いろんな馬の年賀状がなぜ「馬」とわかるのか? | 釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~

いろんな馬の年賀状がなぜ「馬」とわかるのか?

年賀状にいろんな馬が描いてある。
それぞれは全然違うのに、「あ、馬だよね」と思うのであって、
「なんで牛なんだ?」ましてや「蛇なんだ?」とか、
「この絵は一体なに?」と首をかしげたりもしない。


じゃあ普遍的な「馬」なるものがいるかといえば、
そんなもんはいない、「馬」というグループ化は虚妄である、
みたいなことが仏教、特に龍樹さんの言う「空」なんですよね?

ここまでは理解できます。
では翻って、なんで「馬」ってわかっちゃうんだろうか。
子供の頃、たぶん10頭ぐらいの馬の写真や絵を見た段階で、
これは牛でも蛇でも花でも茶碗でもない
「馬」というグルーピングが完了してしまう。

虚妄というには妥当すぎるパターン認識は、
なんでできちゃうのだろうか…。

そういうことを含めて真剣に考えた人たちのことが書かれた
『シリーズ大乗仏教9 認識論と論理学』を読んでいる。

代表格がディグナーガ(陳那)とダルマキ-ルティ(法称)。

この巻は読んでもわからないだろうな、と思ったが、
本当にわからなかった!


目次はこれです。

第一章 仏教論理学の構造とその意義(桂紹隆)
第二章 存在論―存在と因果(稲見正浩)
第三章 認識論―知覚の理論とその展開(船山徹)
第四章 論理学―法称の論理学(岩田孝)
第五章 真理論―プラマーナとは何か(小野基)
第六章 言語哲学―アポーハ論(片岡啓)
第七章 全知者証明・輪廻の証明(護山真也)
第八章 「刹那滅」論証―時間実体(タイム・サブスタンス)への挑戦(谷貞志)

私はわからんかったけれど、
哲学好きの人にはたぶんとっても面白いと思います。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ
にほんブログ村