日本の仏教が愛おしい(「日本霊異記」)
『原始仏典 中部経典』が1kgぐらいあって持ち歩けないので
バッグの中には文庫の『日本霊異記』(平凡社ライブラリー)が入っている。
仏教書としては、ほとんど両極端と言えるかもしれない。
原始仏典(=阿含経典)は、「これは5つに分類できる。すなわち」というような、
根が理系だと思われるお釈迦さまの理知的な教えが続く。
それに対して『日本霊異記』は、庶民のゆるゆる説話を集めたもの。
阿含経典でキュッとなった脳が、霊異記でほどける感じだ。
『日本霊異記』、正確には『日本国現報善悪霊異記』は、
平安時代の初期に、薬師寺の正体不明の僧・景戒によって編集された
日本に現存する最古の説話集である。
奈良時代にそこいらへんで聞き伝えられていた
「仏教にまつわる不思議な話」や「悪い行いでバチが当たった話」のような
116話を集めたもので、1つの説話は文庫本で1~5ページぐらい。
これがほんと、読んでいて楽しい。
嫁さんが実は狐だったんだけど恋しいとか、
母を邪険に扱った息子が狂って飢え死にしたとか、
悪いことをしたら牛に生まれて涙を流した死んだとか、
法華経をバカにしたら碁に負け続けた挙句に口が曲がったとか。
そして、各説話の最後に、
「畜生でもやはり恩を忘れないで恩返しをする。
まして立派な人間たるものが恩を忘れてよいものだろうか」
(上巻第7話、亀に助けられた話)といった、ご教訓がある。
黒澤明『夢』の「狐の嫁入り」。かなり苦しい映画だったけれども。
たとえば、さっき電車の中で読んだ
「孔雀王呪経の呪法を修め、不思議な力を得、現世で仙人となり、
空を飛んだ話」(第28話)。
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大和国葛木(奈良県御所市)に住む在家信者の役(えのう)優婆塞は、
「生まれつき博学で、常に仏法を信仰していた。
毎夜五色の雲に乗って大空の外に飛び、永遠の世界に遊び、
花一面の庭にいこい、長寿の気を吸った。
このため、よわい三十有余で、さらに岩窟に住み、葛の衣を着て、
松の葉を喰い、清い泉を身にあび、人間界のけがれをすすぎ、
孔雀王呪経の呪法を修め、不思議な術を悟った」
わー、この在家信者、やたら楽しそう。
彼は自由自在に鬼神を駆使できて、
「大和国の金峯山と葛木山との間に橋をかけろ」と言ったために、
神々は困り果てて、文武天皇のときに葛木山の一言主が人に乗り移り、
「役優婆塞は天皇を滅ぼそうとしている」と進言した。
で、天皇は怒って、彼を伊豆の島に流罪にした。
のちに、彼は仙人となって空を飛んで、朝鮮で虎の群れに混じって・・・・云々。
(『日本霊異記』(平凡社ライブラリー)原田敏明・高橋貢訳)
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ね、お釈迦さまが読んだら、「え~、なんと申しましょうか・・」と当惑確実でしょう。
堅くいえば「当時の日本の庶民が仏教をどのように受容したか」
ということなんだけど、もう仏教伝来のしょっぱなから、
”仏教? 外国から来たおまじない?”ぐらいの感覚だったようだ。
でも、この受容のされ方が、それはそれで愛おしい。
明治以降に、初期仏典が研究されるようになって、
そのあまりの違いにショックを受けた人たちのあいだで
「日本仏教は仏教じゃない」論まで持ち上がったそうだ。
けれども、日本なりの仏教があってお寺や仏像があったご縁で、
いま私はお釈迦さまと出会えたわけで、
よくぞ我が国が仏教国でいてくれたと感謝するほかない。
私が読んでいる平凡社ライブラリーは「東洋文庫」の改訂版で読みやすい。
ほかに「新潮日本古典集成」「講談社学術文庫」などなど、いくつもあって、
どれがいいかのかわからないけれど・・・。
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まだ見ぬ未来を追い求めるな(中部131経「吉祥なる一夜」)
本日は中部経典第131経「跋地羅帝経」(吉祥なる一夜。相当する漢訳はなし)。
このなかで、お釈迦さまが誦む「吉祥なる一夜」という偈は、
将来不安におののく私にとってギクリとするものでした。
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(「吉祥なる一夜」)
過去を振り返るな、
未来を追い求めるな。
過去となったものはすでに捨て去られたもの、
一方、未来にあるものはいまだ到達しないもの。
そこで、いまあるものを
それぞれについて観察し、
左右されずに、動揺せずに、
それを認知して、増大させよ。
今日の義務をこそ熱心にせよ、
明日の死を知り得る人はいないのだから。
死神の大軍勢と
戦わないという人はいないのだから。
このように熱心に禅定を行う人、
昼夜怠けぬ人、
その人こそが『吉祥なる一夜における、
心静まった行者』として語られる。
『原始仏典 中部経典Ⅳ』春秋社 第131経 長尾佳代子訳
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132~134経にも同じ偈が出てきて、
いろんな仏弟子がその意味を解説する形になっています。
「過去にこういうことがあった」「こう感じた」といったことに喜びを見出したりしない。
「未来にこういうことがあるだろう」「こう感じるだろう」
「こういうものがあるといい」「こう思おう」といったことに喜びを見出したりしない。
まだ見ぬもの得ようと心に願わない。
いまあるものを、見たり聞いたり感じたりしても
欲と貪りにがんじがらめになった認識を持たず、よろこばない。
というのが、おおまかな意味です。
これってすごい話ですよね。
「まだ見ぬものを得ようと心に願わない」というのは
「夢」の否定も同然で、
「夢を持て」大合唱の昨今にこんなこと言ったら袋叩きにされそう。
(私は「夢は別にない」ので、そう言うと、たいてい非難がましい目を向けられます)。
一方で、過去・未来に喜びを感じるだけでなくて、
去ってしまった過去を後悔したり根にもったり、
まだ見ぬ未来を恐れたり不安に思うことも、
同様に迷妄だと言っているのでしょう。
明日死ぬかもしれないのに、年金の心配なんかもうやめた!
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空海の法力伝説(BS朝日・新番組「知られざる物語 京都1200年の旅」)
BS朝日で、「知られざる物語 京都1200年の旅」という
面白そうな番組が始まりました。
(10月11日スタート、毎週火曜日 午後10時~)
歌舞伎役者の市川亀治郎が、京都を訪ねて、
”知られざる物語”を探求するらしいです。
http://www.bs-asahi.co.jp/kyoto1200/
第1回は、「東寺に隠された 空海の法力伝説」(10月11日/再放送10月25日)。
(番組HPより)
今も繁栄を誇る東寺と、今はなき西寺。果たしてその運命を分けたのは何だったのでしょう?
そこには、それぞれの寺の命運を背負った二人の僧がいました。
世界遺産・東寺には、仏教界・稀代の指導者「弘法大師・空海」。
西寺には、空海と自らの威信をかけて戦った「守敏」。なぜ、西寺は消えてしまったのか?
その謎を解く鍵が、この二人による「伝説の法力合戦」にあるといわれているのです。
わー、面白そう。法力合戦てなに?
ところが、番組を知ったのが放映後! 再放送を見なければ・・。
第2回(10月18日)は「清水寺の謎」だそうです。
清水寺は有名なわりに、どういうお寺だか知られてないですよね。
今後がちょっと楽しみな番組です。
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