慈悲ってなに?なぜ慈悲は善いこととされているのか? | 釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~

慈悲ってなに?なぜ慈悲は善いこととされているのか?

えらく久しぶりにブログを書きます。
毎日でも書くことはあるのに時間がない!いやになってしまう。


南直哉さんの「仏教私流」は、今日(4月)、法然さんの話が終わり、
親鸞さんとか道元さんに入っていくかどうか、という、いよいよ佳境。

本日、質問タイムに「慈悲をどう考えるか?」と訊いた方がいた。
南さんといえば、バリバリに智慧の人だけれど、慈悲についてはあまり
お話に出ないので、面白い質問だと思った。

「慈悲とはなにか」。
南さんは即座に「想像力です」と答えた。

相手が何を考えているかは、絶対にわからない。でもそれを想像する。
想像するけど、それは必ず誤解である。
自分の頭で想像するんだから、他人の頭の中がわかるわけない。

必ず誤解なんだけど、なんか言ったりやったりしてるうちに
相手が反応したりする(誤射でも当たることがあるしね)。
絶対にわからない相手について、想像することをやめないこと、
それが慈悲である、と。


「慈悲ってなに?」「空ってなに?」「涅槃ってなに?」
みたいなことに対して、借り物じゃなく、自分の言葉が即座に出るってすごい。
そんなことを膨大な時間、考えてきたんだろうなあ。

で、南さんも当然、考え抜いたこととは思うけど、
なんで慈悲が「善きこと」とされてるのの?
他者のことを想像するのは善いって根拠は、なに?
キリスト教でも「隣人愛」みたいなのがあるそうですが、
およそ世界宗教や道徳で「他者を思いやるのは悪である」と説くものは
あんまり見たことがない(いや、あるのだろうか?)。

前に読んでブログでもメモした『利他学』という本では、
心理学的な実験をすると、ほっといても人は他者を鑑みて行動すると。
結局のところ、人類は動物としては弱くて
集団を作ることで生き延びられる種だから、みたいなことが書いてあった。

もし人類が集団を作ることで生き延びにくくなる種なら、
「他者を思いやるのは悪である」という宗教や道徳が発展したことでしょう。


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