釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~ -179ページ目

奈良と東京の仏像展

こないだ奈良にいったとき、
仏像のいくつかが「奈良国立博物館に出展中」で
お寺を留守にされていました。

平城宮遷都1300年の特別展をやっているようで、
海外の所蔵品も来て、なかなか面白そう。
あ~あ、老後は奈良に引っ越したいよ。


奈良国立博物館
「大遣唐使展」4月3日~6月20日

http://kentoushi.exh.jp/highlight.html



釈迦むに・スーパースター ~仏教のつれづれ~
菩薩半跏像(ブロンズ、唐・8世紀・フィラデルフィア美術館蔵)




東京では、小規模ですが、こんな特別展があるようです。
こちらは行くつもり。


三井記念美術館(東京・日本橋)
2010年7月7日~9月20日
特別展「奈良の古寺と仏像」

http://www.mitsui-museum.jp/exhibition/index2.html


ミュージアムカフェの「蒸し鶏と桜海老の塩うどん」がおいしそう・・・高いけど。

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地獄絵がこれでもかと 『別冊太陽 地獄百景』

GWなので押し入れを整理していたら、
昔買った「別冊太陽」が段ボール箱から何冊か出てきました。

その中で、おっ!と思ったのが、昭和63年発行の「地獄百景」。


仏教とキリスト教の地獄絵の図版がこれでもかと収録され、
水上勉氏や山伏哲雄氏が寄稿している、かなりのすぐれものです。
当時の私は、まだ仏教に漠然とした興味しかなかったのですが、
これを買っておいた自分をほめてあげたい。


同書によると、日本の3大地獄絵は、
「地獄草子」(12世紀末)
「北野天神縁起」巻末の八大地獄(13世紀前半)
聖衆来迎寺本「六道絵」(13世紀後半)
だそうです。

特に最後の「六道絵」は、「往生要集」をもとに
凄惨な場面を網羅したおそろしいものです。


釈迦むに・スーパースター ~仏教のつれづれ~  「地獄草子」 雲火霧処。


お釈迦さまは、地獄について語ってはいますが、
「こんな恐ろしいところに堕ちちゃうよ」という
脅迫じみた説法はしませんでした。
日本で地獄をホラー小説なみにリアルにしたのは、
ご存知のとおり「往生要集」(源信、984年)です。



釈迦むに・スーパースター ~仏教のつれづれ~  「六道絵」。死体が獣に食われたりウジがわいております。

                          でもこれは地獄というより、現実ですよね。


料理をしていて、
たまに生きたエビを鍋に投げ込んだり、
イカのワタをえぐり出したりしていると、
私は地獄の獄卒みたいだなあ、と感じます。

白魚の躍り食いなんて、白魚の立場に立てば「嚥下地獄」ですよ。
ほとんど、人間が他の動物にしていることを、
仕返しされる恐怖心が地獄観を生んだのではないか、とさえ思われます。



釈迦むに・スーパースター ~仏教のつれづれ~  「北野天神絵巻」


ですが仏教の地獄には救いがあります。
輪廻して地獄を脱することができるから。
対して、キリスト教の地獄は永遠です。

なので中世にイエズス会が”未開の後進国・日本”に
布教にやってきたとき、日本の仏教僧・信者たちは、
「永遠に地獄を出られないキリスト教は
なんて残酷なんだ!」
と口々に言ったとか。


しぶとく改宗しない彼らに業を煮やしたフランシスコ・ザビエルは、
最後には仏教徒を「悪魔」呼ばわりしたそうです。

釈迦むに・スーパースター ~仏教のつれづれ~


太宰治は、子供のころ近所の寺で見た地獄絵が
トラウマとなったそうですね(小説にも「阿鼻叫喚」という単語が
しばしば出てきた印象があります)。

私は、子供の頃に、家にあった「プラド美術館」の図録で見た
「我が子を食らうサトゥルヌス」がトラウマになりました。
これがゴヤ作であること、地獄でなくローマ神の絵であることを
知ったのは、ずっと後になってからでした。


釈迦むに・スーパースター ~仏教のつれづれ~  「我が子を食らうサトゥルヌス」

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ヒリヒリする劇薬! 『縁起と空 如来蔵思想批判』(1)

ブログを読んでくれた方から、駒沢大学の松本史朗教授を教えていただき、
39歳のときの著書『縁起と空 如来蔵思想批判』(89年)を読んでいます。


これが、とんでもない劇薬。


まず氏は「如来蔵思想は仏教にあらず」と激しく批判します。


如来蔵とは、すべての人=一切衆生は、体内に如来を蔵するかのように
仏性を内包している、ということですよね。
大乗仏典の「涅槃経」や「勝鬘経」に出てきます。
大乗仏教の国、とくに日本では、如来蔵思想は、
かなりの勢力を持ってきました。


一方、松本氏は、同書の冒頭で「仏教とは何か」を、こう明言します。

「私は、仏教とは無我説であり、縁起説であると考える」。

その観点からいけば、「仏性」=仏の”種”のような基体(dhatu)が実在する、
という如来蔵は仏教ではない。むしろお釈迦様が否定した対象だ、
というわけです。

「仏性=成仏の可能性」などといった楽観的な解釈ですむ問題ではない、と。


ここまでは私も、ふんふんそうだよね、といった気分で読んでいました。
如来蔵思想に別に思い入れはないし。


ところが、同書はそれだけで許してくれませんでした。


「仏教とは無我説であり縁起説である」とする松本氏の論は、
以下のように宣言します。


・お釈迦さまの「法」を「真理」とするのは仏教ではない!


・「悟り」という言葉も反仏教である!


・「解脱」という考え方も反仏教である!


・ 仏教徒はマンダラのような空間的世界を論じてはならない!


・「スッタニパータ」は、お釈迦さまが否定したはずの
 「常住の我=アートマン」まみれである!


敬虔な仏教徒さんなら激怒または失神するでしょうね。
まったく敬虔でない私でも、相当にショッキング。
しかし松本説によれば、「真理」とか「解脱」とか言って
満足してるみなさんは仏教徒にあらず!というわけです。


上で挙げたことが、なんで反仏教と主張されているのかは、
自分の備忘録としてこれから追々メモを書いていきます。


しかし、この本自体は、たいへんに面白いです。
氏の、激烈で、非妥協的で、ヒリヒリするような仏教理解は、
安穏としている私に刃をつきつけます。


しかしここまで書いちゃった松本先生、
その後、仏教界で干されなかったのでしょうか。


※この本について解説したブログがありました。
http://fallibilism.web.fc2.com/001.html


釈迦むに・スーパースター ~仏教のつれづれ~


縁起と空―如来蔵思想批判


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