、
あんまり直接的すぎないかい?と微苦笑してしまいます。
脇時は不動明王と毘沙門天。
声明とは、お経に独特の音律をつけるもので
音楽的成果の少ない仏教では珍しい仏教音楽です(主に天台宗と真言宗)。
第三台天台座主の慈覚大師(円仁)が835年に唐にわたり、
中国の声明音律業を学んで持ち帰って比叡山で伝承していました。
9代目の弟子・寂源が、その練習の場をこの大原に移して、
1013年に声明の根本道場として勝林院を建立したそうです
(勝林院のリーフレットより)。
そう、大原は声明の里だったんですねー。
ひぐらしと清流のせせらぎだけが聞こえる中、
ここに声明が響いたらとりあえず天台宗に改宗しちゃうよ、
というぐらい感動的だろうと思います。
1月3日午後3時から、大原魚山の声明法師全員が集まって
2時間の声明法要を行うそうです。行ってみたいなあ・・・。
さらに、勝林院において、「大原問答」という
法然が各宗派の坊さんを相手どって「念仏最高!」ということを
認めさせたという伝説(?)が残っています。
日本仏教の念仏至上主義時代の幕開けということで、
書き出すと長くなるので続きは後日。
勝林院
http://kyoto-ohara-kankouhosyoukai.net/tour/shourinninn.html
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スマナサーラ長老の瞑想会に行ってみた
今年は瞑想をやってみよう、と思っていたのですが、
ようやく先日、瞑想会に参加することができました。
日本テーラワーダ仏教協会、泣く子も黙るA.スマナサーラ長老の
法話&ヴィパッサナー瞑想会です。
幡ヶ谷のゴータミー精舎で、参加者は60人以上いたと思います。
初めて参加する人も多くて、安心しました。
(仏教の講演とかいくと、高齢男性が多くて加齢臭むんむんなのですが、
テーラワーダ仏教協会のイベントは若年~中年の男女も多いです)。
いちおう電話で空きを問い合わせて行ったほうがいいかもしれないですね。
まずパーリ語での仏典読誦。
わからないなりにカタカナのルビを読んで声を合わせましたが、
ほとんど暗記している方もいてびっくりしました。
それから、長老の法話と、質疑応答。
そのあとが瞑想の時間です。
坐禅と同じように坐って、
まず「死体になってみましょう」と、微動だにしないようにする。
それから、スローモーションで右手をゆっくりゆっくり上げて下げ、
頭の中で「右手、上げる、上げる、・・・下げる、下げる」と”実況中継”をします。
それから、初心者には一番やりやすいという歩行瞑想。
長老いわく「悟りへのパスワードは”実況中継”」だそうです。
(詳しくは、テーラワーダ仏教協会のHPを見てください)
http://www.j-theravada.net/
(スケジュール等)
http://www.j-theravada.net/4-vipassa.html
(実践法)
http://www.j-theravada.net/sakhi/pali_sutta3.html
(教義上の解説)
瞑想以前に、ふだんいかに自分の姿勢が悪かったかを実感しました。
「骨盤の位置をきちっと定めて、
背骨の骨を下からひとつずつ真っ直ぐに積み上げるイメージをしつつ、
最後にそっと頭を添える。肩にはみじんも力を入れない」
そのような長老の指導の通りやると、背筋が伸びて実に気持ちいい。
初期仏典で、お釈迦さまが口を酸っぱくして
「怠るな」「放逸であってはならぬ」と言っていますが、
姿勢がグダグダなのは「怠り」の第一歩なんですね。
別のフロアでは、経験者が自主瞑想をやっていました。
何人も人がいるのに、物音ひとつせず、仏像があって、
間を縫って協会の猫が歩いている光景は、慌ただしい日常と別世界でした。
実践用DVDも出ているようです。
ヴィパッサナー実践&慈悲の瞑想[DVD]こちらは本。
自分を変える気づきの瞑想法【増補改訂版】
2~3時間の瞑想指導のあと、なんだか体が軽く火照っているようで、
俗っぽい感想ですが、しつこい肩凝りが消えていた。
長老は「そういう現世利益はいっさい期待しないでください」
と苦笑していましたけれども。
そして「(悟りへの)乗り物は教えました。乗るかどうかはご自由に」と長老。
この、おせっかいを焼かない初期仏教のスタンスが私は好きなのです。
(協会のイベントに何度か参加しましたが、名前やメルアドも聞かれなければ、
入会勧誘もされたことがありません)。
法話&瞑想会の参加費は喜捨(お気持ち)とのことですが、
個人的には4000~5000円以上は礼儀じゃないかな、と思いました。
計5時間以上も時間を割いてくださるわけですからね。
後日、友達に「頭の中で、右手、上げる、上げる、上げる・・・とやるんだよ」
と言ったら、「なんかアブな~い」と言われてガックリきました。
友達は、オウムの麻原の「修行するぞするぞ」を思い出したようです。
私も仏教知識がないときは、「ヴィパッサナー瞑想」と聞いて、
怪しい新興宗教の瞑想かと思ったのですが、そんなんじゃなくて、
世界の南伝仏教の僧院でちゃんと実践されている方法です。
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飛白体、雑体・・・書体芸術に感動(NHK「空海」第2回・名筆の誕生)
録画しておいたNHK・BSプレミアム「空海 至宝と人生」の
第2回「名筆の誕生」を見ました。
(8月21日・日曜 11:00~12:30に再放送します)
正直なところ、この番組で書家としての姿を知って初めて、
空海さんの凄さを実感しました。
宗教家としては最澄さんのほうが後世に与えた影響大という気もするけど、
宗教・芸術またがった空海さんはやはり尋常の才能ではないなと思いました。
私は書について知識ゼロだから、上野の「空海」展でも
ふーんと流しただけだったのですが、あれ凄いものなんですね。
番組では、空海の書の変遷を、書家の石川九楊さん・岡本光平さんが
解き明かします。
若い頃の「聾瞽指帰(ろうこしいき)」や、最澄宛ての手紙「風信帖」は、
中国の王羲之(おうぎし)にのっとったがっちり真面目な文字。
当時の知識人はみんな王羲之の書を真似して練習したそうです。
そして、真言宗の祖師7人の肖像画「真言七祖像」に
空海が書いた文字は、王羲之より古い時代の「飛白体」。
踊るような、絵のような書で、
「文字のシャーマニズム」と岡本氏は言っていました。
新体操のリボン芸のような飛白体、もはや文字の域を超えてます。
かすれの芸術、かっこえー。
新体操リボン芸のような 梵の字。
さらに空海が52歳のときに書いたとされる「益田池碑銘」(高野山霊宝館蔵)。
152行に、篆・隷・行・草・雑体と各種の書体が使われているそうです。
「月」の字は雫の落ちそうな三日月だし、「鳥」の字は歩き回りそう。
同時に、空海独自の草書体もあって、それがひらがなへの移行を
示唆している、とのことでした。
そう、9世紀には、まだひらがながなかったんですよねえ。
漢字を日本流のひらがなにアレンジしたのと、
中国経由の仏教を日本流にアレンジした歴史が重なって見えました。
結局のところ、中国文化をいかに受容するかという
長い葛藤の歴史があったんでしょうねえ。
「益田池碑銘」(高野山霊宝館蔵)。
当時の中国でもほとんど使われてなかった書体だとか。かっこえー。
上記のうち「益田池碑銘」以外は、上野の空海展に出ていますので、
私のように流してしまいませぬように。
このNHK「空海 至宝と人生」は3回続けて21日に再放送するようです。
私も第1回を見逃したので、見なくっちゃ。
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