釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~ -86ページ目

心中して成仏しよう(ETV特集 杉本文楽)

10月16日のNHK、ETV特集で、「杉本文楽」のドキュメンタリーをやっていた。
NY在住の写真家・アーティストの杉本博司さんが、
近松門左衛門の「曽根崎心中」をプロデュース・演出したもので、
今年8月に3日間だけ公演し、大変な評判となった。

わたしは公演は行きそびれたのだけれど、このETV特集だけでも見る価値がある。
NHKオンデマンドで見られるので、ぜひ。
http://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2011031091SC000/


というのは、この文楽、仏教的な要素がかなり色濃いのだ。


<公演HP、杉本さんのメッセージから抜粋>==========================

我が国においてエロスの問題、つまり色恋沙汰は、詩的関心事ではあっても、
長らく宗教的な関心事ではなかった。
しかし恋を心中によって成就させることによって、二人の魂が浄土へと導かれるという革命的な解釈が、
はじめて近松門左衛門によって披露されたのが、この人形浄瑠璃『曾根崎心中』である。


「恋を菩提の橋となし」と語られる第一段の「観音廻り」には、
死に行くお初が、実は観音信仰に深く帰依していたことが伏線として語られる。
初演当時、封建道徳に深く縛られていた恋する若い男女に、心中は爆発的に流行した。
この世で遂げられぬ恋は、あの世で成就される、と思わせる力がこの浄瑠璃にはあった。


江戸幕府は享保8年(1723)、「曾根崎心中」を上演禁止とし、
心中による死者の葬儀も禁止した。葬儀禁止は成仏妨害策である。

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釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~

昭和になって「曽根崎心中」が上映されるようになったけれども、
冒頭の「観音巡り」の部分がはしょられていたそうだ。
その部分を、杉本文楽では復活して、近松オリジナルの脚本で上映している。
「観音信仰」「死んで浄土で添い遂げる」という仏教的な伏線が
この心中物語の肝だ、という杉本さんの想いがあったからだろう。


釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~
杉本さんが京都・三十三間堂を撮った「Sea of Buddha(仏の海)」。

菩薩だからBuddhaじゃないよ、とは言いっこなし。



ETV特集を見ていると、仏教好きはシビれると思う。
最初に、暗い舞台の下からせりあがってくるのは国宝級と言われる十一面観音で、
十一面観音フリークの白洲正子から杉本さんが買い取った私物だとか。


観音巡り部分は従来上映されなかったシーンなので、
人間国宝の三味線の鶴澤清治さんが今回新たに作曲したという贅沢さ。
いろんなお寺の名前が出てくるので、「ラップ調なんかも使いながら」と人間国宝が言っていたが、
その名調子がとんでもなくカッコいい。


物語としては、親戚の醤油屋につとめる男が、遊女・お初との結婚を
親戚に反対され、友達に貸した金が戻ってこず・・・という、
けっこうしょうもない理由で心中に至るお話だ。
男が女を刺し殺して、自分も死ぬ。
色恋に執着したあげく、合意の上とはいえ殺生をして、
「必ず成仏できる」という言い草は、お釈迦さまが見たら失神するだろう。


けれども、遊女、三味線、南無阿弥陀仏の声、ゴーンという鐘の音、
うしろには神社の鳥居(!)という組み合わせに、
日本のわやくちゃな仏教的情緒をそそられたことは確かである。こればっかりは抗い難い。


ETV特集の最後に、フランス人が「パリで上映してほしい」と杉本さんに交渉に来ていて、
「仏教的な要素が素晴らしい」的なことを言っていた。
そういえば、フランスに留学した知人に聞いた話だが、
フランス人に「日本では殺人とかないでしょう?みんな座禅を組んでいるから」と言われたそうだ。



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不必要に人をケナしも褒めもしない(中部139経「無諍分別経」)

どこかに書いてあったけど、どのお経だったかなあ、と
どんどん忘れていってしまうのでガックリです。

しばらく、無粋な備忘録です。


「中部経典」第139経「無諍分別経」(心が乱れない生き方)



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(お釈迦さまのことば)


「また人は、称賛とはなにか、そして非難とはなにかを知るべきである。
それらを知ったうえで、称賛すべきではなく、非難すべきでもない。
ただ真理だけを知るべきである
」。


「さらに『生存に結びつけるものを捨てていない人々はみな、
苦しみをもち、悩みをかかえ、愁いをいだき、ひどい苦悩をもつ。
つまりかれらは間違った道を行く人たちである』といって、誰かを非難する。

(逆に、誰かを称賛する)。
修行僧たちよ、こういう場合が『真理の説示はなくて、称賛があり、非難がある』
というのである。


(こういう言い方をするのでなくて)


「『そういう楽しみの喜びに夢中になることは、苦しみをともない、愁いをともない、
 ひどい苦痛を伴う。つまり、これは間違った道である』といって、
 ただ真理のことばを説く


『原始仏典 中部経典Ⅳ』春秋社 139経 勝本華蓮訳

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何かを言うときに他人を引き合いに出さず、命題そのものスバリを語ろう。
これは心しておかねば・・・。
「○○してる人ってヒマだよね~」みたいな言い方は、

気持ちいいのでついやってしまうけれど。


同じ139経で、「方言に執着し、通称に関してあやまりを犯すな
ということも説かれています。
ある地方の人が「パーティ」(椀)と呼ぶ同じものを、他の地方では「パッタ」(椀)
と呼び、「ヴィッタ」(うつわ)と呼び、「サラーヴァ」(皿)と呼ぶ。
でも、「自分の使う名称に執着せずに、『この尊者たちはきっとこれのことを
言っているらしい』と考えて、その地方の呼び名に従って話す
べきである

と説かれています。インドは方言が多いから大変だ。


「わかるように言葉で伝える」ことを、お釈迦さまは放棄しないんですね。
「真理は言葉で表せない」などと投げてしまわないで、
もし表せないとしても、言葉と論理でギリギリ肉薄しようとするのが、
お釈迦さまの態度であったように思います。


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アユタヤで一番美しいお寺が洪水でやられた映像

ご存知のとおり、アユタヤが洪水に見舞われている。
2009年にアユタヤの寺回りをしたので、お寺が冠水していないか心配で
調べたら、やっぱり冠水していた。

しかも、アユタヤの中で一番美しかったワットチャイワッターナーラームが。
川のすぐそばだったからなぁ・・・。


釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~

小ぶりなアンコールワット風で一番感動した


タイ在住の方が、現地「Nation Channel」の、
冠水したお寺のニュース映像をブログにアップしていた。

http://77.nationchannel.com/playvideo.php?id=178028


(出典 http://ameblo.jp/thailand-ryokou-guide/entry-11038586891.html



(現地新聞「バンコク週報」10月5日)==================


中部アユタヤ県で10月4日、チャオプラヤ川沿いの世界遺産チャイワタラナム寺に防水堤を越えて水が流れ込み、約16ヘクタールに及ぶ敷地全体が冠水した。

水かさは約2メートルに達している。

 プラナコンシーアユタヤ郡に位置する同寺院では、長年にわたり雨期の洪水に備えて対策が講じられてきた。今年も遺跡を洪水から守るため、人の背丈を超える防水堤を築き、芸術局の職員などが交代で24時間監視し、水漏れを修理していたが、チャオプラヤ川の水位上昇が止まらず、
大量の水が流れ込み、10分足らずで寺院敷地全体が浸水してしまったとのことだ。

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完全な遺跡で、お坊さんもいないので人的被害はなさそうだけれど、
水でお寺が削られてしまわないか心配だ。


アユタヤでは、子連れのトゥクトゥクにお世話になって、
7歳ぐらいの男の子が手をつないで遺跡を案内してくれた。
靴を履いていなかった。
おやつに果物を買ったら合掌してくれて、トゥクトゥクの荷台で一緒に食べた。
あの親子は無事だろうか・・・。


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