釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~ -142ページ目

えらい本を買ってもうた。重量4.8kg『ブッダの世界』

とんでもない本を買ってしまいました…。

『ブッダの世界』、写真約600点、510ページ、重量4・8kg。
届いてみたら巨大です。重くて米を買ったのかと思いました。


仏教以前のインドから仏教の衰退までを、
風景や仏跡や仏像の写真をふんだんに使いながら
中村元先生の編著で解説する記念碑的な本、だそうです。


ヤフオクで最初1万円で売っていて、
迷っているうちにみるみる下がって5000円になってしまったので
思わず落札してしまいました。お釈迦さまの写真がいっぱいです。


釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~  こんなの。


持ち歩けない、お風呂でも読めない。いつ読むんだよこれ。
重病で入院でもしたら死の床で読もうかしら。


私が買ったのは80年版ですが、
最新の研究を反映した新編が2000年に出ているそうです。
勉強熱心なかたは、そちらをどうぞ。

アマゾンの中古で27000円ですがね…。


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ブッダの世界(The World of Buddha) 学習研究社(1980年)

編著者  中村 元
著 者  奈良康明 佐藤良純

縦横39.8×29.5cm  厚さ6.2cm(箱収納時)
総重量 約4.8kg(ケース、箱等含む)
定 価   32,000円


序章 ブッダの根本思想とその人類史的意義
第1章 ブッダの大地インド---仏教の文化的背景
第2章 釈尊の生涯---悟りへの道,捏磐への道
第3章 仏教教団の確立---仏教サンガと教法の伝持
第4章 インド仏教の展開---仏教サンガの社会的定着
第5章 仏教徒の生活文化---教理と実践の相剋
第6章 大乗仏教とグブタ期以降の仏教---インド仏教の爛熟と衰退
特論



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世界は永遠でも有限でもどうでもいい(長阿含28経 布た婆楼経)

仏教解説書を読むと、お釈迦さまは形而上的問題のなかで
悟りの役に立たないことに興味はなくて

「無記」=判断しなかった、とよく書かれています。

お経のどこに出てくるんだっけ?と思っていたら、長阿含28経の
「布た婆楼経」(ふたばろう経。漢字が出ない)で遭遇しました。


お釈迦さまは、ふたばろう(パーリ語でポーッタパーダ)というバラモンと話をしています。
ポーッタパーダが、「我と世界は永遠に続くのか、有限か無限か
「如来には終わりがあるのか、ないのか」といった話題を出したところ、
お釈迦さまは
私は何も述べない」と言いました。

理由は「これらは正しい意味に合致せず、理法に適わず、清らな行いに反し、
無為に反し、寂滅に反し、止息に反し、正しい覚りに反し、
沙門のあり方に反し、涅槃に反しているからである。
このようなわけで何も述べないのです
」。


一方で、「四諦については論じる」。
なぜなら、「四諦は正しい意味に合致し、理法に適い(~以下つづく~)」
つまり悟りへの道に通じる話であると。


よく言われるように、ここが仏教と、科学や哲学との違いですよね。
仏教は、世界を分析・記述したいわけではなく、
あくまで「苦を乗りこえ悟りに至る」という実践に役立たなければ意味がない。


あと、ちょっと面白かったのは、このお経で、
お釈迦さまが喩えにわざわざ下ネタを使ってるんですよ。


「ある沙門、バラモンは、一つの世界がすべて楽であると説く。
(パーリ本だと<アートマンは死後完全に幸せであり病がない、
 という見解を持つ者がいる>」
では、そんな世界を知ってるのか?見たのか?と聞くと、
「知りもしないし、見てもいない」と言う。つまりそんな世界はない。


ここで喩えとして、お釈迦さまはこう言います。
たとえばある人が、『私はあの美しい女性と交わって、その
淫らな女性をほめたたえる』と言うとしよう。
他の人が、その女性の住んでいる場所、姓名を知っているか、
背が高いのか、肌がきめ細かいのか、色が白いのか、を尋ねたら
『知らない』と答える。これは真実か
?」


「こんないい女とヤッたぜ」という男の武勇伝に、各論を聞いたらあやふやで、
「お前の妄想じゃねーか」とバレるようなものだ、というわけです。


欲望を滅し尽くしたお釈迦さまが、わざわざそんな下世話な喩えを・・・・。
人に何かを説明したり、聴衆の前でトークをするときに、
ちょっと下ネタを触って場を盛り上げることがありますよね?
お釈迦さまも、そういうサービス精神があるお茶目な人だったのかしら。


(一説によると、古代インド人は露骨な性的表現を平気でする人たちで、
 経典を中国語に訳すときに削除された表現も結構あるらしいですね)



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お釈迦様時代の宗教改革者たち(長阿含27経 沙門果経)

遅々として進まない「阿含経典」読みですが、

今日は長阿含27経「沙門果経」を読みました。


これは、お釈迦さま時代の宗教改革者たち、
いわゆる「六師外道」の思想を紹介した有名なお経です。


阿闍世王が、昼のように明るい満月の夜に、
誰か沙門やバラモンの話を聞いて心を静めたいと考えます。
王は、かつて父親を殺した罪の意識を抱えているのです。


そして、500人の妃を500頭の牝象に乗せ、
引き連れて、お釈迦さまのいる園に行きます。

講堂にはたくさんの沙門がいるのに、
ひっそりと静まりかえっていて、
その中にお釈迦さまも静かに座っています。


このへんの文学的な情景にまずシビれます。


そして阿闍世王がお釈迦様に訊ねた質問がすごい。
「沙門にこの世で何の果報を得るのか」
簡単に言うと、
「みんな働いているのに、あなたがたは
そんな修行をしていて、いったい何の意味があるのか?」と。


このお経については、
スマナサーラ長老がパーリ語版を解説したものが
ネット上に掲載されていました。
とてもわかりやすいので、ご一読を。


↓(その1)。めくっていくと続きがあります。

http://www.j-theravada.net/explain/syamonka-0.html


「外道」という言葉は、とんでもない人たちのようなイメージですが、

みな真摯な宗教改革者であったこと、

そしてバラモン教に対する強烈なアンチが根っこにあったことを、

上記の解説から感じました。



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