お釈迦様が思いついたことと、それ以前から言われてること
すっごい久しぶりにブログを開いた。
細々と読んでいる仏教本は、ふりだしに戻って、
というかふりだし以前に戻って仏教以前のことを少し…。
仏教のなかで、すでにお釈迦さま以前にあった思想はどこで、
お釈迦さまが思いついたのはどこなのか?
『新アジア仏教史01 仏教出現の背景』(佼成出版社)に戻って
「第3章 宗教の起源と展開」(片岡啓先生)のを再読して、
それから『ウパニシャッド』(辻直四郎先生、講談社学術文庫)を読んだ。
後者は、戦前に出たとんでもなく昔の本なので、
今の研究で変わってるところはあるかもしれないけど、
ウパニシャッド入門書としてわかりやすかった。
それから『原典訳ウパニシャッド』(岩本裕先生、ちくま学芸文庫)
ってのも買ってみた。
古代ウパニシャッド(紀元前8世紀~4世紀)
ウパニシャッド=「近くに座す」の意=師弟間で伝授する秘密の教義
ウパニシャッドというと、いちおう”ヴェーダの伝統の上に成立”とされてるし、
梵我一如(ブラフマン、アートマン)というところは仏教と対極にあるような
イメージがある。
でも、実際は仏教のけっこうな部分がウパニシャッド(あるいはもっと古いヴェーダ)
にすでに書かれている。
たとえば… (メモに間違いがあるかも。間にうけないでください)
・人は何度も生まれて死ぬ(輪廻する)。でも何度も死ぬのはイヤだ。
なんとかそこから抜け出して不死になりたい(リグ・ヴェーダ~)
・死後は天界(極楽みたいなところ)に行きたい。(リグ・ヴェーダ~)
・でも悪いことをすると地獄に堕ちる(アタルヴァ・ヴェーダ~)
・祭式による果報ではなくて、知識によって解脱(不死)できる
(古ウパニシャッド、以下同じ)
・死後のコースは2つある。(ニ道説)
神道=苦行・禁欲・知識によって梵界に到達して2度と生まれない
祖道=良い行いをすると善業によって来世はいいところに生まれる
・解脱をさまたげ、輪廻せざるをえない原動力は「業」である。
(アールタバーガがヤージュニャヴァルキヤに問うと、
ヤーさんはアーさんを人のいないところに連れていって、
「それは業だよ」と、秘密を明かした)
・解脱するためには、感覚を制御し、欲望を絶滅すべし
うーむ。お釈迦様が言ってること(=初期仏典に書いてあること)の
半分ぐらいは、それ以前に思いつかれていた模様。
それどころか、大乗仏教の「浄土」とか、密教の「秘密」「大日如来との一体化」も
ヴェーダ→ウパニシャッドに出てくるような…。
そうすると、お釈迦様オリジナルの部分というと
・無我or非我(アンアートマン)
・縁起(?)
・秘密にしないで誰にでも明かす
っていうあたりになるのだろうか?
まだ学習途中なので、自信はありませんが。

ウパニシャッド (講談社学術文庫)

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細々と読んでいる仏教本は、ふりだしに戻って、
というかふりだし以前に戻って仏教以前のことを少し…。
仏教のなかで、すでにお釈迦さま以前にあった思想はどこで、
お釈迦さまが思いついたのはどこなのか?
『新アジア仏教史01 仏教出現の背景』(佼成出版社)に戻って
「第3章 宗教の起源と展開」(片岡啓先生)のを再読して、
それから『ウパニシャッド』(辻直四郎先生、講談社学術文庫)を読んだ。
後者は、戦前に出たとんでもなく昔の本なので、
今の研究で変わってるところはあるかもしれないけど、
ウパニシャッド入門書としてわかりやすかった。
それから『原典訳ウパニシャッド』(岩本裕先生、ちくま学芸文庫)
ってのも買ってみた。
古代ウパニシャッド(紀元前8世紀~4世紀)
ウパニシャッド=「近くに座す」の意=師弟間で伝授する秘密の教義
ウパニシャッドというと、いちおう”ヴェーダの伝統の上に成立”とされてるし、
梵我一如(ブラフマン、アートマン)というところは仏教と対極にあるような
イメージがある。
でも、実際は仏教のけっこうな部分がウパニシャッド(あるいはもっと古いヴェーダ)
にすでに書かれている。
たとえば… (メモに間違いがあるかも。間にうけないでください)
・人は何度も生まれて死ぬ(輪廻する)。でも何度も死ぬのはイヤだ。
なんとかそこから抜け出して不死になりたい(リグ・ヴェーダ~)
・死後は天界(極楽みたいなところ)に行きたい。(リグ・ヴェーダ~)
・でも悪いことをすると地獄に堕ちる(アタルヴァ・ヴェーダ~)
・祭式による果報ではなくて、知識によって解脱(不死)できる
(古ウパニシャッド、以下同じ)
・死後のコースは2つある。(ニ道説)
神道=苦行・禁欲・知識によって梵界に到達して2度と生まれない
祖道=良い行いをすると善業によって来世はいいところに生まれる
・解脱をさまたげ、輪廻せざるをえない原動力は「業」である。
(アールタバーガがヤージュニャヴァルキヤに問うと、
ヤーさんはアーさんを人のいないところに連れていって、
「それは業だよ」と、秘密を明かした)
・解脱するためには、感覚を制御し、欲望を絶滅すべし
うーむ。お釈迦様が言ってること(=初期仏典に書いてあること)の
半分ぐらいは、それ以前に思いつかれていた模様。
それどころか、大乗仏教の「浄土」とか、密教の「秘密」「大日如来との一体化」も
ヴェーダ→ウパニシャッドに出てくるような…。
そうすると、お釈迦様オリジナルの部分というと
・無我or非我(アンアートマン)
・縁起(?)
・秘密にしないで誰にでも明かす
っていうあたりになるのだろうか?
まだ学習途中なので、自信はありませんが。

ウパニシャッド (講談社学術文庫)

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いろんな馬の年賀状がなぜ「馬」とわかるのか?
年賀状にいろんな馬が描いてある。
それぞれは全然違うのに、「あ、馬だよね」と思うのであって、
「なんで牛なんだ?」ましてや「蛇なんだ?」とか、
「この絵は一体なに?」と首をかしげたりもしない。
じゃあ普遍的な「馬」なるものがいるかといえば、
そんなもんはいない、「馬」というグループ化は虚妄である、
みたいなことが仏教、特に龍樹さんの言う「空」なんですよね?
ここまでは理解できます。
では翻って、なんで「馬」ってわかっちゃうんだろうか。
子供の頃、たぶん10頭ぐらいの馬の写真や絵を見た段階で、
これは牛でも蛇でも花でも茶碗でもない
「馬」というグルーピングが完了してしまう。
虚妄というには妥当すぎるパターン認識は、
なんでできちゃうのだろうか…。
そういうことを含めて真剣に考えた人たちのことが書かれた
『シリーズ大乗仏教9 認識論と論理学』を読んでいる。
代表格がディグナーガ(陳那)とダルマキ-ルティ(法称)。
この巻は読んでもわからないだろうな、と思ったが、
本当にわからなかった!
目次はこれです。
第一章 仏教論理学の構造とその意義(桂紹隆)
第二章 存在論―存在と因果(稲見正浩)
第三章 認識論―知覚の理論とその展開(船山徹)
第四章 論理学―法称の論理学(岩田孝)
第五章 真理論―プラマーナとは何か(小野基)
第六章 言語哲学―アポーハ論(片岡啓)
第七章 全知者証明・輪廻の証明(護山真也)
第八章 「刹那滅」論証―時間実体(タイム・サブスタンス)への挑戦(谷貞志)
私はわからんかったけれど、
哲学好きの人にはたぶんとっても面白いと思います。

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それぞれは全然違うのに、「あ、馬だよね」と思うのであって、
「なんで牛なんだ?」ましてや「蛇なんだ?」とか、
「この絵は一体なに?」と首をかしげたりもしない。
じゃあ普遍的な「馬」なるものがいるかといえば、
そんなもんはいない、「馬」というグループ化は虚妄である、
みたいなことが仏教、特に龍樹さんの言う「空」なんですよね?
ここまでは理解できます。
では翻って、なんで「馬」ってわかっちゃうんだろうか。
子供の頃、たぶん10頭ぐらいの馬の写真や絵を見た段階で、
これは牛でも蛇でも花でも茶碗でもない
「馬」というグルーピングが完了してしまう。
虚妄というには妥当すぎるパターン認識は、
なんでできちゃうのだろうか…。
そういうことを含めて真剣に考えた人たちのことが書かれた
『シリーズ大乗仏教9 認識論と論理学』を読んでいる。
代表格がディグナーガ(陳那)とダルマキ-ルティ(法称)。
この巻は読んでもわからないだろうな、と思ったが、
本当にわからなかった!
目次はこれです。
第一章 仏教論理学の構造とその意義(桂紹隆)
第二章 存在論―存在と因果(稲見正浩)
第三章 認識論―知覚の理論とその展開(船山徹)
第四章 論理学―法称の論理学(岩田孝)
第五章 真理論―プラマーナとは何か(小野基)
第六章 言語哲学―アポーハ論(片岡啓)
第七章 全知者証明・輪廻の証明(護山真也)
第八章 「刹那滅」論証―時間実体(タイム・サブスタンス)への挑戦(谷貞志)
私はわからんかったけれど、
哲学好きの人にはたぶんとっても面白いと思います。

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なぜインドで仏教は亡んだのか?
仏教のような素晴らしい教えを生み出したインドで、
なぜそれがほとんど滅亡しちゃったのか?
これは仏教ファンにとって大きな疑問だ。
教科書的には「イスラム教徒が攻めてきて仏教を滅ぼした」
みたいに言われるのだけれど、どうもコトはそう単純ではないらしい。
そのことを書いていて面白かったのが、
『シリーズ大乗仏教10 大乗仏教のアジア』
第5章「イスラームと大乗仏教」(保坂俊司先生)。
同書によると、
インドで、かつて仏教が盛んだった地域にイスラム教徒が多い。
どうも仏教徒がイスラムに集団改宗するような事態もあったらしい。
インドにおいて仏教は最大の異端宗教=アンチ・ヒンドゥーの役割を
果たす宗教で、その役割がイスラムにとって代わられた、
というのが著者の見立てだ。
このことを、
仏教とイスラムの接点を示すイスラム最古の文献『チャチュ・ナーマ』
(7世紀の西北インドのことが記されている)などをもとに
解き明かしている。
『チャチュ・ナーマ』には、こんな記述が出てくるとか。
・積極的にムスリム軍に協力する仏教僧
(ヒンドゥー教の王が治める街をイスラム軍が攻撃したとき、
僧たちは王に意見書を出し「私たちの宗教は殺生はできない」として
降伏を進言する。
王が戦争を強行しようとすると、今度はイスラム軍に使者を送り、
「私たちは王を守るものではないし、あなた方に歯向かわない」
として、城門を開き、イスラム軍を受け入れた。王は逃走した)
・仏教徒がイスラム教に集団改宗した事例が挙げられている
(ある街の長老的仏教僧が、寺の中にモスクを建てて
イスラムの祈りを捧げた)
イスラム側の史料だということを差し引いても、
単に「イスラムが暴力で仏教を滅亡させた」というのとは様相が違う。
で、保坂先生の見立てでは
・その背景には、インド化したイスラムである「スーフィー思想」がある
(神人合一=「私は神の愛により、神と一体となる」
「我は真実なり、あるいは我は神なり」)
インド人もこれなら改宗しやすいでしょう。
というか、そもそもスーフィズム自体が、ウパニシャッドの梵我一如や
華厳哲学の影響を受けてるらしい。
あと面白かったのは…
仏教がなんでヒンドゥー濃度の高い密教に変貌したのか、
という疑問に対して、ひとつの要因として
イスラムが攻めてきて一種のナショナリズムみたいな感じで
インドが伝統回帰した、という推測が挙げられている。
他者が来ると、身を守るかのように伝統に回帰したくなるというのは
今の世界や日本を見てもよくあることだし、
そういうこともあったのかなあと思った。
まとめて言うと
「仏教は13世紀初頭のイスラーム軍の攻撃で壊滅したわけではなかったが、
しかし大きな打撃を受け、さらにセーナ朝の保守化政策によって窮地に
立たされ、結果としてインド化したイスラーム、つまりスーフィー思想を
経由してイスラームへの改宗という道を通じて、実質的に消滅していったと
推測されるのである」(同書より)。
詳しくは、保坂先生の単著がある。
『インド仏教はなぜ亡んだのか―イスラム史料からの考察』(北樹出版)

インド仏教はなぜ亡んだのか―イスラム史料からの考察
専門書なのに、タイトルの書体がなぜこんなにファンキーなのだろうか?

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なぜそれがほとんど滅亡しちゃったのか?
これは仏教ファンにとって大きな疑問だ。
教科書的には「イスラム教徒が攻めてきて仏教を滅ぼした」
みたいに言われるのだけれど、どうもコトはそう単純ではないらしい。
そのことを書いていて面白かったのが、
『シリーズ大乗仏教10 大乗仏教のアジア』
第5章「イスラームと大乗仏教」(保坂俊司先生)。
同書によると、
インドで、かつて仏教が盛んだった地域にイスラム教徒が多い。
どうも仏教徒がイスラムに集団改宗するような事態もあったらしい。
インドにおいて仏教は最大の異端宗教=アンチ・ヒンドゥーの役割を
果たす宗教で、その役割がイスラムにとって代わられた、
というのが著者の見立てだ。
このことを、
仏教とイスラムの接点を示すイスラム最古の文献『チャチュ・ナーマ』
(7世紀の西北インドのことが記されている)などをもとに
解き明かしている。
『チャチュ・ナーマ』には、こんな記述が出てくるとか。
・積極的にムスリム軍に協力する仏教僧
(ヒンドゥー教の王が治める街をイスラム軍が攻撃したとき、
僧たちは王に意見書を出し「私たちの宗教は殺生はできない」として
降伏を進言する。
王が戦争を強行しようとすると、今度はイスラム軍に使者を送り、
「私たちは王を守るものではないし、あなた方に歯向かわない」
として、城門を開き、イスラム軍を受け入れた。王は逃走した)
・仏教徒がイスラム教に集団改宗した事例が挙げられている
(ある街の長老的仏教僧が、寺の中にモスクを建てて
イスラムの祈りを捧げた)
イスラム側の史料だということを差し引いても、
単に「イスラムが暴力で仏教を滅亡させた」というのとは様相が違う。
で、保坂先生の見立てでは
・その背景には、インド化したイスラムである「スーフィー思想」がある
(神人合一=「私は神の愛により、神と一体となる」
「我は真実なり、あるいは我は神なり」)
インド人もこれなら改宗しやすいでしょう。
というか、そもそもスーフィズム自体が、ウパニシャッドの梵我一如や
華厳哲学の影響を受けてるらしい。
あと面白かったのは…
仏教がなんでヒンドゥー濃度の高い密教に変貌したのか、
という疑問に対して、ひとつの要因として
イスラムが攻めてきて一種のナショナリズムみたいな感じで
インドが伝統回帰した、という推測が挙げられている。
他者が来ると、身を守るかのように伝統に回帰したくなるというのは
今の世界や日本を見てもよくあることだし、
そういうこともあったのかなあと思った。
まとめて言うと
「仏教は13世紀初頭のイスラーム軍の攻撃で壊滅したわけではなかったが、
しかし大きな打撃を受け、さらにセーナ朝の保守化政策によって窮地に
立たされ、結果としてインド化したイスラーム、つまりスーフィー思想を
経由してイスラームへの改宗という道を通じて、実質的に消滅していったと
推測されるのである」(同書より)。
詳しくは、保坂先生の単著がある。
『インド仏教はなぜ亡んだのか―イスラム史料からの考察』(北樹出版)

インド仏教はなぜ亡んだのか―イスラム史料からの考察
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