「自力で歩けるよう教育する」という慈悲(長阿含26 三明経)
引き続き初期仏典シリーズ、本日は「長阿含」26経「三明経」です。
(『現代語訳 阿含経典 長阿含』5巻)
バラモンに対するお釈迦さまのタンカの切り方がかっこよかった。
三明バラモン(ヴェーダ三聖典を暗誦できる偉いバラモン)が
2人で教義について言い争いをしていて、
「オレの教えのほうが梵天に行ける」と主張・批判しあい、
「では釈迦に聞きにいってみよう」ということになります。
※神様・梵天でなく、場所としての梵天
お釈迦さまは、「梵天を見たことあんのか?」と。
「ヴェーダ三聖典を暗誦できたからといって、誰か一人でも梵天を見たことがあるのか? ないなら、なぜ梵天に行ける、などと言えるのか?」と。
それから、神にひたすら祈るバラモン教と違い、
仏教が「自力の教え」であることを説きます。この喩えが、うまいんですねえ。
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釈迦「ある人がこちらの岸でしっかりつながれ、
むなしく向こう岸に、『こちらに来て私を渡せ』と呼びかける。
向こう岸がやってきて、この人を渡すであろうか」
バラモン「いいえ」
釈迦「ある人が渡ろうとするのに、手足などの身体の力を用いず、
船や筏によらないで、渡ることができるだろうか」
バラモン「できません」
「岸につながれ」とは煩悩にとらわれている状態。
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待ってたら「向こう岸」が迎えに来た、なんてことはありえませんわな。
自分で筏をつくり、自力で河を渡れ、とお釈迦さまはこのお経で言います。
と聞くと、「やっぱり小乗仏教は冷たいね~。
助けてやれよ。慈悲、菩薩道でいけよ」とか言われてしまうのかな?
だとしたら心外です!
慈悲の種類が違うだけなのです(佐々木閑先生のウケウリです)
1)大乗の慈悲は”直接援助”
阿弥陀如来が西方浄土に呼んでくれたり薬師如来が病気を治してくれたり・・・
2)お釈迦さまのは、教育としての慈悲
「苦しみから逃れる道を私は発見したので、その道を教えてあげましょう」
途上国援助に例えれば、
「日本からゼネコンが行って資金も出して立派な橋をかけてあげる」のと、
「指導者だけ日本から行って、現地の人が橋をつくれるよう技術を教えてあげる」
との違いであって、どちらも利他的な行為でしょう。
『プレシャス』という映画がDVDになったので、さっき観ました。
スラムで絶望的な家庭に育った16歳の黒人少女が、
未来に希望を見出して自分の足で歩き始める話です。
そのキーポイントは、「読み書きを教えるフリースクール」でした。
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その苦行はムダでしょう(長阿含25経、倮形梵志経)
今日は「長阿含」第25経、「倮形梵志経」について。
(『現代語訳 阿含経典 長阿含』5巻)
倮とは「裸」のことで、裸の苦行者・迦葉(かしょう、カッサパ)が
お釈迦さまに苦行などについて尋ねる内容です。
この時期の「苦行ブーム」が垣間見られて面白かった。
どうもお釈迦さまは「苦行をしない怠け者」と悪評が立っていたみたいですね。
迦葉は言います。
「私はこのように聞いております。
沙門瞿曇(くどん=お釈迦様)はすべての祭祀の法をきびしくとがめ、
諸々の苦行者を罵って、けがれたものと考えておられる、と。」
当時、「人は生まれでなく努力で決まる」という新思想が出てきたので、
さまざまな人が「これが努力だろう」と考えて、思い思いにいろんな
苦行をやっていた「苦行ブーム」だったようです。その中身が面白くて、
一部を挙げると
・裸になる(ジャイナ教もそうですね)
・かめに入った食べ物を受けない
・犬が門の前にいれば、その家の食べ物を食べない
・1日に1食(2~7日に1食の各バージョンもあり)
・牛の糞、鹿の糞を食べる
・塚間衣(墓場に捨てられた遺体をくるんだ布)を着る
・いつも手を挙げている(今もインドにいますね)
・こしかけに坐らない
・裸で牛の糞の上に坐る etc/
意味不明の苦行もありますね・・・。
それに対するお釈迦さまの答えを超訳すると、
「苦しければ何でもいいってもんじゃないでしょう。
ガマン大会じゃないんだから」。
苦行を一律に「いい・悪い」とはいえない、
心の悟りを得るのに役立つ行とムダな行がある、ということです。
やっぱり裸で牛の糞に坐っても、悟りは開けなさそうですよねえ。
今でも、企業研修で「素手でトイレ掃除」とか「40km夜間行進」とか
「滝に打たれる」とか、あるらしいじゃないですか。
そのなかで、ポツリと「仕事の役に立たないと思うよ・・・」と呟く
クールでKYな社員。お釈迦さまはそういう人だったんだろうな。
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大川隆法総裁、ついに池田大作先生に対決か?
幸福の科学・大川隆法総裁が、ついに池田大作先生に物申すのか?
最近出た『宗教決断の時代 目からウロコの宗教選び』(10年9月30日刊)は、
けっこうルビコン川を越えた感じがあります。
だって、創価学会初代会長・牧口常三郎が霊界からやってきて、
大川総裁の口を通じて「霊言」として、
現・創価学会にあれこれ物申してしまうんですもの。
いや、読んでないから、牧口氏が「池田くんは素晴らしい」と言うのか
「まるでダメ」と言うのか知りませんけどね。
前々から、大川総裁は池田先生に対抗意識メラメラ説が出ていましたが、
どうなんでしょうねえ。
あと、統一教会の文鮮明教祖の守護霊も降りてきて、
霊感商法や共産党との関係について話されたみたいですよ。
(すごそうな目次をコピペ)
第1章 統一協会教祖の正体 ──文鮮明守護霊の霊言──
1.幸福の科学と他の宗教の違いを探る
2.質問者の魂をからめ捕ろうとする文鮮明守護霊
3.統一教会の教義に対する疑問
4.文鮮明守護霊の「自分を信じない者への接し方」
5.霊感商法をはじめとする活動の邪教性について
6.文鮮明は“キリストの再臨”なのか
7.“合同結婚式”について
8.文鮮明守護霊は「人間」をどう見ているのか
9.霊的に見た「統一教会の正体」
10.文鮮明守護霊の魂の遍歴
11.統一教会と共産党が対立する霊的背景
12.文鮮明が持っている「宗教観」とは
13.統一教会が目指すもの
14.統一教会の問題点を総括する
第2章 創価学会の源流を探る──牧口常三郎の霊言──
1.創価学会初代会長より、現在の考えを聴く
2.天上界から、創価学会をどう見ているか
3.幸福の科学と「法華経の真髄」との関係
4.幸福の科学と創価学会の違いとは
それから、最新号「Libaty」では、他教団を徹底比較。
「私こんなことやってました。── 信者・元信者が語る宗教体験」
というのは、「墓石売ってました」とかいう話をつい期待してしまいますね。
いろんな新興宗教をぐるぐる回る人っているので、
「元信者」は各種とりそろっているのかもしれません。
<目次の一部>
024 こんなに違う!主要5教団
030 私こんなことやってました。── 信者・元信者が語る宗教体験
036巨大霊能者の霊言現場に立ち会う
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