「京都仏教音楽祭」(5月2~3日)
雑誌に「京都仏教音楽祭」(5月2~3日)の広告が出ていました。
スリランカやミャンマーやブータンの楽団、またオーケストラの交響曲もあって、
なんだか面白そう・・・(ちょっと京都までは行けなさそうですが)。
特別協賛の新興宗教「阿含宗」については、
まぁいろんな噂があるわけですが、イベント自体は面白そうです。
日本密教の「声明」コンサートはたまにありますが、
アジア諸国の仏教楽団が聴ける機会は珍しいように思います。
CDも、チベットのが多いんですよね。
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京都仏教音楽祭2010[祈り]
日時:5月2日午後6時開場 午後6時30分開演
5月3日午後2時開場 午後2時30分開演
場所:京都コンサートホール 大ホール
阿含宗は特別協賛いたします。
第1部「音楽で辿る仏教伝来の道
-印度から日本へ-辿った道をアジア各国の音楽でつづります
〈1〉仏教発祥の地 悠久のインド音楽
〈2〉仏陀礼讃の舞楽 スリランカ仏徳讃歎舞楽団
〈3〉華麗なる民族音楽 ミャンマー民族合奏団
〈4〉ヒマラヤを仰ぐ 秘境ブータンの仏教音楽
〈5〉北京八大処に伝わる中国仏教音楽の華 霊光寺佛楽団
〈6〉仏教伝来から1500年。極東に息づく仏陀の教え、日本伝統音楽が仏陀を讃仰する
「天鼓雷音・風炎」作・演奏/藤舎呂悦 構成・演奏/藤舎貴生 演奏/阿含宗修験太鼓 日本舞踊/市山松扇・若柳吉蔵・尾上青楓
第2部「黛敏郎 仏教音楽の精華」
Ⅰ「涅槃交響曲」
Ⅱ「大佛讃歌」
演奏/京都市交響楽団
合唱/京響市民合唱団・京都男声合唱団・京都市立芸術大学音楽部声楽科
指揮/松下功(社)日本作曲家協議会副会長、東京藝術大学教授
■主催:京都仏教音楽祭2010実行委員会
■特別協賛:阿含宗
■後援:京都市・KBS京都・京都新聞社・日本作曲家協議会
■協力:ブータン王国宗務局・駐日中国大使館・京都市芸術大学
チケット取り扱い
京都コンサートホールチケットカウンター窓口075-711-3090(受付時間9:00-17:00 休館日:第1・第3月曜日)
電子チケットぴあ(0570)02-9999[Pコード 349-998]
KBS京都 事業部(075)431-8300(電話予約のみ 平日10:00-12:00,13:00-17:00)
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人々は自力で社会を立て直した。感動的な『転輪聖王経』
初期仏典「長阿含経」(全30経)の「転輪聖王経」(第6経)を読みました。
これは私にとっては、3つの意味で興味深かったです。
1)仏典にめずらしく、社会全体のモラルと治世をテーマにしていること
2)悪行の報いが、輪廻と関係なく、「人類の寿命が短くなる」ことで
表現されていること
3)社会が最悪の事態になったとき、人々が自力で更正し始めること
最高に素晴らしいのは(3)なのですが、順にメモしていきますと、
1)現代にも通じる、福祉とモラルハザード
転輪聖王とは、古代インドで信仰(?)されてきた、伝説上の「理想の王」です。
「転輪聖王経」では、6代の転輪聖王が世をうまく治めてきたのに、
7代目が先例に従わなかったことから、人々の堕落が始まります。
この、堕落が始まるエピソードが、面白いです。
国力が衰えて、貧困がはびこって、盗みが横行し、
あるとき強盗が捕らえられて王のもとに連れてこられます。
強盗は「貧しく、ひもじく、自分ではどうすることもできず、盗んだ」と言う。
王は同情して、国庫から財を与えて「これで生活しなさい、盗んではいけない」と言う。
それを聞いた民衆が、次々と強盗をしては、財宝をもらう、ということを繰り返した。
王は「これではキリがない」と呆れて、
次に来た強盗を市中引き回しにして、処刑してしまった。
処刑を聞いた民衆は、「同じ目に遭うかも」と思って自衛を始め、
武器をつくってお互いに傷づけあい、強奪、殺人が増え、
顔色はやつれ、寿命が短くなったのです。
現代では、強盗はさすがに罰せられますが、
「困窮する国民」をどの程度、税金で救済すべきか、
といった議論はいまも存在します。
救わないと社会が荒れる、いや救いすぎると甘える奴が出てくる・・・
といったジレンマは、現代にも通じるものだと思いました。
仏陀の身体的特徴は転輪聖王の伝説からきているそうです。
2)輪廻が一言も出てこないお経
最初、人々の寿命は4万歳(!)でした。
ですが貧困と盗みと殺人が横行して、1万歳に縮み、
故意の嘘や貪りが生じて1000歳になってしまいます。
さらに2枚舌・悪口・飾り立てた言葉が生じ500歳になり、
最後は「人類の寿命10歳」という、
アフリカのエイズ蔓延地帯よりひどい有様になってしまいます。
要は、仏教の戒を犯すたびに、寿命が縮んでいくのです。
初期仏教では、「悪行をなせば、来世で報いを受ける」とされますが、
「転輪聖王経」には輪廻や来世のことが一言も出てこない。
理由はわかりませんが、興味深かったです。
3)人々はスラムから自力で社会を立て直す
人類の寿命が10歳になったとき、社会はスラム状態になります。
女は生後5か月で売春、田んぼは雑草に、地上は砂と石ころだらけ、
うじ虫や毒虫がわき、人々は武器を手にして殺し合いを始めます。
「ルワンダの虐殺」のような最悪の事態が起きてしまたのです。
そのとき何が起こったでしょうか?
怒った神が洪水を起こして愚民どもを流してしまったでしょうか?
「転輪聖王経」では、このように説きます。
「そのとき、武器の時代が起こるはずである。
草木を手にもって、すべてをほこにして、7日間次々と傷つけあうだろう。
そのとき、賢いものがいて、遠くのやぶに逃げ込み、たて穴に隠れて、
7日の間、恐怖心を抱き、慈しみの言葉を発するであろう。
『おまえが私を傷つけないなら、私もおまえを傷つけない』
草木の実を食べて生命を保ち、7日がすぎて山林より出る。
そのとき、生き残っていたものがいて、出会うことができ、
よろこび祝うであろう。
『おまえは生きていたのか。おまえは生きていたのか』
あたかも両親にただ一人の子がいて、長い間、別れ別れになっていたのが
出会って、はかりしれぬほど歓喜するように、そのように、その人たちは
互いに歓喜して、互いに祝いあう。
そのあとで彼の家族のことを問うと、彼の家族はたくさん死んでいるであろう。
さらに7日間、悲泣し、号泣し、泣き叫んで、むかいあうだろう。
7日がすぎて、さらに7日間、互いに祝い、楽しみ、喜びあうであろう。
そこで考えるだろう。
『わたしたちはとても悪事を重ねてきた。さればこその苦難にあい、親族は死に、
家族はいなくなってしまった。
いまこそ、少しばかり一緒に善いことをすべきだ。
どんな善いことをしたものか。当然、生き物を殺してはいけない』
そのとき、人々はみな、慈しみの心をもち傷つけあうことはない。
こうして人々の色つやや寿命はだんだんとよくなり、
10歳だったのが20歳の寿命になる」(訳・辛嶋静志氏)
どうですか。
なんという美しいシーンでしょうか。
このあと、社会は少しずつよくなり、人々の寿命は伸びていくのです。
関係ないが、「ホテル・ルワンダ」。ルワンダは今、平和だそうです。
木村泰賢先生が、著作の中で「仏教は性善説か、性悪説か?」という
問いを立てていました。
何もしなければ「無明」ということからは性悪説にも見えるが、
仏典には性善説と思える部分が少なくない、
部派仏教時代には「客塵煩悩」(本来は善なのに、塵のように煩悩が
付着したにすぎない)という考え方もあった、
というようなことを書かれていた記憶があります。
(それは如来蔵という、賛否両論の思想に発展してわけでもありますが)
少なくとも、この「転輪聖王経」は性善説であるし、
人間の根源的な知恵を信じているように見えます。
私の大好きなお経です。
イラクやパレスチナで、上記のように、不幸が底を打つ日が来ることを祈りたい。
(『現代語訳 阿含経典』2巻より)
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お釈迦さま百景3 誕生釈迦仏立像(東大寺)
銅造誕生釈迦仏立像および灌仏盤(東大寺・国宝)
誕生仏としては、日本一有名でしょう。
お釈迦様が生まれたときの、
「天上天下 唯我独尊」と言ったという伝説の場面。
東大寺のものですが、ふだんは奈良国立博物館にあります。
作者不詳、奈良時代の作とされています。
像高わずか47.5cmですが
幼な児のぷりぷりした感じがよく出ていますよね。
東大寺の潅仏会(お釈迦さまの誕生日、4月8日)には、
この仏像に甘茶をかけてお参りすると聞いたのですが、
この本物の仏像にかけるのですか?
国宝に甘茶をかけるんでしょうか!?それともレプリカに?
(下のお盆は、甘茶を受けるためのものです)
東京の芝・増上寺の潅仏会に行ってきましたが、
誕生仏に甘茶をかけてお参りするために、
200mぐらいの長い列ができていました。
無宗教といわれる日本人ですが、
実はけっこう信心深いのでは、と思いました。
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