創価学会と伝統仏教の葬式に出た
最近、親戚のお葬式に相次いで出席しました。
ひとつは従来の仏教式。もうひとつは創価学会の友人葬。
周りの親族の評判も含め、なかなか面白い経験でした。
まず従来の仏教式。
地方の禅宗系名門寺院が菩提寺で、斎場に住職さんが来てくださいました。
私などは「やっぱり仏教式の形式美はいいなあ」と思ったのですが、
一緒に出席した両親に聞くと、すこぶる評判が悪いのです。
まず、住職さんが、お寺の息子でなく、出家して修行した若い人でした。
その分、意欲的で勉強もしているのでしょう、
現代の映画などを引き合いに出して「今風」の法話をなさいました。
これが、年寄りの親族には「ありがたみがない」と映ったようなのです。
そして不評だったのが、やっぱり「戒名」でした。
住職「<誠>の字を入れさせて頂きました。
聞くところによると、Aさんは非常に誠実に仕事にも取り組まれ・・・」
遺族「(内心の声)はあ? A爺は同族企業でロクに仕事もせずに、
会社のカネを使い込んで女を作って、<誠>とは真逆だったんですけど」
住職「キリスト教に洗礼があるように、仏教には受戒があります。
戒名によってAさんは、正式に仏教徒として仏門に入られて・・・」
遺族「(内心の声)えっ、そうなの? A爺はおよそ宗教に興味がなかったし、
本人の許可もなく仏教徒にしちゃっていいのかなあ?」
住職「戒というのは、殺生をしない、嘘をつかない、浮気をしない、といった
正しい人生を歩むという誓いでして・・」
遺族「(内心の声)遅いよ! 嘘も浮気もやり放題だったよ。
生きてるうちに言ってやってほしかったね」
個人的には、お寺の当面のビジネスモデルとして戒名料は存続してほしいと
思っていますが、その私から見ても、やっぱ戒名は茶番だわ。
他の親族は、ストレートに「あんなんでカネ取るのか」と言ってました。
ああ、せっかく一般家庭から出家したご住職がお気の毒だ。
正直なところ、お坊さんのほうも「茶番だなぁ」と思いつつ、
仕方なく戒名を付けることもあるのでしょうか?
平安時代頃に、浄土思想が広まって、死ぬときに受戒されることで
浄土に行ける、ということで戒名が流行ったと言われてますよね?
ですが、いかなる背景を説明されても、
一般の参列者は素朴に戒名の茶番性を感じてしまうと思いました。
そして、一方の創価学会の友人葬。
一緒に出た両親は、創価学会が大っ嫌いだったのですが、
葬式については、意外にも評判がよかったのです。
学会は、祭壇に花でなく 樒(しきみ)という常緑樹を供える。
この木は食べると死ぬ程度の有毒物質を含むらしいです。
親族しかいない寂しい葬式に、4人ぐらいの学会員が来てくれて
にぎやかしになったこと(お坊さんは来ません)。
その人たちが、ひたすら繰り返す「なんみょーほーれんげーきょー」が、
それなりに儀式らしいハーモニーであること。
地区の儀典長が読み上げる「故人の生涯」が、
故人をよく知らない出席者にも追悼気分を盛り上げてくれること。
戒名がないこと。
このあたりが、好評の理由でした。
「なんみょーほーれんげーきょー」の6拍リズムの良さが
法華経勝利の一因かなあ、などとも思いました。
例えば「なむあみだぶつ」じゃリズムの収まりが悪いですからね。
儀典長さんが読んだのは、法華経のお馴染み「方便品」と「如来寿量品」。
学会員の方は「なんみょーほーれんげーきょー」だけを500回ぐらい繰り返していました。
そんなわけで、学会よりは禅宗にシンパシーがある私としては
残念な結果に終わってしまいました。
インドで仏教が滅びてヒンズー教が生き残った一因として、
仏教は各家庭の冠婚葬祭などの儀式に食い込めなかった、
ということがよく挙げられます。
「葬式仏教」批判に応えて、なにか若者向けイベントなどをやる
お寺の努力も尊いとは思いますが、
同時に、「さすが仏教の葬式は素晴らしい」と言われるような
「葬式の洗練」も大事なんじゃないかなあ、と思いました。
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