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阿弥陀仏も亡くなっちゃうお経があった(『浄土思想論』1)

末木文美士先生の新刊『浄土思想論』(春秋社)を読んでいる。

別に浄土に行きたいわけではないけど、阿弥陀仏って浄土って何なの?という積年の疑問が少しでも晴れるかもしれないと思って。



講演録なので、理路整然とはしていないけれど、素人でも読みやすい。

しばらくこの本のメモが続くかもしれない。



その中に『大阿弥陀経』という面白いお経のことが出てきた。

有名なお経で言うと『無量寿経』(浄土三部経として岩波文庫から出てるやつ)で初めて阿弥陀仏が出て来るのだけど、それより前に出て来るお経が『大阿弥陀経』なんですって。



・『無量寿経』より前に成立したらしい『大阿弥陀経』『平等覚(びょうどうかく)経』というのがある(漢訳のみ)。

『無量寿経』は阿弥陀の48願だが、後者2つは24願しかない。阿弥陀信仰の古い形を伝えていると考えられる。空の考え方もまったく出てこず、最初期の大乗仏典。

 

 『大阿弥陀経』では阿弥陀仏も涅槃に入って死んでしまう。その後に観音菩薩が仏になり、観音も亡くなると、勢至菩薩が仏となって…というふうに後を継いでいく。



・ 『大阿弥陀経』の第4願は、『無量寿経』の18願に似てる。けど、『大阿弥陀経』は、阿弥陀の名を唱えるんじゃなくて、名を聞いて歓喜踊躍することで往生できる。称名念仏ではなくて、聞名。



へー、読んでみたいな、大阿弥陀経。阿弥陀が涅槃に入っちゃうなんて。


調べてみたら、辛嶋静志先生が現代語訳してるんだけど、本になってなくて佛教大学紀要に載っている。いつか読む時間ができたときのためにメモっておこうっと。いつになるのやら。


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浄土思想論

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※大阿弥陀経の正式名は「仏説阿弥陀三耶三仏薩楼仏壇過度人道経(ぶっせつあみださんやさんぶつさるぶつだんかどにんどうきょう)」。長っ!


「『大阿弥陀経』訳注()」辛嶋静志/著『佛教大学総合研究所紀要 6135150頁 1999-03-25
「『大阿弥陀経』訳注() 」辛嶋 静志/著『佛教大学総合研究所紀要 7』 95104頁 2000-03-25
「『大阿弥陀経』訳注()」辛嶋静志/著『佛教大学総合研究所紀要 8』 133146頁 2001-03-25
「『大阿弥陀経』訳注()」辛嶋静志/著 『佛教大学総合研究所紀要 10』 2734頁 2003-03-25
「『大阿弥陀経』訳注()」辛嶋静志/著 『佛教大学総合研究所紀要 11』 7796頁 2004-03-25
「『大阿弥陀経』訳注()」辛嶋静志/著 『佛教大学総合研究所紀要 12』 5~20頁 2005-03-25

「『大阿弥陀経』訳注()」辛嶋静志/著 『佛教大学総合研究所紀要 13』 111頁 2006-03-25
「『大阿弥陀経』訳注()」辛嶋静志/著 『佛教大学総合研究所紀要 14』 117頁 2007-03-24
「『大阿弥陀経』訳注()」辛嶋静志/著 『佛教大学総合研究所紀要 17』 114頁 2010-03-25




















現代中国の宗教事情がちょっと怖かった

今日、NHKスペシャルで「中国激動 さまよえる人民の心」として、”空前の宗教ブーム到来”についての番組をやっていた。

http://www.nhk.or.jp/special/detail/2013/1013/


中国共産党は宗教を禁じてきたのだけれど、改革解放以降、中国人の銭ゲバがエスカレートしすぎて、道徳の荒廃がひどいことになっているということで、心のよりどころを求めて宗教が大ブームだという。

共産党も方針を変えて、国家の発展に寄与する範囲で宗教を公認しているとか。


それ自体は喜ばしいことだけど、番組を見てるとちょっと怖い感じもしなくはなかった。


まずキリスト教。非公認の地下教会もある。いまキリスト教徒の数がすごく増えていて、共産党員と同じぐらいいるそうだ。

みんな涙を流しながら中国語の賛美歌(?)を歌ってた。

会社をクビになった女性に、「悪魔がついている」といってエクソシストばりの儀式もやっていた。


それから儒教。これは国が積極的にバックアップしているという。

儒教を現代風にアレンジした新興グループの大集会は、なんか自己啓発セミナーみたいだった。みんなでいっせいに、親(に見立てた会員?)の脚を素手で洗いながら、涙を流していた。


番組では残念ながら仏教は取り上げてなかったけれど、どうなんだろう。

上海の静安寺や龍華寺は、10年ぐらい前に行ったときは、いい感じに寂れて、でも修行僧がいて葬儀をやっていたり、人びとが膝をついて参拝していたり、日本の寺より生きてる感じがしたものだ。

3年ぐらい前に行ったときは、完璧に整備されていたから、当局が肝いりで修復したのだろう。ところが、お経や説明をテープで大音量で流したり、金ピカで不敵な笑みのニュー仏像が置かれていたり、周りに土産物屋ができていたりで、なんか台無しになっていた。


チベット仏教に対する中国政府の仕打ちを考えると、政府は全く信用ならない。

とはいえ、あれだけの人数がいる国で、聖書や論語や仏典を読む人が増えれば、まっとうな宗教家や信者さんも出て来るだろう。チベット問題を考えると、もしかして政府は仏教を警戒してるかもしれないな。

この番組、NHKオンデマンドで小銭を払えば、しばらくはネットで観られます。


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チベット仏教(の密教部分)にはやっぱり付いていけんわ

先日、チベット仏教への偏見を反省したばかりだが、やっぱり私には理解不能な世界だ…。
『東アジア仏教史09 チベット』の「第3章 宗派概説」の中で、今のチベット仏教の主流・ゲルク派の解説を福田洋一先生が書かれているのだけれど、もう全然付いていけそうにない。

14世紀に現われた宗教的天才・ツォンカパさんが立宗したゲルク派(ダライ・ラマの派です)。ツォンカパさんは、先行するカダム派の「覚りへの道の階梯(ラムリム)」を受け継いで、修行体系を確立したという。
そこで書かれていることは(同書によると)、
・仏道修行の前提
・ 小士(在家者)の行うべき修行
・ 中士(出家者)の行うべき修行
・ 大士(大乗仏教者)の行うべき修行
がまず説かれる。

ここまでは、中観帰謬論証派をベースにした顕教で、仏教ファンなら違和感のない話(大乗を上に持ってくるののは、テーラワーダの人は頭に来るだろうけど)。

ツォンカパさんが書いた『覚りへの道の階梯大論』は、ほとんどこの顕教の話で、最後に密教への橋渡しがあるだけだという。
ところが、別に『秘密真言の道の階梯』を書いていて、これがいわゆる密教部分みたいだ。
顕教を前提に、「今生において成仏するための速修の方法として、密教の修行法を学ぶ必要がある」(同書より)。つまり、顕教だと覚るのにとんでもなく時間がかかるので、スピードアップのために密教が必要なんですって。

でね、ツォンカパさんは「秘密集会タントラ」を最も高く評価して、密教の実践法を体系化したっていうんだけど
◆生起次第(仏の世界を観想し、仏と一体化することを観想する。これを絵にしたのがマンダラ)。ここまではまだ理解できる。イメージの修行ですから。

◆究竟次第=「実際にこの身を変化させて仏の体を獲得することを目指す」。
この究竟次第のところに書かれた解説を、ちゃんと説明すると長いので、えっ!と驚いたところを引用すると、
・ 人間の体は、風(ルン)、脈管、チャクラ、粒滴、精液と経血から構成される(えっ、精液は男で経血は女だけだよ?)
・ 胸のチャクラのある中央脈管には「不滅の粒滴」と呼ばれる小さい球体が存在する(「空」をベースにしながら、不滅のものが存在しちゃうの?)
・ 頭頂の粒滴には父親から由来する精液が、ヘソの粒滴には母親から由来する経血が入っている(入ってないと思う!)
・ 死と次の生と間にある「中有の段階に入るとき、精液は性器から、経血は鼻から排出され、意識が肉体を離れたことが分かる。(鼻から経血!?)
・ 究竟次第の修行過程の一部として
「内的な条件として金剛念誦、外的な条件としてムドラー(性交パートナー)の調息とにより、胸のチャクラの結び目がほどけて・・」
(普通にセックスじゃねーのか!?)

などなど、読んでいて頭がおかしくなりそうであり、これでなぜ覚りがスピードアップするのか見当もつかなかったのであります。

いや、近現代の合理性でもって仏教の教えを評価してはいけないとは思いますよ、思いますけれども、経血が絶対に鼻からは出ないことを体感している身としては、やっぱりこの話には乗れないな~。

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