飛白体、雑体・・・書体芸術に感動(NHK「空海」第2回・名筆の誕生)
録画しておいたNHK・BSプレミアム「空海 至宝と人生」の
第2回「名筆の誕生」を見ました。
(8月21日・日曜 11:00~12:30に再放送します)
正直なところ、この番組で書家としての姿を知って初めて、
空海さんの凄さを実感しました。
宗教家としては最澄さんのほうが後世に与えた影響大という気もするけど、
宗教・芸術またがった空海さんはやはり尋常の才能ではないなと思いました。
私は書について知識ゼロだから、上野の「空海」展でも
ふーんと流しただけだったのですが、あれ凄いものなんですね。
番組では、空海の書の変遷を、書家の石川九楊さん・岡本光平さんが
解き明かします。
若い頃の「聾瞽指帰(ろうこしいき)」や、最澄宛ての手紙「風信帖」は、
中国の王羲之(おうぎし)にのっとったがっちり真面目な文字。
当時の知識人はみんな王羲之の書を真似して練習したそうです。
そして、真言宗の祖師7人の肖像画「真言七祖像」に
空海が書いた文字は、王羲之より古い時代の「飛白体」。
踊るような、絵のような書で、
「文字のシャーマニズム」と岡本氏は言っていました。
新体操のリボン芸のような飛白体、もはや文字の域を超えてます。
かすれの芸術、かっこえー。
新体操リボン芸のような 梵の字。
さらに空海が52歳のときに書いたとされる「益田池碑銘」(高野山霊宝館蔵)。
152行に、篆・隷・行・草・雑体と各種の書体が使われているそうです。
「月」の字は雫の落ちそうな三日月だし、「鳥」の字は歩き回りそう。
同時に、空海独自の草書体もあって、それがひらがなへの移行を
示唆している、とのことでした。
そう、9世紀には、まだひらがながなかったんですよねえ。
漢字を日本流のひらがなにアレンジしたのと、
中国経由の仏教を日本流にアレンジした歴史が重なって見えました。
結局のところ、中国文化をいかに受容するかという
長い葛藤の歴史があったんでしょうねえ。
「益田池碑銘」(高野山霊宝館蔵)。
当時の中国でもほとんど使われてなかった書体だとか。かっこえー。
上記のうち「益田池碑銘」以外は、上野の空海展に出ていますので、
私のように流してしまいませぬように。
このNHK「空海 至宝と人生」は3回続けて21日に再放送するようです。
私も第1回を見逃したので、見なくっちゃ。

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