初期禅宗の権力闘争がおもしろすぎる
いままで禅の本を少し読んだけれど、よくわからなかった。
それが『新アジア仏教史07 中国Ⅱ隋唐 興隆・発展する仏教』の第5章「禅宗の生成と発展」(小川隆先生)を読んだら、すごく面白かった。特に、初期禅宗の話。
今ある禅宗は、それぞれに菩提達磨からつながる系譜を掲げているのだけれど、馬祖道一(709~88)より前の資料がほとんどなくてわからなかったそうだ。
それが20世紀になって敦煌から初期禅宗の文献がザクザク見つかった。これがあっと驚く権力闘争の黒歴史で、世界に衝撃が走ったという。
今ある禅宗にはオフィシャルな系譜がある。たとえば臨済宗なら、、
菩提達磨―恵可―僧粲―道信―弘忍―恵能―南岳懐譲(なんがくえじょう)―馬祖道一。(六祖・恵能から色々な宗派に分かれたとされる)。
ところが、実際はそれ以前にいろんな派が乱立して、それぞれが勝手に系譜をデッチあげていたそうなのだ。それは敦煌文献が見つかるまで歴史から消去されていた。
(上の臨済宗の系譜にしても、馬祖道一が持ち出すまで、師匠の南岳懐譲は全く世に知られてなかったとか)。
それから、六祖の恵能を持ち出したのは、神会(じんね 684-758)で、これが相当にうさんくさい人物なのだ(敦煌文献で神会のことがいろいろわかった)。
当時、別の系譜を掲げる北宗(弘忍―神秀―普寂)が唐王朝に食い込んで権勢を誇っていた。ところが732年頃に、無名の僧・神会が突如として、北宗(普寂)を攻撃する運動をハデに開始。「ウチ(南宗)が正統だ」と急に主張し始めた。
読む限り、神会は強烈な権力欲があった人に見える。
それから、今も禅宗で「日常の行為そのものが仏道」みたいな話をよく聞くが、その端緒も神会のあたりにありそうなのだ。
神会は、坐禅や観想をして段階的に悟りに至るとする北宗を、一方的に攻撃した。これは「客体として措定された心に調伏を加える“愚人の法”」だ、と。
神会いわく、
「六代の祖師たちはみな『単刀直入(じきにゅう)、直了見性』という『頓悟』を説いた。北宗のような『階漸(かいぜん)』を説きはしなかった。道を学ぶものは『頓(ただち)』に仏性を見、そのうえで『漸(しだい)』に行を修めてゆかねばならぬ」
坐禅も、実際に座る必要はない。
「念の起こらぬのが『坐』、自己の本性を見るのが『禅』」
「(段階的な修行は必要なくて)今こうして侍御どのと語り合っている、それがそのまま“定慧等”なのです」(詩人の王維との会話)
定=本性が無限定であること 慧=それを見ること
要するに、特別なことを考えずに、日常のふるまいの中で自分の本性を見て、「あっ」と瞬間的に悟るんですと。
もう少し後の時代に乱立した宗派の中には、法のことも考えず戒律も捨てて「只没閑」=「ただぼうっとする」ことを説いた派まであった。ただぼうっと…。読んでて噴き出しました。
馬祖道一の「平常心是道―ふだんの、あたりまえの心こそが道にほかならない」もこの延長線上だし、現代の禅僧の人たちが書く自己啓発書も似たようなことが書いてある。
確かに、忙しくて修行とかするヒマがないと、この教えは魅力的ではある。
神会はこういう路線を、どのぐらい思想的に本気で考えたのだろう?
北宗を攻撃するために考案した…んだったら恐ろしいなあ。
4200円と、いいお値段だけど、ほんと面白いですよ