釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~ -13ページ目

初期禅宗の権力闘争がおもしろすぎる

いままで禅の本を少し読んだけれど、よくわからなかった。

それが『新アジア仏教史07 中国Ⅱ隋唐 興隆・発展する仏教』の第5章「禅宗の生成と発展」(小川隆先生)を読んだら、すごく面白かった。特に、初期禅宗の話



今ある禅宗は、それぞれに菩提達磨からつながる系譜を掲げているのだけれど、馬祖道一(70988)より前の資料がほとんどなくてわからなかったそうだ。

それが20世紀になって敦煌から初期禅宗の文献がザクザク見つかった。これがあっと驚く権力闘争の黒歴史で、世界に衝撃が走ったという。



今ある禅宗にはオフィシャルな系譜がある。たとえば臨済宗なら、、

菩提達磨―恵可―僧粲―道信―弘忍―恵能―南岳懐譲(なんがくえじょう)―馬祖道一。(六祖・恵能から色々な宗派に分かれたとされる)。



ところが、実際はそれ以前にいろんな派が乱立して、それぞれが勝手に系譜をデッチあげていたそうなのだ。それは敦煌文献が見つかるまで歴史から消去されていた。

(上の臨済宗の系譜にしても、馬祖道一が持ち出すまで、師匠の南岳懐譲は全く世に知られてなかったとか)。



それから、六祖の恵能を持ち出したのは、神会(じんね 684-758)で、これが相当にうさんくさい人物なのだ(敦煌文献で神会のことがいろいろわかった)。



当時、別の系譜を掲げる北宗(弘忍―神秀―普寂)が唐王朝に食い込んで権勢を誇っていた。ところが732年頃に、無名の僧・神会が突如として、北宗(普寂)を攻撃する運動をハデに開始。「ウチ(南宗)が正統だ」と急に主張し始めた。

読む限り、神会は強烈な権力欲があった人に見える。



それから、今も禅宗で「日常の行為そのものが仏道」みたいな話をよく聞くが、その端緒も神会のあたりにありそうなのだ。



神会は、坐禅や観想をして段階的に悟りに至るとする北宗を、一方的に攻撃した。これは「客体として措定された心に調伏を加える“愚人の法”」だ、と。


神会いわく、

「六代の祖師たちはみな『単刀直入(じきにゅう)、直了見性』という『頓悟』を説いた。北宗のような『階漸(かいぜん)』を説きはしなかった。道を学ぶものは『頓(ただち)』に仏性を見、そのうえで『漸(しだい)』に行を修めてゆかねばならぬ」

坐禅も、実際に座る必要はない。

「念の起こらぬのが『坐』、自己の本性を見るのが『禅』」



「(段階的な修行は必要なくて)今こうして侍御どのと語り合っている、それがそのまま“定慧等”なのです」(詩人の王維との会話)

 定=本性が無限定であること 慧=それを見ること



要するに、特別なことを考えずに、日常のふるまいの中で自分の本性を見て、「あっ」と瞬間的に悟るんですと。

もう少し後の時代に乱立した宗派の中には、法のことも考えず戒律も捨てて「只没閑」=「ただぼうっとする」ことを説いた派まであった。ただぼうっと…。読んでて噴き出しました。



馬祖道一の「平常心是道―ふだんの、あたりまえの心こそが道にほかならない」もこの延長線上だし、現代の禅僧の人たちが書く自己啓発書も似たようなことが書いてある。


確かに、忙しくて修行とかするヒマがないと、この教えは魅力的ではある。



神会はこういう路線を、どのぐらい思想的に本気で考えたのだろう?

北宗を攻撃するために考案した…んだったら恐ろしいなあ。


釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~

興隆・発展する仏教 (新アジア仏教史07中国Ⅱ 隋唐)

4200円と、いいお値段だけど、ほんと面白いですよ


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私に仏性はないと思う(『唯識と瑜伽行』3)

かなり乱暴なメモなので、真に受けないでください。



「仏性・如来蔵」ってのがありますよね。

どんな有情(生き物)にも、如来の本性という胎児(原因)をもっているという説。

最初はたぶん「みんな仏になる可能性がある」という普通の話だったのが、気がつけば「みんな本質は仏だ」みたいになっていた説。

斎藤明先生の講座によると、「インドよりも、現実肯定的なアジアで大ヒットした思想」。

日本人だと仏教シンパの95%ぐらいが自然に受容してて、5%ぐらいがひどく嫌っている(ように思う)。



これと唯識とがどういう関係なのか、よく知らなかったけれど、大いに関係があるらしい。

『シリーズ大乗仏教7 唯識と瑜伽行』の最後の章、8章「中国唯識思想史の展開」(吉村誠先生)はそのことを書いていて、面白かった。



ものすごく乱暴に書くと・・・

唯識派が発明した「アーラヤ識」は、煩悩含みでドクドク流れる深層意識で、あまりよろしくない。それが中国に伝わったとき、タッチの差で「みんな仏性がある」という説が流行り始めていて、じゃあこの汚らしいアーラヤ識どうすんだ?という話になり、南の方の人たちは「実はアーラヤ識の奥に『アマラ識』という無垢な識がある」と言い始めた。



それに納得がいかなかったのは、なんとあの玄奘さん。玄奘さんは「自分に仏性なんてあるのか?」という疑問を持っていて、正しい唯識の解釈を求めてインドに旅立ったのであった。

(と吉村先生は書いていた)



一切衆生に仏性があってもかまわないが、私にそんなものはない気がする。今日初めて会った男に「あなたって本当は無垢な人だよね」とリップサービスされたら、「何を根拠に?」とムカッとする、それと同じレベルで仏性・如来蔵にはどうも乗れない。


玄奘さんが本当に自分に仏性があることを疑っていたなら、あの玄奘さんにない仏性が私にあるはずがない、ほーらやっぱりね、と安心した次第です。



とはいえ、アンチ仏性唯識派の五姓各別(先天的に成仏できない人がいる)というカースト制みたいな説もひどいと思う(興福寺=法相宗はいまだにこの説を採ってるのだろうか?)。


普通に、「ほっとけば煩悩だらけだけど、頑張れば仏になれる可能性は誰にでもある」という話でいいじゃないの、と思うのですが・・・。



==8章「中国唯識思想史の展開」のメモ===========



インドの唯識思想は45世紀頃、無著・世親ブラザーズが組織大成。唯識論書は5世紀前半には中国に伝来



唯識と如来蔵思想はほぼ同時期に中国に伝来したが、中国人はより早く如来蔵のほうに親しみを感じ、その理解をもって唯識思想に取り組んだ。



中国では地論師が南道・北道に分裂(その後、南道のほうが隆盛)

   南道・・・アーラヤ識を妄識と真識に2分。アーラヤ識の奥に  

        真如を求める識。

   北道・・・如来蔵に冷淡→やがて衰退



九識説・・・八識(アーラヤ識)は妄識だとして、真識として第九識「アマラ(無垢)識を立てた。もとはアーラヤ識が転換した清浄な状態を指す「アマラ識」を、もともとあるものと考えた(これが如来蔵みたいなもの9。



玄奘(602-664)はなぜわざわざインドに行ったか。

伝記によれば中国各地で「摂大乗論」を学んだが、(九識を読み込む如来蔵的な)解釈に疑問が沸き、「瑜伽師地論」を得るべくインドに旅立った。

玄奘が自らに仏性があるかどうかを疑っていた、という伝記の記述がある(「大唐大慈恩寺三蔵奉仕。(※)



玄奘の訳業は、唯識経論・アビダルマ論書・大般若経の3つに大別できる。

→如来蔵と切り離した玄奘流のニュー唯識派と、やっぱり如来蔵な人たちとがいた。



ニュー唯識派は、五姓各別(ごしょうかくべつ)=一部のものは成仏できない、という説をとった。五つの種姓=声門種姓・独覚種姓・菩薩種姓・不定(ふじょう)種姓・無性有情(むしょううじょう)。無性有情は成仏できないんだって。

(初出は「仏地経論」、649年に玄奘が訳)



(※)

日本では最澄「法華秀句」の記述に基づいて、「玄奘がインドから帰国する際、中国では無仏性は受け容れられないだろうから、持ち帰る経論の中から無仏性の語を削除したいと述べたところ、戒賢に阿責された」という説が流布した。しかし最澄が引用した道倫「瑜伽論記」によれば、阿責されたのは玄奘でなくインドの諸師である。

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あーらやだアーラヤ識(『唯識と瑜伽行』その2)

つい先週まで、唯識っていったらあれでしょ、アーラヤ識でしょ、

と思っていた。

アーラヤ識とは、「心の最深層の無意識レベルで活動している潜在

意識」というように説明をされる。

これは唯識の人たち(瑜伽行者の人たち)のアイデアだ。輪廻して

も、私のアーラヤ識はずっと続くと彼らは考えた。


それまでの仏教は6つの認識(眼・耳・鼻・舌・身・意)を考えて

いたけど、どうもそれ以外にもあるんじゃないかってことで、

唯識の人たちは8識(6識+マナ識、アーラヤ識)を想定した。


アーラヤ識については、「フロイトより1500年ぐらい前に潜在意識

を思いついた仏教徒はすげー」という人たちがいる一方で、

「アーラヤ識って結局、アートマンに戻っただけでしょ。つまんな

いの」という人たちもいて、私の印象も後者に近かった。


確かに、「無我というなら、輪廻する主体は何なのさ?」という

面倒くさい問題に、「いやアーラヤ識が続くんです」という答えは

説明がつきやすい。

だからこそ、つまんないというか、答えに窮して思いついたアイデ

アなのかしらと思っていたら、どうもそう単純ではないらしい。


アーラヤ識というアイデアがどうやって出てきたかは、

まだ定説がないそうだが、瑜伽行者というぐらい瞑想マニアの人達

から出てきたのだから、理屈より瞑想体験から出てきたのかもしれ

ない、という説は、そうかもしれないと思った。


瞑想をしてると、外界のすべての刺激を感知しない滅尽定という

境地に至るそうだが、そのまま死んじゃう人はあまりいなくて、

なぜかフッと意識が戻ってくるそうだ。

なぜ・いつ戻ってくるのかはわからないけど、戻ってくるそうだ。


そういう体験をした行者たちが「あれっ、オレたちなんで戻って

これたの?」「6識全部が滅しても、何かが続いてるんじゃね?」

と思ったとしても不思議ではない。


PCがスリープ状態で真っ暗になっても、

待機電力とOSが静かに動いているようなものか?


とりあえずアーラヤ識への偏見は少し薄れたわたくしだった。



以下は『唯識と瑜伽行』(春秋社)の1章・6章からのメモ。




======6章「アーラヤ識論」山部能宜先生========


 アーラヤ識なる概念がどのような経緯で導入されのかについては、種々の議論があり、今日でも定説はない。

(瞑想体験によるものか? 

無我説のもつ理論的困難を解決するために要請されたものか?)



 シュミットハウゼン説

本来、アーラヤ識は、滅尽定という心の中断をつなぐものにすぎなかった。

その後、一生のあいだ身体を維持するもの→有情の基本的な構成要素とみなされるようになる

もともと生命を維持するポジティブなものだったのが、輪廻的生存への執着というネガティブな側面を持つように。



 6章の著者=山部能宜先生の推測

あるグループの行者たちが、何等かの内的宗教体験によって、これまで言われてなかった新しい体験(この場合はアーラヤ識の存在という)宗教的確信を得たなら、最初は誤解を避けるためやや婉曲に語り始め、それがある程度耳になじんだところで進んで革新的体験を語ることもありうるのでは(すべてが文献に残っているとは限らない)。

「解深密経」の「心意識相品」の有名な偈

「我と誤解されることを恐れて、未熟なものたちにはアーダーナ識(アラヤ識)を開示しなかった」



 アーラヤ識と、フロイトのいう深層心理学「無意識」との違い

深層心理学の「抑圧」の概念がアーラヤ識にはない、

アーラヤ識の輪廻の概念が心理学にはない  など



===第1章「唯識と瑜伽行」(桂紹隆先生)=========



・アーラーヤ識は「唯識三十頌」(世親)いうところの三種の「識転変」のうち「異熟転変」。

深い瞑想から出てきたとき、前の経験を想起できることから、何等かの識が続いている、と推測した。「異熟」とは、果物が変化しながら熟していくことで、説一切有部のアビダルマでは人間の行為(業)がその果報を生み出すこと、および果報そのものを意味する。

アビダルマに精通していた世親は、日常的な種々の認識の背後にあると想定された「根本識」を「異熟識」と呼び、さらに「アーダーナ識」(執着する識)、「アーラーヤ識」(沈潜/隠没する識)と呼び変えていった。



・アーラヤ識は過去の経験が植えつけた潜在印象(薫習/習気)を、未来が生み出す原因(種子)としてすべて内包している。

輪廻が続く限り「暴流のごとく」流れ続ける。



・アーラヤ識を「拠り所」として、それを「対象(所縁)」として生じるのが「思惟/意」と呼ばれる第二の識転変(我見・我痴・我慢・我愛の4煩悩を随伴する染汚意、自我意識)。

第三の識転変は、六識(眼・耳・鼻・舌・身・意)。前5識は水面に生じる波のようであり、根本識(アーラヤ識)に蓄えられているそれぞれの潜在印象(薫習)から同時に、もしくは異時に、縁があれば生じる。6つめの意識は、滅尽定など高度な瞑想や深い睡眠や悶絶状態を除けば常に生じている。 


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