あのショペン先生の”仏教考古学”も!『大乗仏教のアジア』
春秋社の面白すぎる「シリーズ大乗仏教」全10巻も9冊までがリリースされた。
巻数でいうと10巻にあたる『大乗仏教のアジア』を読んでいる。
どの章も面白そうなんだけど、何がいいって、
第1章にグレゴリー・ショペン先生の抄訳がのってることです。
(「仏教文献学から仏教考古学へ」)。
論文での引用具合から見ても、たぶん今の最重要人物の一人と思しき
ショペン先生。だいたい「衝撃を与えた…」とかって書いてあって、
何が衝撃かと言うに、仏典などの文献でわかる仏教の姿と、
碑文や遺跡などでわかる仏教の姿がかなり違う!ということらしい。
「少数の教育を受けた、もっぱら男性の、明らかに特殊な専門家の
小グループ(出家僧たち)が書き残した文献ではなくて、むしろ、
ある特定のコミュニティのあらゆる階層の宗教的な人々が実際にしたこと、
いかに生きたかに、宗教考古学は関わるのである」(同書より)。
要するに、私たちは今、スッタニパータとかダンマパダとか、
もろもろを読んで感動するわけだけど、
それらは一部のインテリ出家僧(男)が口伝→書写したもので、
庶民を含めた現実の仏教の信じられ方は全然違うんじゃないですかい?
というのが仏教考古学でわかるというわけだ。
(その事実と、現代の私たちが仏典にどう向き合うかは、
また別の問題としてそれぞれにあると思うけれども)
この本に載っているのは、仏舎利を収めたストゥーパの周りに
無数の匿名の遺骨・遺灰をおさめた小ストゥーパ(お墓)が
密集している、という話。
乱暴に言えば、古代インド時代から"葬式仏教”の側面はあって、
お釈迦さまの骨の近くに埋葬されれば、天に生まれ変われる、
というような信仰があったという。
それから、お釈迦さまの遺骨は、「生きているブッダ」として
信仰されてきたことが、いろんな証拠でもって示されている。
そう考えると、後に法身だとか阿弥陀仏だとか、
「今も仏はいる」という話になったのは自然な流れなのかも。
ショペン先生の書いたものの日本語訳は、
超絶面白かった『大乗仏教興起時代 インドの僧院生活』(春秋社)以来、
この「シリーズ大乗仏教」10巻しかないと思うのだけれど、
できればバンバン邦訳してほしい!
売れないかもしんないけど、どこかの版元さん、よろしくお願いします!
女性は阿弥陀仏より阿閦仏を信じるほうがいいかもね
西方にある阿弥陀仏の浄土は超有名だけれど、
ぜんぜんマイナーなのが東方にある阿閦仏(あしゅくぶつ)の仏国土「妙喜世界」だ。
阿閦は「揺れ動かない」の意味で、
「阿閦仏国経」のほか、維摩経とか法華経とかにも少し出てくるのだけど、なぜかあまり人気が出なかった如来である
(密教では一時、とてもメジャーだったそうだけど)。
仏像だと、東寺の五重塔内にいらしゃるそうだ(ふだんは非公開)。
私も名前ぐらいしか知らなかったけど、
『シリーズ大乗仏教5 仏と浄土』(春秋社)の5章、
「阿閦仏とその仏国土」(著:佐藤直美先生)を読んで、
なかなか面白い仏さまだと知った。
(以下は同書からのメモ)
大乗仏教初期の「阿閦仏国経」によると、
阿閦仏はもともと大目(広目)如来(誰それ!?)が主宰する
妙喜世界に住む一介のお坊さんだったのが、修行して悟りを開き、
大目如来から妙喜世界を引き継いだ。仏国土って引き継げるんだ!?
で、菩薩時代の阿閦さんが立てた請願というのが、これまた面白い。
同書では16個挙げてあるが、
・言った如くに行う
・生まれ変わるたびに出家する
・他人を誹謗しない
・女性を誘惑するような仕草で説法しない
・夢精しない
・人に夢精させない
・妙喜世界に再生した女性には女性特有の欠点がなくなる
などなど。
ふつうのお坊さんの戒・律みたいなのがほとんど。
阿弥陀仏のような「すべての人を救済する!(ただし五逆罪は除く)」というような、大掛かりな請願じゃないんですよね。
「人に夢精させない」ってちっちゃすぎる請願な気もするけど…。
で、注目すべきは、
「妙喜世界に再生した女性には女性特有の欠点がなくなる」。
なんと、阿閦仏の仏国土には、女性も女性のまま行けるんですって。
阿弥陀仏の仏国土は、女も行けるけど、浄土に行くと男になっちゃうんですよね。(もし彼女らがその生が尽きたあとでふたたび女性の姿をとるならば、わたくしは完全なさとりを獲得しません。『無量寿経』阿弥陀の第35願)
要するに、阿弥陀の極楽浄土には女はない。
でも阿閦仏の妙喜世界には、ふつうに女がいる。
しかも、阿閦仏の仏国土にいる女は、
月経・妊娠・出産という苦しみがないそうです。更年期!?
阿弥陀仏の国には男装のオナベばっかりいて、
阿閦仏の国には上がっちゃった美魔女ばっかり?
仏教が女性差別的かどうかはよく問題になることだけど、
私は妙喜世界に行きますんでどうぞお構いなく、
ということも言えるかもしれないなー。
それから「大阿弥陀経」では阿弥陀仏も死んじゃうのだけれど、
「阿閦仏国経」で阿閦仏も死んじゃうそうです(般涅槃する)。
しかも、結跏趺坐で瞑想したまま、身体を空中に浮かび上がらせ、
身中から火を出して身体を燃やし尽くすと。
そのあと、妙喜世界は香象菩薩(誰それ!?)が引き継ぐんだとか。
いやー阿閦仏、面白い。

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みんなほんとは輪廻が大好き?(ハエに生まれ変わるインド映画)
マッキーは、ヒンディー語で「ハエ」。
殺された青年がハエに生まれ変わって復讐をする…
ハエが主人公のCGアクション映画なんですって。
バカっぽそうだけど、これが批評家筋にも評判がいいんですよねー。
それから、今春に日本でも公開された、
歌って踊っての典型的なボリウッド(インド版ハリウッド)映画、
『恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム』。
最近、DVD化されたので見てみようと思います。
「恋する輪廻」ですよ。すごいタイトル。
それから、かつてスコセッシが撮ったダライ・ラマの伝記映画
『クンドゥン』もそうだけど、
欧米人はダライ・ラマが転生する=誰かに生まれ変わる、
というアイデアがエキゾチックで好きなのかもしれない。
大昔、インドから中国に仏教が伝わったとき、
中国にはない輪廻という考え方がとてもウケたと本で読んだ。
なぜなら「徳と富の矛盾が解消できるから」だって。
徳があるのに貧乏のまま終わる人がいっぱいいる、
その逆の人もいっぱいいる現実のなかで、
「今世は貧乏だったけど来世はリッチ」と思えると
溜飲が下がる、ということみたい。
あと、今の日本のスピリチュアル好きな人たちは
前世とか生まれ変わりにロマンチックな思いを持っている。
そう思うと、巷の人たちは
・輪廻なんかないと思っている
・輪廻はあって、いいものだと思っている
という2種類がほとんどではないかな。
・輪廻はあって、よくないものだ
という、初期仏典に書いてあることに
心底共感する人は、ほとんどいない気がするのだがどうでしょう。

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