ブッダ大いなる旅路 仏像誕生と流転
NHKスペシャル「ブッダ 大いなる旅路」の最後のDVDを見ました。
順不同で見ていたので、これは第3話「仏像 誕生と流転」。
仏像は、いつ、どのように作られはじめたのか
「ブッダの死後500年、ようやく仏教はインドを出ることになります」
というナレーションで、番組の冒頭で流れるのは、
アフガニスタンのヒンドゥークシ山脈の恐ろしい映像です。
インドシナ半島の逆3角形に蓋をするように、
7000m級の山が1200Kmも続く雪山で、木の1本も生えてなく、
吹雪が吹きすさぶ、人外魔境です。
「仏教が北方に伝わった」などと簡単に言いますが、
誰か人間がこの地獄山脈を超えない限り、
仏教はインドに閉じ込められていたわけで、
「伝わる」ということの凄まじさを、まず実感しました。
ブッダの死後500年ほど、仏像は作られませんでした。
ブッダが「私の姿を具現化し、それを崇めることをしてはならない」
と言い残したからです(自灯明、法灯明ですからね)。
インド、サーンチーにある、BC3世紀頃のストゥーパ(仏塔)が
映ったのですが、そこにブッダの像はありません。
ブッダのかわりに、菩提樹、車輪(法輪)、仏足跡などが
モチーフとして彫られています。
まんなかにお釈迦様でなく輪がある。
「お釈迦さまに会いたい!」と我慢できずに・・・
それが、AC1世紀頃から、仏像が作られはじめます。
パキスタンのスワート地方で、仏像の原形らしき
壁彫刻ものが発見されたそうです。
左に帝釈天、右に梵天、真ん中に太陽が彫られているのですが、
その太陽におぼろげながら、人物=ブッダらしき形が見えるのです。
この近くにあるのは、どれもこの「梵天勧請」シーンがモチーフでした。
すなわち、「人に伝えるのは諦めた」というブッダを、
梵天さんが「そんなこと言わんと広めなさいよ」と説得する場面です。
番組では、仏像を生み出したのは、ガンダーラの僧たちの
「お釈迦様に会いたい!」という情熱だったと言います。
AC1世紀頃、異民族に侵入されて、寺院から逃げたり
隠れていたりした僧たちが、「お釈迦様に会いたい」という
想いをつのらせたからだと。
でも、ブッダは「私の像を作るな」と言い残したので、
いちおうは偶像崇拝禁止だったとも言えます。
もしイラスム教徒のように、経典に厳格だったら、
ここでグッと我慢したかもしれません。
でも私は、我慢しないでくれて、よかった、と思います。
やっぱり、仏像はあったほうが楽しいですから。
ところで、ネットでググると、
ガンダーラ地方で出土されたという小さな石像とか
レリーフの切れ端が、数万円で売られていますが、
あれって本物なんでしょうかね?
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