お釈迦さまが成仏するとき悟ったのは「四諦」か「縁起」か
夏休みに『上座部仏教の思想形成 ブッダからブッダゴーサへ』(春秋社、著:馬場 紀寿先生)を読み終わった。
いやー、ひとつひとつ謎を解いていくミステリーのような面白さでしたよ。
パーリ正典ミステリー。
私たちが今「お釈迦さま直伝」と思っているテーラワーダ仏教(上座部大寺派)や
スッタニパータやダンマパダ(小部)などのパーリ仏典は、
いつどうやって「お釈迦さま直伝」に認定されたのか?
そこには5世紀の学僧・ブッダゴーサの思想と思惑が……。
まっとうなレビューは、5年も前にここに書かれてます。
http://d.hatena.ne.jp/ajita/20080809
私ぐらいの在家素人でもじゅうぶん面白く読める本でした。
前に、「お釈迦さまがまず“悟った”のは縁起らしい」と書いたら、
「四諦じゃないんですか」というコメントをもらって、
城邑経(相応部)とか読むと縁起っぽいよ、と適当なお答えをした。
解説本でも「まず縁起」と書いてあるものが多いように思う。
でも、ことはそう簡単でもないらしい。
パーリ仏典には、「縁起だ」説と「四諦だ」説が混在するのだ。
中部に頻出するのは「四諦型三明説」。
まず初夜=夜の初め頃に「過去の生涯を想起する智(宿命知)」を、
中夜に「天眼による(存在者の)死と再生の智(死生知)」を、
そして後夜=夜更け~明け方に「四諦だ!」と思って仏になったと。
(中部も読んだのに覚えてない…。情けない…。)
同書によると、<定型的な成仏伝承>は、
律蔵 四諦型三明説
長部 縁起成仏説 (14経 大本経)
中部 四諦型三明説 (4,19,36,85,112経)
相応部 縁起成仏説 (因果相応65経、4~10経)
増支部 四諦型三明説
なのに、ブッダゴーサさんは「中部註」で、「縁起を悟って成仏」としたそうです。また修行方法についても、当時インドの各部派で一般的だった「四諦の観察」を排して、「諸行(無常な諸法)の観察」という修行体系に転換したそうです。なんで?
と、こういうような話がたくさん書いてあって超刺激的な本だった。
どうでもいい話だけど、
「三明説」によると、その日のお釈迦さまは夜の初めから明け方まで、 各種悟りまくりで仏になって、相当疲れたと思うんですよね。
明け方に悟ったあと寝たのかな?
仏になって最初にしたことが「昼まで寝る」だったら、ニートの星だよね。
神智学からUFO、陰謀論、「幸福の科学」まで(『現代オカルトの根源』)
面白い本を読んだ。
『現代オカルトの根源 霊性進化論の光と闇』(大田俊寛著、ちくま新書)という本だ。
シュタイナー、テンプル騎士団、ナチス、エドガー・ケーシー、アダムスキー、オウム、幸福の科学・・・・。
霊的に進化した人間と劣った人間、アトラティスなど幻の大陸、UFO、陰謀論・・・。
要するに『ムー』に出てくるようなトンデモ話の根源はなにか?
著者はその根源を、19世紀にロシアの霊媒・ブラヴァツキー夫人が創始した「神智学」に見る。
「人間は輪廻転生をくりかえしながら霊性を進化・向上させ、ついには神的存在にまで到達することができる」。
この「霊性進化論」こそが、神智学から幸福の科学までを貫く核だ、と。そこにはインドの輪廻転生思想がものすごく大きな影響を与えている。
同書では、さまざまなオカルト言説の変遷を追っているのだが、驚くほど似ているのだ。
読んでると気が変になりそう。でも人間って、同じようなことしか思いつかないものだなー。
で、「霊性進化論」の元祖たる神智学は、ダーウィンの進化論によってキリスト教が脅威にさらされたときに出現したという。そういえば近現代オカルトって、「科学では解明できないものがある」とか言いながら、濃厚にエセ科学の要素を取り込んでいる。
面白いのは、筆者がそれを「一笑に付して済ますことが許されるだろうか」と捉えていることだ(同書「おわりに」)。さすが、キリスト教の異端・グノーシス主義の研究者だけある。人はなかなか科学的合理性だけでは生きられない。特に、自分が死んだら跡形もなくなるという事態に人は耐えられないから、「霊性進化論」はずっと生き延びてきたのだろう。
広い意味での宗教的なものと科学との亀裂、それを埋める落としどころとしてのオカルト。
半笑いでスルーされている「幸福の科学」をきちんと分析した本って、珍しいんじゃないでしょうか。
現代オカルトの根源:霊性進化論の光と闇 (ちくま新書)
『上座部仏教の思想形成』がやっと増刷された
いまどき手に入らない本があんのか?という時代に、手に入らなかった本『上座部仏教の思想形成 ブッダからブッダゴーサへ』(馬場/紀寿先生著、春秋社、2008年)が、ようやく増刷された。そして今日、私の手元に届いた。YEEEES!
私たち素人が「お釈迦さまはこう言った」とか「(本来の仏教、というニュアンスで)初期仏教では」と言うとき、それはだいたいパーリ語の仏典を引っ張っている。
素人としてはそう考えるしかないんだけど、実際そうかというと、ことはそう単純ではないらしい。「お釈迦さまはこう言った」を正確に言えば、「スリランカ上座部大寺派のパーリ正典にこう書いてある」ということになる。
じゃあ、そのパーリ正典と上座部の思想は、どうやってできたの?ということを解き明かした労作が、この本だ。 ね、“初期仏教”ファンなら読みたくなるでしょ?
この本によると、上座部仏教の独自性を確立したのは、なんと5世紀の、ブッダゴーサという注釈家だった。「上座部仏教のみが仏陀の正嫡だとする立場を覆す画期的研究」(版元のHP)だそうです。
パーリ正典ロマン派にとっては不快かもしれないね。
これは、若くて面白い馬場紀寿先生(1973年生まれ、東京大学東洋文化研究所助教)の博士論文がもとになっているから、まごうことなき専門書なんだけど、パラパラ見た範囲では、私でもなんとか理解できそうだった。
もうとにかく、版元にもない、図書館にもない、古本屋にもない、アマゾンの中古で6万8000円というフザけた値がついている、という状態が長らくあって、私のウィッシュリストで寂しく眠っていたのです。それがやっと増刷されて、定価9300円が安く見えちゃいましたよ。いつまた品切れになるかわからないので、興味があれば早めに買ったほうがいいですよ。