釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~
Amebaでブログを始めよう!
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>

ガンダーラの仏像を信州で見てきた

日本でガンダーラ仏のある数少ないところ
「平山郁夫シルクロード美術館」(山梨県・小海線「甲斐小泉」駅)に行ってきた。

平山郁夫画伯の絵には全然興味はないのだけど、
ガンダーラはじめ散逸してしまいそうな仏像をコレクションされたのは
たいへんな功績だと思う。

コレクションはたくさんあるそうだけど、
美術館では小さな部屋に仏像・浮き彫りなどが十数点あるだけ。
それでも、日本ではめったに見られない仏教美術に、至福のときだった。

http://www.silkroad-museum.jp/index.html

本で見た有名なものもあった。
お釈迦さまの両肩から炎が出ている浮き彫り
(拝火教=ゾロアスター教の影響)とか。

四天王像の、左から2人目(毘沙門天)が
見るからにイラン系遊牧民の格好をしている浮き彫りとか。





5月の甲斐大泉は、
水仙、芝桜、菜の花、杏、菜の花、などのお花がいっぺんに咲いて
極楽みたいに美しかった。

宮地昭先生の本もいくつか読んだけど、この新装版も読みたい~。



仏像学入門 〈増補版〉: ほとけたちのルーツを探る

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ
にほんブログ村

めくるめく無常の世界『仏典の植物事典』

前々から気になっていて、去年ぐらいに新装版が出たので
やっと買って読了した本『仏典の植物事典』(八坂書房、満久崇麻著)。
これは、とっても楽しいと共に、仏教観が少し変わる本でした。オススメ!





初期仏典(に限らずですが)、仏典を読んでいると、植物の名前がいっぱい出てきますよね。
でも、インドの植物であるうえに漢訳されてたりして、どんな植物かわからないもの。
それを、植物学者が解説した珍しいものが、この本です。

最初にカラー写真が出ていて、本文では仏典を引用しながら、
その植物が何であるかが解説されているのです。

日本で菩提樹と言われている樹が、お釈迦さまが悟りを開いた菩提樹とは全然別物
(栄西が間違って伝えたとか)といったうんちくもさることながら、
仏教のイメージが体感的にちょっと変わる楽しい本でした。
著者は植物学者なので、仏教に関する記述は間違いがあるのかもしれないけど、
仏典の引用と植物解説というのは本当に読んでて楽しいです。

だってバリバリに熱帯植物なんですもの。

日本でお寺というと、紅葉に竹とかの静謐イメージですが、
仏典に出てくるのは見たこともない南洋植物ばっかり。

お釈迦さまが入滅したときに降ったマンダラーヴァは、
沖縄県花の真っ赤なデイゴだし、
よく仏典に出てきて経典書写の”紙”にもなった多羅樹は
ハワイにでも生えてそうなヤシの樹(オオギヤシ)。

法華経では、そのオオギヤシが七宝でできてるっていうんですから、
どんだけきらびやかな南洋なんだ、って感じです。

絵でいえば、ゴーギャンとか?
日本でいえば、沖縄とか奄美とかの植生に近いんですよね。
奄美の絵を書いた非業の画家・田中一村とか。




この、色と香りのむせ返る豊穣な「有」の世界で、
毎日毎日、花が咲いたり落ちたり、葉が落ちたり、
洪水で流されたり、孔雀が鳴いたり、
というなかで考案された「無常」という実感。
これは砂漠の宗教と違う。
めくるめく無常の世界であります。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ
にほんブログ村
仏典の植物事典

慈悲ってなに?なぜ慈悲は善いこととされているのか?

えらく久しぶりにブログを書きます。
毎日でも書くことはあるのに時間がない!いやになってしまう。


南直哉さんの「仏教私流」は、今日(4月)、法然さんの話が終わり、
親鸞さんとか道元さんに入っていくかどうか、という、いよいよ佳境。

本日、質問タイムに「慈悲をどう考えるか?」と訊いた方がいた。
南さんといえば、バリバリに智慧の人だけれど、慈悲についてはあまり
お話に出ないので、面白い質問だと思った。

「慈悲とはなにか」。
南さんは即座に「想像力です」と答えた。

相手が何を考えているかは、絶対にわからない。でもそれを想像する。
想像するけど、それは必ず誤解である。
自分の頭で想像するんだから、他人の頭の中がわかるわけない。

必ず誤解なんだけど、なんか言ったりやったりしてるうちに
相手が反応したりする(誤射でも当たることがあるしね)。
絶対にわからない相手について、想像することをやめないこと、
それが慈悲である、と。


「慈悲ってなに?」「空ってなに?」「涅槃ってなに?」
みたいなことに対して、借り物じゃなく、自分の言葉が即座に出るってすごい。
そんなことを膨大な時間、考えてきたんだろうなあ。

で、南さんも当然、考え抜いたこととは思うけど、
なんで慈悲が「善きこと」とされてるのの?
他者のことを想像するのは善いって根拠は、なに?
キリスト教でも「隣人愛」みたいなのがあるそうですが、
およそ世界宗教や道徳で「他者を思いやるのは悪である」と説くものは
あんまり見たことがない(いや、あるのだろうか?)。

前に読んでブログでもメモした『利他学』という本では、
心理学的な実験をすると、ほっといても人は他者を鑑みて行動すると。
結局のところ、人類は動物としては弱くて
集団を作ることで生き延びられる種だから、みたいなことが書いてあった。

もし人類が集団を作ることで生き延びにくくなる種なら、
「他者を思いやるのは悪である」という宗教や道徳が発展したことでしょう。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ
にほんブログ村

1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>