釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~ -136ページ目

四天王のお仕事はなにか(「世記経」忉利天品その3)

明けましておめでとうございます。
時節柄、煩悩がなんで108と言われるのか調べていたら、
恐怖の分類フェチ哲学『倶舎論』の
98随眠(ずいめん)+10纏(じってん)を足して108という記述が多いようで・・。
これについては、まだ不勉強なのでやめておきましょう。
漢字が多くて面倒くさいし。


どうでもいい話ですが、2010年のいちおうの個人的目標、
『長阿含』の現代語訳を読み終わる、というのが

駆け込みで間に合いました。


しばらく後追いでメモしていきます。

『長阿含』「世記経」忉利天品の面白かったところ、その3。

お寺でよく見る「四天王」についてです。


釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~


よく「仏法を守護する」などと書かれていますが、
具体的にどうやって守るのでしょうか?
「忉利天品」によると、四天王のお仕事は、いわば「地回り」なんだそうです。

世間を回って、人々が正しく暮らしているか、
世間を回って帝釈天に報告するのが仕事
なんですって。


「世間を調べて周り、民たちを視察せよ。
 素直に父母に従い、恭しく沙門やバラモンに従い、
 尊んで長老に仕え、斎戒や布施を行い、貧しい人々を救済
 しているか否かを察知せよ」 


それも、意外とシステマティックな視察で、
仏教の斎戒日(みんなで戒律を守る日)の「六斎日」が
地回りの日なんですって。

白月=月前半(1~15日)の8・14・15日
黒月=月後半(16~月末)の8・14・15日=23・29・30日

8日(8、23日)→四天王が使者に命じて視察させる
14日(14,29日)→四天王が太子に命じて視察させる
15日(15、30日)→四天王自らが視察する


そして四天王は、善法殿に赴いて帝釈天に報告します。
警察庁・所轄・交番みたいに組織化されてるんですねえ。


釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~


人々がきちんと暮らしていないと聞くと、
帝釈天は憂いて不愉快となり
「ええっ、そうなのか。世の人々には悪人が多い(略)のであれば、
諸々の天神たちを減らし、阿修倫どもを増やすことになる」と言う。


「ええっ、そうなのか」って…帝釈天は表情豊かですね。
視察中の四天王に町でバッタリ会ってみたいものです。



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天に生まれてもやっぱり人は堕落する (「世記経」忉利天品2)

本日も『現代語訳 阿含経典 長阿含』(第6巻)より。
「世記経」忉利天品の後半(同書では二)は、なかなか面白かったです。


輪廻輪廻といいますが、どうやって生まれ変わるの?と思うじゃないですか。

忉利天品にはこんなふうに書いてあります。


====================================

ある人が善いことをすると
「死んで、この世で最後の<識>が消滅すると、
天界における最初の<識>が生じ、識を原因として
<名>と<色>が起こり、<名>と<色>を原因として
<六入>が備わるのである」

=====================================


地獄もまたしかり。

目が覚めたらまず地の海が見えてくるのではなくて、
目が覚めたら「あ、地獄に生まれた」という意識が
立ち上がってくるという感じでしょうか?


もっと具体的にいうとこんなふうです(天に輪廻した場合)。


================================================


生まれたばかりの天神は、人間界の1~2歳のようで、
自然に神変によって出現して、天神のひざの上に座っている。
そしてかの天神がすぐさま<これは私の子供だ>と言う。」


なんと、わたしたちは赤ちゃん状態で、突然ポンッと、天神のひざの上
現れるんですって。
地獄だったら、鬼獄卒の膝の上?いやだなあ。

その子は、自然に智慧が生じて、すぐさま、
「私は過去にこういう善いことをしたから天界に生まれた」、
「ますます努力して善行を修めるだろう」と思います。


で、空腹を覚えると
ちょうどその子の前に自然の宝玉の器が現れ、
それには種種の美味が備わった自然の清らかな食べ物が
盛られている。もし幸いが多ければ、その飯の色は白であり、
幸いが中くらいであれば青であり、幸いが少なければ赤である
」。

===================================================


へえ、お赤飯が一番、幸が薄いんですね。
でも、この色の順位は、ほかのお経では違うこともあるそうです。


また、喉が渇くと、また自然に飲み物が出現して、
これらを消化してあっというまに大人の大きさに成長して、水浴びをしたり、

身を飾ったり、楽器を弾いて歌ったり、庭園で天女たちと戯れたりします。


いやあ極楽極楽、前世で善行を積んだ甲斐があったよ、
と思えば、ここからが最高です。


====================================================

しかし、かの天神は、遊びまわってるうちに、
あちらを見ればこちらを忘れ、こちらを見ればあちらを忘れ、
どんどん執着心を起こしていく
。」


生まれおちたときは、かの善行によって天に生まれた、と
自ら思念することをわきまえていたけれども、
遊びほうけて眺め回している時に、
この思いをすっかり忘れ去ってしまったのである。
かくして侍女を侍らすようになっていく。」


====================================================


なんと、せっかく天に生まれたのに、
わたしたちは性懲りもなく堕落してしまうんです

「古代インド人は人間というものをわかってらっしゃる!」と感心してしまいます。
遊びほうけた挙句、たぶん来世は人間界か畜生かなんかに
差し戻されてしまうんでしょう。



釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~  チベット絵画屋さんで売ってた、

                          おどろおどろしい六道輪廻図


天に生まれても堕落する。
地獄に堕ちても罪が尽きれば天に行ける。
インド人が考えた輪廻は、右肩上がりではなくて、
永遠のゴールのない迷宮のようなものなんですよねえ。


あ、それで今思ったのですが、
お釈迦さまは「輪廻は苦だから、もう2度と生まれたくない」
ということで涅槃を目指すわけですよね。
「天に生まれたらハッピーなのに、そんなに苦かしら?」と思いがちですが、

また人間や餓鬼に落ちたり、また頑張って天に行ったり、また地獄におちたり、
そんな無限輪廻は確かに「苦」だわ。しんどいですわ。



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大般若経600巻の謎

読んでいる「阿含経」と、テープで聴いている中村元仏典講座を
並行しているのでブログがぐじゃぐじゃになっているのですが、


本日、歩行中に聴いた中村元講座「こころをよむ仏典」は、
ようやく大乗仏典に入り、おなじみ「般若経」の回でした。


般若経の「空」の概念については
ぜんぜん不勉強ですし不用意なことを言うと恐ろしいのですが、
それ以前にとっても素朴な疑問が。


・「大般若経」は600巻も、何を書くことがあったのか


600巻ですよ、600巻。1冊の厚さ1cmとしても6mですよ。

よく「般若心経」はたった文字で般若経のエッセンスを表し・・・・とか書かれてます

が、300字に圧縮できる、要は「すべて空である」ということを、
どう書けば600巻まで膨らんでしまうのかしら?


長短いろんな経の集大成らしいですが、
いろんな人が同時多発的に「すべて空だよね」と書きはじめて、
それを集めたということでしょうか?


・玄奘はどうやってこれを訳したのか


一説によると、4年かけて訳したそうですが、てことは年に150巻。
てことは、ほぼ2日に1巻。どんだけ超人なんだ玄奘は。
意外と、繰り返しばっかりで、「またこの話かよ」とか言いながら、
半分コピペ状態で訳せたりしたのでしょうか。


・日本の能で、「般若」の面はなんで鬼なのか?


能面の「般若」は嫉妬に怒り狂った女の顔だそうです。
どこをどう巡って、この顔が「般若」になったのでしょうか?


釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~


・日本のお寺は「大般若経」を買っているのか?


ネットで見ていたら、仏典修復をする会社ってあるんですね。
兼美閣という会社のキャッチコピーで、
大般若経がバラバラにはがれたり、虫に喰われたりして
お困りではありませんか?」
と。
修復代600巻で111万円ナリ、
新規で買うと300万円、とありました。
買っても読まなきゃムダな設備投資ですし悩ましいでしょうね。



釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~  
300万円で売られていた大般若経。



ちなみに、「空」はサンスクリット語で「シューニヤター(sunyata)」。
空虚・空っぽというような、ややネガティブな言葉だそうです。


その前に、説一切有部という有力部派が、
「すべては有だよね」と言っているのに対して、
「それは違うだろ!」と異議を唱える人たちがいて、
あえてネガティブな言葉を使ったということです。

権威に対してアンチテーゼを唱えるときに、
嫌がらせみたいにわざとネガティブな言葉を使うのは、
現代においても常套手段ですが、般若さんたちもそういう感じだったのかな?


中村元テープによると、インド人の大発見である「ゼロ」も
空と同じ「シューニヤター(sunyata)」だそうです。
私が高校1年だったとき、数学の先生がどうかしていて、
最初の宿題は『零の発見』を読んでこい、でした。
読み直してみようかな、『零の発見』。



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