『困ってるひと』(大野更紗著)で考えた
「中部経典Ⅱ」をようやく読了したので、「Ⅲ」が届くまでの合間に
話題の新刊を読みました。
『困ってるひと』(ポプラ社)というノンフィクションです。
著者は、これがデビュー作である大野更紗さん。
いろんなところで絶賛されていて、10万部超えだそうなので
ご存知の方も多いでしょう。
<アマゾンの紹介より>=====================
難病女子による、画期的エンタメ闘病記!
ビルマ難民を研究していた大学院生女子が、ある日とつぜん原因不明の
難病を発症。自らが「難民」となり、日本社会をサバイブするはめになる。
知性とユーモアがほとばしる、命がけエッセイ!!
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読み出したら止まらなくなっちゃって、1晩で読み終わりました。
まずは、肉体的に直接的にこんな地獄があるのか、と震え上がりました。
麻酔なしで筋肉を切り取ったり全身に電流を流す拷問のような検査を経て、
ようやく病名がわかったかと思えば、ステロイド投与で死の寸前までいったり、
お尻がパンパンに腫れ上がった挙句に組織がドロドロと1リットルも流出し、
お尻に巨大な空洞ができて座ることもできない……。
病、死、孤独、生といったことが、ユーモアをもって作品化されいて、
これは各所で絶賛されるわけだ、と思いました。
福祉制度についても大変に重要な示唆があるのですが、
まずはこの肉体的な苦しみが恐ろしかった。
しかも、地獄の宝くじに当たってしまったように突然のことで
自分が当たらない保証はどこにもないわけです。
でね、考えたのは、
このようにあからさまな「苦」に見舞われたとき、
仏教のどんな教えが少しでも苦を減じるだろうか、ということ。
私なんかは、たいした苦もなく、なぜ仏教ファンなのか不審に思いますが、
本当に死んだほうがましな苦のなかにいたら、どうでしょうか?
そんなことをつらつら考えていて、ふと思ったのですが、
経典に障がい者や死にかけた人って出てこなくないですか?
障がい者は出家できないと律で決まっていたのですが、
在家だって出てこないですよねえ。
たとえば、在家で「重病で死にそうだけど死ぬのが怖くて仕方ない」とか、
生まれながらに四肢が不自由でこのままじゃ餓死するしかないとか、
昔でいうところの「らい病」で村での生活は生き地獄であるとか、
そういう正味「困ってる人」がお釈迦さまに教えを請うて、
何らかの救いを得たという話は、初期仏典でも初期大乗仏典でも
見かけないように思います
(見かけたのに忘れてるだけかもしれませんが)。
その点で、テーリーガーター(『尼僧の告白』岩波文庫)が胸に迫るのは、
苦の海に溺れそうな女性が仏道に救われたリアリティがあるからだと思います。
でも、それとても、最大の不幸は、子供を目の前で失った母親の心の苦しみです。
http://ameblo.jp/nibbaana/entry-10540367825.html
いまでもインドに行くと、両手・両足がない人が、
物乞いをしながら路上にころがっていたりすると聞きます。
そういう人は、なぜ仏典に出てこないのでしょうか?
やっぱり初期仏教の在家はインテリや金持ちが中心だったからですかね。
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見解の密林、見解の見せ物、時間の無駄(中部71,72経)
「世界が永遠かどうか」「世界は無限かどうか」
「生命と身体は同一かどうか」「如来は死後存在するかどうか」。
よく知られているように、
こういったことについて、お釈迦さまは答えませんでした。
苦の消滅という目的のために、何ら役に立たないからです。
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(たとえば、如来が死後存在するまたはしない、というのは)
見解に捉われることであり、見解の密林、見解の難路、
見解の見せ物、見解の狂躁、見解の結縛であり、
苦をともない、困惑をともない、
(正しい悟りと涅槃のために役立たない)。
『原始仏典 中部経典Ⅱ』第72経「火ヴァッチャ経」(春秋社、浪花宣明訳)
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見解の密林、見解の見せ物、見解の狂躁、
という表現があまりにも秀逸なので
ここに記しておきました。
「朝まで生テレビ」とか、ネット上のどうでもいい議論とかは、
見解の見せ物なんでしょうね。
また、「ブッダはすべてを知る者」(一切覚者)か、
というと、なんとお釈迦さま自身が否定してるお経があるんですねー。
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(ヴァッチャ族の遍歴修行者に、「沙門ゴータマはすべてを知る者だ」
と聞いているがどうか、と質問されて)
「ヴァッチャよ、『沙門ゴータマはすべてを知る者であり、
眠っているときも、目覚めているときも、つねに途絶えることなく
智慧という洞察(智見)が現れているといって、残るところのない
智慧という洞察とを自称する』とこのように語る者は、
わたしについて真実を語っておらず、
わたしについて不実の偽りによって誹謗している」
同上、第71経「三明ヴァッチャ経」
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これについての註釈は、
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ブッダを、すべてを知る者(sabbannu. 一切覚者)と呼ぶことは
後世の南伝小乗仏教において定着しているが、
原始仏典においては見られず、ここでは、そのように呼ばれることを
ブッダ自らが否定している。
同上、71経の註
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「すべてを知る者」というのは、なんとなく「世界を創造した全知全能の神」
と同根の幻想のように思えますが、
俺はそういうのじゃないから、とお釈迦さまは言っているようです。
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お釈迦さま、新人にキレる(中部第67経、「舎利弗摩訶目連遊四衢経」)
引き続き、中部経典について(引用は『原始仏典 中部経典Ⅱ』春秋社より)。
阿含経中部第67経、「舎利弗摩訶目連遊四衢経」(新人の比丘への教説)は、
珍しいお経でした。お釈迦さまが、新人比丘を、追放しようとするのです。
あるときお釈迦さまは、シャカ族の村、チャートーマー村に滞在していました。
そこに、弟子のサーリプッタ(舎利弗)とモッガラーナ(目連)を統率者とする
500人の比丘が到着し、
「宿所を用意し、衣鉢を収めながら、高い声・大きな声をあげていた」。
それを聞いたお釈迦さまは、比丘たちを呼んで
「比丘たちよ、漁師が魚を獲るときのような、あなたたちの高い声、大きな声はなにか」
「比丘たちよ、去りなさい。わたしはあなたたちを放逐する。
あなたたちはわたしの前にとどまってはならない」と厳しい宣告をします。
しょんぼりと帰ってきた比丘たちを、シャカ族の人たちが見て、
お釈迦さまをなだめに行きます。
彼らはまだ出家して日が浅く、律に慣れてない、
もしここで世尊に会えなければ、還俗してしまうかもしれない、
とお釈迦さまを説得します。そしてこう言います。
「尊師よ、世尊は比丘僧団をお喜びください。
尊師よ、たとえば世尊が以前に比丘僧団を受け入れたように、
いまも同じように到来の比丘僧団を受け入れてください」
同族・シャカ族の人や梵天にそう言われて、
お釈迦さまは放逐を思いとどまり、
新人比丘が僧団生活をイヤになる4つのパターンについて説教します。
このお経を普通に読むと、
お釈迦さま、相当うんざりしているな……と感じます。
さすがに怒りはしなかったでしょうが、小さくキレてますからね。
前後のいくつかのお経を読むと、比丘教育の苦労がしのばれます。
第66経「加樓烏陀夷経」(ラトゥキカー鳥の譬喩)は、
「食事は1日1回」という規則に不満を持つ比丘の話です。
定められた食事時間以外に、せっかく在家信者が食事を供してくれたのに、
「世尊はそれを捨てよと言った。そんな些細なことはどうでもいいじゃないか」
と、不満を持つ比丘たちが登場します。
第68経「 娑鶏帝三族姓子経」(死後の行方の予言(授記))では、
出家したばかりの新人比丘に、
お釈迦さまが「清らかな行い(修行)を喜んでいるか」と話しかけると、
比丘たちは沈黙して答えないのです。3回尋ねても3回沈黙。
修行がイヤだったわけですね。
それで、お釈迦さまは初心を思い出させようとします。
あなたたちが出家したのは、王の命令でも盗賊の命令でもなく、
借金や生活苦から逃れるためでもなく、
苦の消滅を知りたいと思って自ら出家したのではなかったか?と。
第70経「阿湿貝経」(キーター山での教説)には、
「1日3食のほうが健康にいい!」と固執する
アッサジとプナッパスカという比丘が出てきます。
これらのお経から推測するに、お釈迦さまの生前から、
かなり僧団内で不統一や緩みが出てきていたようです。
緩むのは当然ですよね。
だって”釈迦教団”は急拡大したけれど、少人数ごとに各地で修行していて、
しかも教えも律も文字になってなくて口伝なんですから。
「律がひとつ増えました」とメーリングリストで通達するわけにいきません。
第65経でのお釈迦さま自身の滅びの予感は無理もないことです(昨日のメモ)。
お釈迦さまは亡くなるときに、
「アーナンダ、私は疲れた」「なすべきことはなし終えた」と言います。
ずっと傍で見ていたアーナンダが、やれることはやったんだ、というお釈迦さまの死に、人目もはばからずに号泣し続けたことや、
弟子たちが「とにかく文字に残さねば」ということで結集という大作業に
着手したことも、なにか別の意味を持って胸に迫ってきます。
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