ジーザス・クライスト・スーパースター
このブログのタイトル、「釈迦むにスーパースター」は、
もちろん「ジーザス・クライスト・スーパースター」のもじりです。
お釈迦さまはスーパースターで、
自分はその「追っかけ」を生涯かけてやろうということで。
「ジーザス・クライスト~」はキリスト最後の7日間を
ロック・オペラにしたもので、
1971年にブロードウェイで上演され、1973年に映画化されました。
私はかなり好きで、サントラまで買ったのですが、
映画史上で評価されてないのか、今や言及する人は少ないですね・・。
(何年か前に劇団四季がやっていましたが)
お釈迦様にまつわる映画は、どうにも渋目なのですが、
誰かジャータカのロック・オペラ化をしてくれないでしょうか。
またはインドお得意のミュージカルで、
「ムトゥ踊るマハラジャ」のようなド陽気な映画にしてほしいです。
仏教徒の方はご興味ないでしょうが、以下のような映画です。
<「ジーザス・クライスト・スーパースター」>
主題曲。黒人のユダが、イエスに問いかける。
(歌詞はこんなの)
いつも不思議に思っていた
どうしてこんなにややこしいことをした?
もっとうまくやれたはずだろう?
なぜ古代の、あんなへんぴな場所だったんだ?
現代なら、全世界を相手に出来たのに
BC4年のイスラエルにはマスコミもなかったんだぜ
悪く思わないでくれ 知りたいだけなんだ
ジーザス・クライスト、ジーザス・クライスト
お前は誰だ? 何を犠牲にした?
ジーザス・クライスト・スーパースター
お前は皆が言ってるとおりの存在なのか?
天上の友人たちはどうだい?
お前は別として、イケてるのは誰だい?
仏陀はどうだい? そこにいるのかい?
マホメットは本当に山を動かしたのか? それとも単なるPR?
あの死に方は計画通り? それともやはり間違いか?
派手に死んで有名になる狙いだったのか? (以下略)
<ヘロデ王の歌(King Herods Song)>
ヘロデ王がイエスをからかう歌。個人的に好きです。
原始仏教思想論3
原始仏教思想論3
木村泰賢全集3-3
ブッダ当時の世界観は以下の3つにわけられる。
・宿命論=すべては前世の業で決まるので、後天的には変えられない。
世界の一切は自然のルールで決まり、人の力では変えられない。
(たとえばマッカリゴーサーラの主張)
・神意論=一切は神の意志で決まる(バラモン教)
・偶然論=因も縁もなく、一切は偶然。何らの規定も理法もない。
(6師のプーラナ・カッサバなど)
ブッダは、3つとも非理として排斥した。
なぜなら、ブッダの求めた「人生観の基礎としての世界観」は、
「世界の事象を矛盾なく解釈できる」と同時に、「それによって人生の
道徳的宗教的価値を増進できる」ものでなければならなかった。
◆ 因縁論 ◆
上記のような説に対して、ブッダが提出した世界観は、
「諸法は因縁よりなる
=一切の現象は相対的依存関係の上に成立するもので、
その関係を離れては、一物として成立するものはない」。
(もしこれあれば彼あり、これなければ彼なく・・・・)
・異時的因果関係(過去→現在→未来)
・同時的因果関係(空間的に眺めた因果)
の無数の網で織り成されたもので、網を引いて相互に関係しあっている。
だから、世界は無常変遷してやむことがない。
<同時的因果関係>
もっとも根本的なのは、主観(認識主体)ー客観(対象)の因果関係。
「何をか一切(全宇宙)という。眼と色、耳と声、鼻と香、舌と味、
身と触、心と法、これを『一切』と言うなり」
=すなわち、全宇宙といっても所詮六根六境の認識関係(因果)の上に
成立するもので、これ以外の境は、少なくとも自分に対する世界としては
何の意義も持たない。
<異時的因果関係>
生きようとする根本動機から、種々の経験を積んで自らの性格をつくり、
これに応じて後来の運命・境界・性格を開拓する。
この両者を結びつけたものが「十二因縁論」。
◆ 無我論 ◆
すべてが因縁の産物なのだから、
(当時一般に考えられていたような)「固定的霊体としての自我」などは
空想の産物に過ぎない。
「この(五)薀、(十八)界、六処もまた因縁によりて生じたもので、
因縁滅すれば滅するものなり」
我は固定的ではなく、「瀑流」のようなもの。
ブッダが無我論を強く主張した理由の一つは、
有我論より無我論のほうが、人々の人格的価値を増進するうえで
かえって有効だ、という実践的理由からであった。
いろいろな悪行は、我執我欲、要は我所に執着することが根本である。
固定的な我を認定することは、やがて我執我欲を認定することとなる。
よって無我説のほうが有効である。
無我論は、消極的にいえば我執我欲を離れるための禅観的修養の公案となり、
積極的には愛他的道徳を奨励する(大乗の)基礎となった。
※無神論は数論派もジャイナ教も主張するが、
固定的生命を否定したのは、解脱を求める宗教としては仏教以外にない。
◆ 五薀 ◆
有情の成立要素を、いろいろな分け方で説明した。
(六界=地水火風空識、四食、十二処、十八界など・・)
なかで一番よく用いられた説明は、「五薀」。
・色(物質)
・受(感情)
・想(表象)
・行(意志)
・識(意識)
どの分類にせよ、生命は種々の要素の集合体だと見た。
◆ 有情成立の動力因 ◆
その各要素を繋ぐ膠料、有機体たらしめる動因はなにか?
→ブッダは、いろいろな言いあらわし方をした。
「業、無明、欲、執着、煩悩」など。
これらが、五薀を結合させる膠料である。
「欲を因とし、欲を集とし、欲によりて生じ~」
「諸業、愛、無明は因となりて~」
その動因となる「無明」とは、単に「無知」という意味ではなく、
「生きようとする盲目的な元本的意志」である(木村説)。
意志の根底とされるのが、無明、渇愛、欲などと説いてあるところ、
同様の意味でないか→生の元となる意志
つまり、「生きんとする意志(無明)によって、意識活動を起こし(五薀結合)、
それが有情自体の性格を形成し、未来の自体を規定していく過程が、
すなわち業(カルマ)である」。
※このような説明は、要は観察に便利だからである。
衆生に話すうえでの便宜的な教化法にすぎず、ブッダ自身が、生命を
このように機械的に考えていたわけではない、と思われる。
にほんブログ村
ブッダ大いなる旅路 仏像誕生と流転
NHKスペシャル「ブッダ 大いなる旅路」の最後のDVDを見ました。
順不同で見ていたので、これは第3話「仏像 誕生と流転」。
仏像は、いつ、どのように作られはじめたのか
「ブッダの死後500年、ようやく仏教はインドを出ることになります」
というナレーションで、番組の冒頭で流れるのは、
アフガニスタンのヒンドゥークシ山脈の恐ろしい映像です。
インドシナ半島の逆3角形に蓋をするように、
7000m級の山が1200Kmも続く雪山で、木の1本も生えてなく、
吹雪が吹きすさぶ、人外魔境です。
「仏教が北方に伝わった」などと簡単に言いますが、
誰か人間がこの地獄山脈を超えない限り、
仏教はインドに閉じ込められていたわけで、
「伝わる」ということの凄まじさを、まず実感しました。
ブッダの死後500年ほど、仏像は作られませんでした。
ブッダが「私の姿を具現化し、それを崇めることをしてはならない」
と言い残したからです(自灯明、法灯明ですからね)。
インド、サーンチーにある、BC3世紀頃のストゥーパ(仏塔)が
映ったのですが、そこにブッダの像はありません。
ブッダのかわりに、菩提樹、車輪(法輪)、仏足跡などが
モチーフとして彫られています。
まんなかにお釈迦様でなく輪がある。
「お釈迦さまに会いたい!」と我慢できずに・・・
それが、AC1世紀頃から、仏像が作られはじめます。
パキスタンのスワート地方で、仏像の原形らしき
壁彫刻ものが発見されたそうです。
左に帝釈天、右に梵天、真ん中に太陽が彫られているのですが、
その太陽におぼろげながら、人物=ブッダらしき形が見えるのです。
この近くにあるのは、どれもこの「梵天勧請」シーンがモチーフでした。
すなわち、「人に伝えるのは諦めた」というブッダを、
梵天さんが「そんなこと言わんと広めなさいよ」と説得する場面です。
番組では、仏像を生み出したのは、ガンダーラの僧たちの
「お釈迦様に会いたい!」という情熱だったと言います。
AC1世紀頃、異民族に侵入されて、寺院から逃げたり
隠れていたりした僧たちが、「お釈迦様に会いたい」という
想いをつのらせたからだと。
でも、ブッダは「私の像を作るな」と言い残したので、
いちおうは偶像崇拝禁止だったとも言えます。
もしイラスム教徒のように、経典に厳格だったら、
ここでグッと我慢したかもしれません。
でも私は、我慢しないでくれて、よかった、と思います。
やっぱり、仏像はあったほうが楽しいですから。
ところで、ネットでググると、
ガンダーラ地方で出土されたという小さな石像とか
レリーフの切れ端が、数万円で売られていますが、
あれって本物なんでしょうかね?
にほんブログ村

