勝手に考案、プールで水中歩行瞑想
スマナサーラ長老のヴィパッサナー瞑想講座に行ったとき、
初心者が一番取り組みやすいのは「歩行瞑想」とのことだった。
でもほとんど実行していない・・。
時間と真剣味が足りないのが一番だけれど、意外と困るのが歩く場所。
家だと狭くてつまらないし散らかってるし、
公園などでスローモーションで歩いているのも変な人だし。
前から、たまにプールに泳ぎに行っていたのだが、
ふと思ったのは、ここで歩けば一石二鳥じゃないの、と。
プールなら、超ゆっくり歩いている人がいても誰も不審に思わない。
そこで、邪道だわと思いつつも、水中歩行瞑想をやってみている。
これが意外と、いい感じなのだ。
自然とスローモーションになるし、水の抵抗で身体を意識しやすいし、
裸足なので「右足つきます」「右足離れます」という脳内実況中継も集中しやすい。
なにより、すごく気持ちがいい。
私の勝手な考案なのでお勧めはしませんよ。
誰か水中歩行瞑想してる人っていないのかなあ、と検索してみると、
ヒットしたのが以下のサイト。プールで歩行瞑想しているのだという。
真言宗の木下全雄さんというお坊さんのサイトで、
なんとテーラワーダ仕込みの瞑想を朝日カルチャーセンターで教えてらして、
「五戒を守る僧侶の会」の代表だった。
こんなにちゃんとした方がやっているなら、
私の思いつきもあながち邪道でもないのかしら?
あと、スマナサーラ長老は、最初に、結跏趺坐で微動だにせず、
「死体になりきってください」と言ってらした。
これを応用して、プールに浮いて「溺死体」になりきってみた。
あんまりやると監視員が飛んできそうだ。
調子にのって、インドの暑さに見立ててサウナで10分ほど全裸座禅をやってみた。
気持ちよかったけれど、ただでさえサウナは身体に悪いのでこれは危ないかな。
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よくわからなかった「空」の話(中部121経「小空経」)
3連休なのに、あまり本を読む時間がありません。
家事・雑事に追われながら、ふと「もっとも仏教的な家事はなにか」と考えて、
「アイロンがけではないか?」と思ったのですが、いかがでしょうか。
放逸から静寂がたちあがってくる感じがね。
本日は中部経典・第121経「小空経」(空についての短い経)。
出たな、「空」。
日本では般若心経ばやりのために、仏教というと「空」がすぐ連想されますが、
阿含経典(初期仏典)の中には、数箇所にしかこの言葉は出てきません。
ただ、何においても固定的な実体はない、何もかも相対的な関係性で決まる、
という「縁起」を拡大発展して新味のある言葉に置き換えたのが「空」で、
基本的に同一線上のものだと(今の時点では)私は理解しとるのですが、
そういう話でいいのでしょうか?
ですが、「小空経」の「空」は、なんだかその「空」とは意味が違うような・・・。
わからないので、備忘録として一部を引用だけしておきます。
「アーナンダよ、私はこのごろよく空の状態にいる」というお釈迦さまの言葉から、
アーナンダとお釈迦さまが「空」について対話します。
以下は、お釈迦さまの言葉です。
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「たとえば、このミガーラ母の講堂は、
象・牛・雄馬・雌馬については空で、金銀については空で、
女や男の集まりについては空で、ただ次の『空でない状態』がある。
すなわち、比丘僧伽ただひとつに起因するものである」
ちょうどそのように、アーナンダよ、比丘は村の観念に心を向けるのではなく、
人間の観念に心を向けるのではなく、森林の観念ただひとつに心を向ける。
かれの心は森林の観念に跳び込み、満足し、落ち着き、集中する。
かれは『村の観念に起因するような煩いはここにはなく、
ただ次の煩いだけがある』と知る。
かれは『ここに観念としてあるものは村の観念については空である』と知り、
『ここに観念としてあるものは村の観念については空である』と知り、
『ここに観念としてあるものは人間の観念については空である』と知り、
『ただ次の(空でない状態)がある。
すなわち、森林の観念ただひとつに起因するものである』と知る。
このように、XにないものについてXは空であると理解し、
一方、Xに残っている、あり続けているものを『これがある』と知る。
このようにして、アーナンダよ、かれには『空である状態』が現実に、
紛れもなく、完璧な形で生起する」
(以下、同様の記述が繰り返される)
『原始仏典 中部経典Ⅳ』(春秋社)第121経 山本充代訳
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「空でない状態」って、なに・・・?
春秋社版にはあまり解説がないのですが、片山一良先生版にはあるのかな。
この「小空経」については、けっこう論文も書かれているようです。
安直にネットで探した範囲だと、
ヴィパッサナー瞑想と絡めて解説した論文とかがありましたが、
これがまた私の頭ではわからない。
今後の課題ということで、とりあえず逃亡します。
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誤ったことで生計を立てている(中部経典第117経「聖道経」)
本日は中部経典第117経「聖道経」(優れた四十の効果)。
これは、お釈迦さまが、悟りへの道の大基本「八支聖道(八正道)」
「正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念および正定」
を解説するお経です。
このなかで、「正しい生計」と訳されている項目(4つ目の正命)は、
ものすごく耳が痛かったです。
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「では、比丘たちよ、誤った生計とは何か。
もったいぶって(人の歓心を買ったり)、口先で丸め込んだり、
遠回しに何かをねだったり、人を貶めたり、
利益によってさらなる利益を追求すること――これが誤った生計である。
『原始仏典 中部経典Ⅳ』(春秋社)第117経 山本充代訳
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いたたたた、耳が痛すぎる。
「この新製品は実は前のバージョンと大して変わってないんですよ」とか
「この投資信託は、内容を理解できない人にはお勧めしません」とか
本当のことを言って商売になればハッピーだけれど、
多くの仕事は、たいして必要ないものを買わせることで回っている
(とくに先進資本主義国ではね)。
街を歩いても書店に行っても、本心ではない言葉の瓦礫に呆然とします。
瓦礫を築くことに私はいつまで耐えられるだろうか。
現代語訳の註には、「もったいぶって~」以降の具体例は、
Visuddhimagga(清浄道論)を参考にした、とありました。
「清浄道論」は、パーリ仏典の注釈者・ブッダゴーサ(仏音)が
5世紀頃にスリランカで作った、修行法を詳説したもの。
これの現代語訳をして公開している奇特な方を発見しました。
http://cms.j-theravada.net/tipitaka/
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