釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~ -102ページ目

最古の仏伝?『ブッダ・チャリタ(仏陀の生涯)]

持ち歩き用の本として先日読み始めたのが、

『ブッダ・チャリタ(仏陀の生涯)』
(大乗仏典13 中公文庫 原実訳)です。


「ブッダ・チャリタ(仏所行讚)」は
詩人アシュヴァゴーシャ=馬鳴(めみょう)によって
紀元2世紀ごろに書かれました。
お釈迦さまの生涯を書いたものとしては
たぶん最古のものだと言われているそうです。


それこそお釈迦さまの座る椅子ひとつまで、これでもかという美文で描写され、
古代インドの絢爛豪華が目に浮かんで楽しめます。
詩ですし、お釈迦様像はそれなりに美化されてますが


お釈迦さまの追っかけにとって嬉しいのは、
ものすごいイケメンとして描かれていることです。

お釈迦さまが城を出て街をゆくと、
あらゆる女が窓に鈴なりになってワーワーキャーキャー
乳房もあらわに身もだえするあたりの描写は、
もうこっちまで身もだえしそうですよ。


本日は引用している時間の余裕がないので、これまでに致します。
文庫だし読みやすいですよ。


釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~


大乗仏典〈13〉ブッダ・チャリタ(仏陀の生涯) (中公文庫)



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創価学会と伝統仏教の葬式に出た

最近、親戚のお葬式に相次いで出席しました。
ひとつは従来の仏教式。もうひとつは創価学会の友人葬。
周りの親族の評判も含め、なかなか面白い経験でした。


まず従来の仏教式。
地方の禅宗系名門寺院が菩提寺で、斎場に住職さんが来てくださいました。
私などは「やっぱり仏教式の形式美はいいなあ」と思ったのですが、
一緒に出席した両親に聞くと、すこぶる評判が悪いのです。


まず、住職さんが、お寺の息子でなく、出家して修行した若い人でした。
その分、意欲的で勉強もしているのでしょう、
現代の映画などを引き合いに出して「今風」の法話をなさいました。
これが、年寄りの親族には「ありがたみがない」と映ったようなのです。


そして不評だったのが、やっぱり「戒名」でした。


住職「<誠>の字を入れさせて頂きました。
   聞くところによると、Aさんは非常に誠実に仕事にも取り組まれ・・・」
遺族「(内心の声)はあ? A爺は同族企業でロクに仕事もせずに、
   会社のカネを使い込んで女を作って、<誠>とは真逆だったんですけど」


住職「キリスト教に洗礼があるように、仏教には受戒があります。
   戒名によってAさんは、正式に仏教徒として仏門に入られて・・・」
遺族「(内心の声)えっ、そうなの? A爺はおよそ宗教に興味がなかったし、
   本人の許可もなく仏教徒にしちゃっていいのかなあ?」


住職「戒というのは、殺生をしない、嘘をつかない、浮気をしない、といった
   正しい人生を歩むという誓いでして・・」
遺族「(内心の声)遅いよ! 嘘も浮気もやり放題だったよ。
   生きてるうちに言ってやってほしかったね」


個人的には、お寺の当面のビジネスモデルとして戒名料は存続してほしいと
思っていますが、その私から見ても、やっぱ戒名は茶番だわ。
他の親族は、ストレートに「あんなんでカネ取るのか」と言ってました。
ああ、せっかく一般家庭から出家したご住職がお気の毒だ。


正直なところ、お坊さんのほうも「茶番だなぁ」と思いつつ、
仕方なく戒名を付けることもあるのでしょうか?
平安時代頃に、浄土思想が広まって、死ぬときに受戒されることで
浄土に行ける、ということで戒名が流行ったと言われてますよね?
ですが、
いかなる背景を説明されても、

一般の参列者は素朴に戒名の茶番性を感じてしまうと思いました。


そして、一方の創価学会の友人葬。
一緒に出た両親は、創価学会が大っ嫌いだったのですが、
葬式については、意外にも評判がよかったのです。


釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~

学会は、祭壇に花でなく 樒(しきみ)という常緑樹を供える。

この木は食べると死ぬ程度の有毒物質を含むらしいです。


親族しかいない寂しい葬式に、4人ぐらいの学会員が来てくれて
にぎやかしになったこと(お坊さんは来ません)。
その人たちが、ひたすら繰り返す「なんみょーほーれんげーきょー」が、
それなりに儀式らしいハーモニーであること。
地区の儀典長が読み上げる「故人の生涯」が、
故人をよく知らない出席者にも追悼気分を盛り上げてくれること。
戒名がないこと。
このあたりが、好評の理由でした。


「なんみょーほーれんげーきょー」の6拍リズムの良さが
法華経勝利の一因かなあ、などとも思いました。
例えば「なむあみだぶつ」じゃリズムの収まりが悪いですからね。



釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~

儀典長さんが読んだのは、法華経のお馴染み「方便品」と「如来寿量品」。

学会員の方は「なんみょーほーれんげーきょー」だけを500回ぐらい繰り返していました。

そんなわけで、学会よりは禅宗にシンパシーがある私としては
残念な結果に終わってしまいました。


インドで仏教が滅びてヒンズー教が生き残った一因として、
仏教は各家庭の冠婚葬祭などの儀式に食い込めなかった、
ということがよく挙げられます。
「葬式仏教」批判に応えて、なにか若者向けイベントなどをやる
お寺の努力も尊いとは思いますが、
同時に、「さすが仏教の葬式は素晴らしい」と言われるような
「葬式の洗練」も大事なんじゃないかなあ、と思いました。




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幸せがあると思うのが不幸の始まり(by みうらじゅん)

『よりみちパン!セ』という単行本のシリーズをご存知でしょうか。
元気のいい書き手が、中学生から大人まで読めるように
あるテーマを書き下ろす、志の高いシリーズです。


ところが版元の理論社が去年倒産しまして、宙に浮いた版権を、
このほどイースト・プレスという出版社が引き継ぐことになりました。


本日8月4日に、その復刊スタート記念対談があり、聞いてきました。
対談したのは反貧困活動家・湯浅誠さんと、慶応大教授の小熊英二さん。
ひいき目かもしれないが、湯浅さんは本当にクレバーだ。
そして小熊さんの本がなんであんなに厚くなるのかがわかった。


そのときに、『よりみちパン!セ』の目録+特別書き下ろしエッセイの
ちっちゃな無料冊子が配られました。
シリーズ筆者の数人がコラムを書いているのですが、
一番の名文はみうらじゅんさんだと思いました。
長さは他の人の3分の1ぐらいなのですが。


転載したら著作権侵害になるかなあと思いつつ、
無料冊子ですし、本の宣伝もすれば許してもらえるかな。下記が全文です。

釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~

みうらさんは京都生まれの仏像マニアで仏教ファン。
エロスクラップ芸術家でボブ・ディラン応援団日本支部です。
先ごろ出た『マイ仏教』は未読ですが、読んでみようかな。


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退屈はいけません

                     みうらじゅん


人生には若い頃と、そう若くない頃と、もう若くない頃の三段階があります。
それを誰しもが経験し、最終的には死んでいくわけです。


人生とはハッキリ言って、アッサリしています。


でも、ただ生きているだけではつまらないので人間は”幸せ”というものを

考え出しました。こうすれば幸せになれるとか、ああすればさらに幸せになれるとかそーゆー人生における目的です。いつの間にか人間は自らが考えた言葉なのに、幸せというものが本当にあると錯覚してしまいました。それが不幸の始まりです。


とにかく、退屈はいけません。退屈にならないように日々、心掛けること。

これが生きるということです。


生きると死にますがあまり気にすることはありません。
そもそも無だったのが無に返っていくことだけですから。


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「人生とはハッキリ言って、アッサリしています」。名言だな。



釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~ 正しい保健体育 (よりみちパン!セ)


パンセシリーズの2大名著は、みうらさんの『正しい保健体育』と
西原理恵子さんの『この世でいちばん大事なカネの話』。
というか、この2冊+αしか読んでない。




釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~ マイ仏教 (新潮新書)

先ごろ新潮新書から出た『マイ仏教』。




釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~ アウトドア般若心経


街にある漢字の写真で、脅迫状のように切り貼りした般若心経



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