大般若経600巻の謎
読んでいる「阿含経」と、テープで聴いている中村元仏典講座を
並行しているのでブログがぐじゃぐじゃになっているのですが、
本日、歩行中に聴いた中村元講座「こころをよむ仏典」は、
ようやく大乗仏典に入り、おなじみ「般若経」の回でした。
般若経の「空」の概念については
ぜんぜん不勉強ですし不用意なことを言うと恐ろしいのですが、
それ以前にとっても素朴な疑問が。
・「大般若経」は600巻も、何を書くことがあったのか
600巻ですよ、600巻。1冊の厚さ1cmとしても6mですよ。
よく「般若心経」はたった文字で般若経のエッセンスを表し・・・・とか書かれてます
が、300字に圧縮できる、要は「すべて空である」ということを、
どう書けば600巻まで膨らんでしまうのかしら?
長短いろんな経の集大成らしいですが、
いろんな人が同時多発的に「すべて空だよね」と書きはじめて、
それを集めたということでしょうか?
・玄奘はどうやってこれを訳したのか
一説によると、4年かけて訳したそうですが、てことは年に150巻。
てことは、ほぼ2日に1巻。どんだけ超人なんだ玄奘は。
意外と、繰り返しばっかりで、「またこの話かよ」とか言いながら、
半分コピペ状態で訳せたりしたのでしょうか。
・日本の能で、「般若」の面はなんで鬼なのか?
能面の「般若」は嫉妬に怒り狂った女の顔だそうです。
どこをどう巡って、この顔が「般若」になったのでしょうか?
・日本のお寺は「大般若経」を買っているのか?
ネットで見ていたら、仏典修復をする会社ってあるんですね。
兼美閣という会社のキャッチコピーで、
「大般若経がバラバラにはがれたり、虫に喰われたりして
お困りではありませんか?」と。
修復代600巻で111万円ナリ、
新規で買うと300万円、とありました。
買っても読まなきゃムダな設備投資ですし悩ましいでしょうね。
ちなみに、「空」はサンスクリット語で「シューニヤター(sunyata)」。
空虚・空っぽというような、ややネガティブな言葉だそうです。
その前に、説一切有部という有力部派が、
「すべては有だよね」と言っているのに対して、
「それは違うだろ!」と異議を唱える人たちがいて、
あえてネガティブな言葉を使ったということです。
権威に対してアンチテーゼを唱えるときに、
嫌がらせみたいにわざとネガティブな言葉を使うのは、
現代においても常套手段ですが、般若さんたちもそういう感じだったのかな?
中村元テープによると、インド人の大発見である「ゼロ」も
空と同じ「シューニヤター(sunyata)」だそうです。
私が高校1年だったとき、数学の先生がどうかしていて、
最初の宿題は『零の発見』を読んでこい、でした。
読み直してみようかな、『零の発見』。

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