現地雇用になって、失ったものは少なくない。

 

住宅補助。

一時帰国費用。

福利厚生。

日本の社会保障。

 

会社が用意してくれていた「安心」は、ほとんどなくなった。

もちろん不安はあった。

 

 

でも、一番大きかったのは、お金ではない。

 

「会社が人生を設計してくれる」という前提を失ったことだった。

 

駐在員の人生は、ある程度会社が設計してくれる。

 

海外へ赴任し、数年働き、帰国する。

住む家も、保険も、子どもの教育も、ある程度は制度の中で考えられている。

 

現地雇用になると、その前提はなくなる。

 

どこに住むのか。

どんな保険に入るのか。

老後はどうするのか。

 

すべて自分で考え、自分で決める。

 

 

最初は、それを「失った」と感じた。

 

でも今は少し違う。

 

会社が決めてくれなくなった代わりに、

自分で選べるようになった。

 

それは責任でもあり、自由でもある。

 

 

駐在員ではなくなって、失ったものは確かにあった。

でも、その代わりに手に入れたものもあった。

 

それは、

自分の人生を、自分で設計するという感覚だった。

 

駐在員として働いている頃は、どこかで「いつか帰る」という前提があった。

任期は決まっていなくても、駐在である以上、いずれ帰任する。

 

だから仕事も、どこか区切りを意識していた。

もちろん目の前の仕事には全力だった。

でも、その先の5年、10年を自分が担うという感覚はなかった。

 

現地雇用になって、その前提がなくなった。

 

帰任という期限が消えた。

 

すると、不思議なことに仕事の見え方も変わった。

 

「来年どうするか」ではなく、

「この会社やこのプロジェクトを5年後にどうしたいか」

そんなことを考えるようになった。

 

事業への向き合い方も変わった。

自分が植えた種を、自分で育てられる。

途中でバトンを渡す前提ではなくなった。

 

 

もう一つ変わったのは、周囲との関係だった。

 

以前は、どうしても

「日本から来た駐在員」

という見られ方があった。

もちろん受け入れてもらっていた。

ただ、「いつか帰る人」という認識は、どこかにあったと思う。

 

 

現地雇用になってからは、それが変わった。

 

自分はもう「駐在員」ではなく、

チームの一員になった。

 

しかも、この会社では前例がなかった。

駐在から現地雇用へ切り替えて残った最初の人間。

 

だから周りも、「残ってくれた」という受け止め方をしてくれた。

 

それは想像していた以上にうれしかった。

 

 

現地雇用になって一番変わったのは、給与でも福利厚生でもない。

 

仕事への向き合い方だった。

 

そして、

会社から見た自分の立場でもあった。

 

「いつか帰る人」ではなく、

「この先も一緒に会社をつくっていく仲間」。

 

そう思ってもらえたことが、自分にとっては一番大きな変化だった。

現地雇用への切り替えを考えた時、

「なぜオーストラリアに残りたいのか」

と聞かれることがあった。

 

ただ、今振り返ると少し違和感がある。

 

正確には、

 

オーストラリアに残りたかったというより、この会社に残りたかった。

 

そう言った方が近い。

 

 

もちろん生活環境は良かった。

気候も良い。

家族も馴染んでいた。

ただ、それだけなら現地雇用という選択までは考えなかったと思う。

 

当時、会社は大きな転換期にあった。

幹部交代があり、同世代のメンバーが経営側に入った。

 

これから事業をどう伸ばしていくのか。

どんな会社にしていくのか。

そんな話をする機会が増えていた。

 

その中で思った。

 

この成長を外から見たくない。

 

当事者として関わりたい。

 

できるところまで一緒にやってみたい。

GMから

"What can you bring to the company?"

と聞かれた時、すぐに答えられたわけではなかった。

 

現地雇用への切り替えを考える中で、

初めて自分自身の市場価値と向き合うことになった。

 

自分には何ができるのか。

なぜ会社は自分を雇い続けるべきなのか。

 

そんなことを改めて考えた。

 

 

最初は、英語力なのかと思った。

確かに仕事で困ることはない。

会議も交渉も問題なくこなせる。

 

ただ、それだけなら現地にはもっと優秀な人がいる。

英語ができること自体は価値にならない。

 

専門知識も同じだった。

もちろん経験はある。

しかし、それだけなら代わりがいないわけではない。

 

では何だったのか。

 

振り返ると、自分が評価されたのは

日本とオーストラリアの両方の感覚を理解していたこと

だったと思う。

 

現地法人とはいえ、親会社は日本企業だ。

意思決定の考え方。

リスクへの向き合い方。

品質への考え方。

長期的な関係性の重視。

 

日々の仕事の中で、日本的な価値観は少なからず存在する。

 

一方で、現地法人は当然ながらオーストラリアの会社として動いている。

スピード感も違う。

コミュニケーションも違う。

仕事の進め方も違う。

 

 

その間には、意外と大きなギャップがある。

そして、そのギャップを埋めることが自分の役割だった。

 

日本側が何を気にしているのか。

現地側が何を考えているのか。

両方が理解できる。

それをお互いに翻訳する。

言葉だけではなく、考え方や価値観も含めて。

 

 

もう一つ大きかったのは、現地への溶け込み方だったと思う。

 

私は親会社からの出向者として来た。

だから最初は当然、

「日本から来た駐在員」

だった。

しかし時間が経つにつれて、その感覚は薄れていった。

少なくとも自分自身はそう感じていた。

 

よく言われることだが、

駐在員は時として

「親会社の目」

として見られる。

 

極端に言えば、

「親会社から送り込まれたスパイ」

のような存在だ。

 

もちろん冗談交じりではあるが、そういう距離感が生まれることは珍しくない。

 

ただ、自分の場合は比較的早い段階で受け入れてもらえた。

少なくとも周囲からは、

「日本から来た人」

ではなく、

「チームの一員」

として扱われていたと思う。

 

後になって振り返ると、

駐在期間の中でここまで現地組織に入り込めるケースは珍しかったのかもしれない。

 

市場価値というと、資格や語学力を想像しがちだ。

もちろんそれも大切だと思う。

 

ただ、自分の場合は違った。

評価されたのはスキルそのものではなく、

 

二つの組織をつなげることができる立場だった。

 

そして何より、

 

現地組織の一員として信頼を得られていたことだった。

 

現地雇用への道が開けた理由があるとすれば、おそらくそこだったと思う。

残りたい。

 

その考えを初めてGMに相談した時のことを今でも覚えている。

 

反対されるか不安だった。

けれど、返ってきた言葉は意外なものだった。

 

"What can you bring to the company?"

 

会社に何をもたらせるのか。

 

残りたい理由を聞かれたわけではなかった。

オーストラリアが好きなのか。

生活が気に入っているのか。

そんな話でもなかった。

問われたのは、自分の価値だった。

 

その言葉には、

「残るな」

という意味は全く含まれていなかったと思う。

 

むしろ逆だった。

 

本当に残りたいのであれば、

自分が会社に提供できる価値を説明できるはずだ。

そういう問いだった。

 

 

その時、自分は初めて考えた。

なぜ自分なのか。

現地採用の人ではなく。

次に来る駐在員でもなく。

なぜ自分を雇い続けるべきなのか。

 

現地雇用への切り替えを考える時、

つい

「どうすれば残れるか」

を考えてしまう。

 

でも本当に重要なのは逆だった。

 

「なぜ会社は自分を残すべきなのか」

 

だった。