奈良と東京の仏像展
こないだ奈良にいったとき、
仏像のいくつかが「奈良国立博物館に出展中」で
お寺を留守にされていました。
平城宮遷都1300年の特別展をやっているようで、
海外の所蔵品も来て、なかなか面白そう。
あ~あ、老後は奈良に引っ越したいよ。
奈良国立博物館
「大遣唐使展」4月3日~6月20日
http://kentoushi.exh.jp/highlight.html
菩薩半跏像(ブロンズ、唐・8世紀・フィラデルフィア美術館蔵)
東京では、小規模ですが、こんな特別展があるようです。
こちらは行くつもり。
三井記念美術館(東京・日本橋)
2010年7月7日~9月20日
特別展「奈良の古寺と仏像」
http://www.mitsui-museum.jp/exhibition/index2.html
ミュージアムカフェの「蒸し鶏と桜海老の塩うどん」がおいしそう・・・高いけど。
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地獄絵がこれでもかと 『別冊太陽 地獄百景』
GWなので押し入れを整理していたら、
昔買った「別冊太陽」が段ボール箱から何冊か出てきました。
その中で、おっ!と思ったのが、昭和63年発行の「地獄百景」。
仏教とキリスト教の地獄絵の図版がこれでもかと収録され、
水上勉氏や山伏哲雄氏が寄稿している、かなりのすぐれものです。
当時の私は、まだ仏教に漠然とした興味しかなかったのですが、
これを買っておいた自分をほめてあげたい。
同書によると、日本の3大地獄絵は、
「地獄草子」(12世紀末)
「北野天神縁起」巻末の八大地獄(13世紀前半)
聖衆来迎寺本「六道絵」(13世紀後半)
だそうです。
特に最後の「六道絵」は、「往生要集」をもとに
凄惨な場面を網羅したおそろしいものです。
お釈迦さまは、地獄について語ってはいますが、
「こんな恐ろしいところに堕ちちゃうよ」という
脅迫じみた説法はしませんでした。
日本で地獄をホラー小説なみにリアルにしたのは、
ご存知のとおり「往生要集」(源信、984年)です。
でもこれは地獄というより、現実ですよね。
料理をしていて、
たまに生きたエビを鍋に投げ込んだり、
イカのワタをえぐり出したりしていると、
私は地獄の獄卒みたいだなあ、と感じます。
白魚の躍り食いなんて、白魚の立場に立てば「嚥下地獄」ですよ。
ほとんど、人間が他の動物にしていることを、
仕返しされる恐怖心が地獄観を生んだのではないか、とさえ思われます。
ですが仏教の地獄には救いがあります。
輪廻して地獄を脱することができるから。
対して、キリスト教の地獄は永遠です。
なので中世にイエズス会が”未開の後進国・日本”に
布教にやってきたとき、日本の仏教僧・信者たちは、
「永遠に地獄を出られないキリスト教は
なんて残酷なんだ!」と口々に言ったとか。
しぶとく改宗しない彼らに業を煮やしたフランシスコ・ザビエルは、
最後には仏教徒を「悪魔」呼ばわりしたそうです。
太宰治は、子供のころ近所の寺で見た地獄絵が
トラウマとなったそうですね(小説にも「阿鼻叫喚」という単語が
しばしば出てきた印象があります)。
私は、子供の頃に、家にあった「プラド美術館」の図録で見た
「我が子を食らうサトゥルヌス」がトラウマになりました。
これがゴヤ作であること、地獄でなくローマ神の絵であることを
知ったのは、ずっと後になってからでした。
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ヒリヒリする劇薬! 『縁起と空 如来蔵思想批判』(1)
ブログを読んでくれた方から、駒沢大学の松本史朗教授を教えていただき、
39歳のときの著書『縁起と空 如来蔵思想批判』(89年)を読んでいます。
これが、とんでもない劇薬。
まず氏は「如来蔵思想は仏教にあらず」と激しく批判します。
如来蔵とは、すべての人=一切衆生は、体内に如来を蔵するかのように
仏性を内包している、ということですよね。
大乗仏典の「涅槃経」や「勝鬘経」に出てきます。
大乗仏教の国、とくに日本では、如来蔵思想は、
かなりの勢力を持ってきました。
一方、松本氏は、同書の冒頭で「仏教とは何か」を、こう明言します。
「私は、仏教とは無我説であり、縁起説であると考える」。
その観点からいけば、「仏性」=仏の”種”のような基体(dhatu)が実在する、
という如来蔵は仏教ではない。むしろお釈迦様が否定した対象だ、
というわけです。
「仏性=成仏の可能性」などといった楽観的な解釈ですむ問題ではない、と。
ここまでは私も、ふんふんそうだよね、といった気分で読んでいました。
如来蔵思想に別に思い入れはないし。
ところが、同書はそれだけで許してくれませんでした。
「仏教とは無我説であり縁起説である」とする松本氏の論は、
以下のように宣言します。
・お釈迦さまの「法」を「真理」とするのは仏教ではない!
・「悟り」という言葉も反仏教である!
・「解脱」という考え方も反仏教である!
・ 仏教徒はマンダラのような空間的世界を論じてはならない!
・「スッタニパータ」は、お釈迦さまが否定したはずの
「常住の我=アートマン」まみれである!
敬虔な仏教徒さんなら激怒または失神するでしょうね。
まったく敬虔でない私でも、相当にショッキング。
しかし松本説によれば、「真理」とか「解脱」とか言って
満足してるみなさんは仏教徒にあらず!というわけです。
上で挙げたことが、なんで反仏教と主張されているのかは、
自分の備忘録としてこれから追々メモを書いていきます。
しかし、この本自体は、たいへんに面白いです。
氏の、激烈で、非妥協的で、ヒリヒリするような仏教理解は、
安穏としている私に刃をつきつけます。
しかしここまで書いちゃった松本先生、
その後、仏教界で干されなかったのでしょうか。
※この本について解説したブログがありました。
http://fallibilism.web.fc2.com/001.html





