釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~ -181ページ目

釈尊百景(5) お釈迦さまの足の裏・薬師寺の国宝仏足石

今週、駆け足で行ったお寺のひとつ、薬師寺について。
行くのはたぶん3~4回目で、お寺としては情緒がないのですが、
仏像の素晴らしさ・大きさ・迫力は、やはりたいしたもの。

お堂に光が差し込むように明るく設計されていて、
それが情緒がない反面、彫刻としての仏像がはっきり見える利点もありました。


「薬師寺」という名のとおり、薬師如来が有名なお寺ですが、
むしろ日光・月光の腰ひねり菩薩と、聖観音菩薩の人気が高いですね。
その薬師寺に、お釈迦さまの痕跡はあったかしら、よく覚えてないな、
と思って今回行ったら、そうそう国宝の仏足石がありましたよ!



釈迦むに・スーパースター ~仏教のつれづれ~  薬師寺の仏足石
釈迦むに・スーパースター ~仏教のつれづれ~  仏足の裏の模様、瑞祥文七相


ご存知のように、お釈迦さまには32相の身体的特徴があるとされ、
足の裏に模様があることになっています。
もちろん、人間・ブッダの足裏に模様があるはずもなく、
この32相は、仏教以前からあった架空の王様・転輪聖王の特徴が
流用されたものだそうです。
(いちばん面白い特徴は、男性器が股間めり込んで体内格納されている
というやつです)


仏足石は、お釈迦様の足裏の模様を石に写し取った線画です。
薬師寺の仏足石は、銘文によると753年に彫られた日本最古のもの。
インド鹿野苑(ろくやおん)にあった仏の足跡を、
唐の王玄策が写して帰り、長安の普光寺に置いたものを、
遣唐使の一人が写して平城京に持ち帰り、石に刻んだものとされます。


薬師寺のは、右は47.7cm、左は48.8cmというから、
ジャイアント馬場の32cmよりずっと大きい。巨足です。

鹿野苑で写しというからには実物大なのかと思いきや、

ブッダガヤの大菩提寺にある拓本は長さ77cmもあるそうで、

お釈迦さまの足は何cmだったのでしょうか?


足裏の模様は「瑞祥文7相」という7つの図案があって、
薬師寺のパンフに載ってたので後日、画像をアップします。

お釈迦さまのシンボル、法輪が刻まれてるのは当然として、
燃える月や、ホラ貝は、どういう意味なのかしら。
あと魚マークがあるのは、キリスト教みたいですね。
イエスの弟子たちは漁師ですし、古いキリスト教遺跡にいくと、
よく魚のマークがありますよね。


薬師寺では、この仏足石の左右に、お釈迦様の十大弟子が並んでいます。
2002年に奉納された新しい像で、カリッと筋肉質で写実的でした。
仏典にしょっちゅう登場するシャーリプトラさんや、アーナンダさんには、
どうもいつもお世話になってます、とご挨拶しておきました。



釈迦むに・スーパースター ~仏教のつれづれ~  順に名刺交換したくなる十大弟子像




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釈尊百景(4) 平面的で古代の匂う釈迦立像に遭った(奈良・西大寺)

今週はへんに忙しくて、ブログを開く暇もありませんでした。
大阪出張がありまして、そんな貧乏暇なし状態にもかかわらず、
朝7時の新幹線で無理やり、奈良にいってまいりました。

便利な場所しかいけなかったので、
ベタですが、大和西大寺周辺の、薬師寺・唐招提寺・西大寺を
駆け足で回りました。
薬師寺・唐招提寺は何度目かですが、西大寺ははじめて。
ターミナル駅のすぐ近くで、周りは商業地・ベッドタウンだし、
ついでのつもりで寄ったら、
この西大寺が、意外にめっけもので、よかったのです。

何がいいかというと、その、やる気のなさです。

何年か前にJR東海のCMで「失われた大寺」とかなんとか
言われていましたが、西大寺は764年に称徳天皇の勅願で
建てられた、由緒正しきお寺です。
広大な敷地に大伽藍が並び、
一時は、東大寺に匹敵する勢いがあったそうです。

$釈迦むに・スーパースター ~仏教のつれづれ~
↑ やる気のある場面。


ですが、平安時代に再三の災害で衰退して、
鎌倉時代に叡尊師が真言宗律宗総本山として再興するも、
その後も戦火で縮小し、寺勢はいまひとつ。

その反面、伽藍が木造で渋みを帯びたままだし、
仏像が重文止まりのせいか観光客はまばらだし、
非常になごめました。

その前に行った薬師寺が、塔や伽藍を建て直したりして、
ずいぶん肩に力が入っているため、
西大寺のくすみ具合と諸行無常感が印象的でした。

西大寺で一番有名なのは、愛染堂の秘仏・愛染明王で
見られなかったのですが、実は本堂の釈迦如来立像が魅力的。

$釈迦むに・スーパースター ~仏教のつれづれ~

京都・清涼寺の釈迦像を模し、この時代に流行ったタイプらしいのですが、
平面的でアルカイックスマイルで写実性がなく、古代の匂いがする立像でした。


あとで調べてわかったのですが、古代インドの優填王(うてんおう)が、
釈迦の在世中に栴檀(せんだん)の木で造らせた釈迦像を模刻したもの
という説があるそうです。国宝でなく重文ですが、貴重ですよね。
期せずして、私の好きな非写実的なお釈迦さまに会うことができました。

そして、この本堂は、くすんだ板造りで、
なかに灯篭がたくさん置かれていて(電気ですが)、
出るときに受付番の人に「ありがとうございました」と言ったら、
「は~い、ど~も~」と、やる気のない答えが返ってきたところも、
さすが「失われた大寺」だなあと、しみじみしました。
大和西大寺はターミナル駅で便利だし、おすすめです西大寺。

無数にある奈良の寺のなかから、
西大寺をCMに選んだJR東海(というか電通?博報堂?)は
玄人のお仕事だと思いました

↓JR東海のCM 西大寺編


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輪廻を信ずる根拠はなにか?「弊宿経」

初期仏典「長阿含経」の第7経「弊宿経」を読みました。


弊宿(へいしゅく)というバラモンがいます。
彼は「奇妙な見解をずっと懐いて、人々に『別の世界はなく、
生まれかわりもなく、善悪の行いの報いもない』
と説いていた」。
弊宿のような主張は、「断滅論者」と呼ばれています。


弊宿は、仏教徒の迦葉に、次々と質問をし、
2人は論争になります。
弊宿が迦葉に投げかけた質問は、意訳すると、
次のようなものです。


「善行をなして、または悪行をなした親類がいます。
 死んだあと、天や地獄に行くとあなたたち(仏教徒)は言うが、
 戻ってきて天や地獄の話をした者はいない。
 どんな理由で、来世があるなどと信じられるのか


「死んだ親類をよくよく観察したが、遺体はただの物質だった
 焼いたとき霊魂が出て行くのも見えなかった。
 なのに、どんな理由で、別の世界に行ったなどと言えるのか」
 
「善きことを行えば天に生まれるのなら、
死は生より素晴らしいわけでしょう。
なら、あなたたち(仏教徒)は、なぜ自殺しないのですか
今、生を貪って自殺できないからには、
やはり生は死ほど素晴らしくないからではないですか」


それぞれの問いに対して、迦葉は
「およそ智者とは、譬喩によって理解するのです」といって、
上手なたとえで、弊宿に答えます。
ですが、弊宿は「納得できません。私の見解によれば、
輪廻も別の世界もありません」と問い続けます。


上記の、弊宿の問いを見て、どう感じるでしょうか。
「こいつは何もわかってない」と思いますか。
実は、私は、理屈っぽい弊宿が、
自分であるかのように感じたのです。私は外道ですかね?
迦葉の説明は、文学的でしたが、あまり頭に入りませんでした。


特に、科学の洗礼を受けている現代、
弊宿の問いに、どのような答えが用意できるでしょうか。


「輪廻があると信じる根拠はなにか?」
   ↓
「仏典に書いてあるから」とか、
「そうしないと仏教の
根底が崩れるから」とか、
「科学は万能ではないから」では、弊宿は納得しませんよねぇ。


「善行を積んで天にいけるなら、なぜ自殺しないのか?」
   ↓
どういう答えがありえるのでしょうか。



釈迦むに・スーパースター ~仏教のつれづれ~


2007年、米・ケンタッキー州にできた「天地創造博物館」。

人間は猿から進化したのではなく神が創ったもので、他の生物とは進化の系統樹が違う。

根拠は「聖書にそう書いてあるから」。だから恐竜やマンモスと人類が平気で同居している。




弊宿のセリフ。
「私は(自分の見解を)捨てられません。
そのわけは、私は生まれてこのかた長夜にわたってこの見解を唱え、
しっかり身につけ親しんできたのですから。どうして捨てられましょう」。


生まれてこのかた身につけてきたのは、

自分で言えば、現代科学ということになるでしょうか。


このお経では、最後は弊宿は納得して、仏に帰依するのですが、
どうもその脳内過程はよくわかりませんでした。


(『現代語訳 阿含経典』第2巻より)


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