輪廻を信ずる根拠はなにか?「弊宿経」 | 釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~

輪廻を信ずる根拠はなにか?「弊宿経」

初期仏典「長阿含経」の第7経「弊宿経」を読みました。


弊宿(へいしゅく)というバラモンがいます。
彼は「奇妙な見解をずっと懐いて、人々に『別の世界はなく、
生まれかわりもなく、善悪の行いの報いもない』
と説いていた」。
弊宿のような主張は、「断滅論者」と呼ばれています。


弊宿は、仏教徒の迦葉に、次々と質問をし、
2人は論争になります。
弊宿が迦葉に投げかけた質問は、意訳すると、
次のようなものです。


「善行をなして、または悪行をなした親類がいます。
 死んだあと、天や地獄に行くとあなたたち(仏教徒)は言うが、
 戻ってきて天や地獄の話をした者はいない。
 どんな理由で、来世があるなどと信じられるのか


「死んだ親類をよくよく観察したが、遺体はただの物質だった
 焼いたとき霊魂が出て行くのも見えなかった。
 なのに、どんな理由で、別の世界に行ったなどと言えるのか」
 
「善きことを行えば天に生まれるのなら、
死は生より素晴らしいわけでしょう。
なら、あなたたち(仏教徒)は、なぜ自殺しないのですか
今、生を貪って自殺できないからには、
やはり生は死ほど素晴らしくないからではないですか」


それぞれの問いに対して、迦葉は
「およそ智者とは、譬喩によって理解するのです」といって、
上手なたとえで、弊宿に答えます。
ですが、弊宿は「納得できません。私の見解によれば、
輪廻も別の世界もありません」と問い続けます。


上記の、弊宿の問いを見て、どう感じるでしょうか。
「こいつは何もわかってない」と思いますか。
実は、私は、理屈っぽい弊宿が、
自分であるかのように感じたのです。私は外道ですかね?
迦葉の説明は、文学的でしたが、あまり頭に入りませんでした。


特に、科学の洗礼を受けている現代、
弊宿の問いに、どのような答えが用意できるでしょうか。


「輪廻があると信じる根拠はなにか?」
   ↓
「仏典に書いてあるから」とか、
「そうしないと仏教の
根底が崩れるから」とか、
「科学は万能ではないから」では、弊宿は納得しませんよねぇ。


「善行を積んで天にいけるなら、なぜ自殺しないのか?」
   ↓
どういう答えがありえるのでしょうか。



釈迦むに・スーパースター ~仏教のつれづれ~


2007年、米・ケンタッキー州にできた「天地創造博物館」。

人間は猿から進化したのではなく神が創ったもので、他の生物とは進化の系統樹が違う。

根拠は「聖書にそう書いてあるから」。だから恐竜やマンモスと人類が平気で同居している。




弊宿のセリフ。
「私は(自分の見解を)捨てられません。
そのわけは、私は生まれてこのかた長夜にわたってこの見解を唱え、
しっかり身につけ親しんできたのですから。どうして捨てられましょう」。


生まれてこのかた身につけてきたのは、

自分で言えば、現代科学ということになるでしょうか。


このお経では、最後は弊宿は納得して、仏に帰依するのですが、
どうもその脳内過程はよくわかりませんでした。


(『現代語訳 阿含経典』第2巻より)


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