ソチオリンピックも始まり、多くの若者が世界を体験する。
一部の日本人は、それがいかにも偉大なことと持て囃すが、
はたして、本当に世界を覗いたことになるのであろうか?
技量の程度をはかるには、なるほど持って来いの環境だが、
それ以外の部分で彼等が国際的であるとは言い難いとされる。
その理由は、他国の人との交流も無くして、
国際感覚など磨きようがないからである。
意思の疎通を行うには、やはり会話がベースとなる。
そこで、どうしても必要なのはVerbal communicationとなる。
言わずと知れた、お互いの共通言語による会話である。
世界の共通語と言えば、英語かスペイン語しかない。
使用されている国の数と、人口により、
暗黙の了解のうちに国際語とされている。
日本人アスリートのうち、何%が国際語を理解できるだろうか?
柔道やレスリングで金メダルが取れたとしても、
会話ができなければ意思の疎通ははかれない。
国際語での会話ができたとしても、
勿論金メダルは取れないのも事実だ。
だが、スポーツの上で経験する障害と、
日常生活における障害は別物である。
言語が、意思の疎通に際して障壁になるのは、
なにも今に始まったことではないのであるが、
この障壁を乗り越えてこそ国際交流が生まれる。
言語を堪能に解し、障壁を乗り越えた者こそが、
国際人と認められ、世界を覗いたと言えるのだ。
話は変わるが、昨夜のあるテレビ番組を見る限り、
日本人が英語を話せるようにはならないと感じる。
英語を、単に流行やファッションと捉えている間は、
日本国民の間に英語が根付くことはありえないようだ。
なぜなら、流行やファッションは必ず廃れることがあり、
等しく世間に定着することは難しいと考えられるからだ。
日本人同士が、英語により会話をしている姿は、
どうしても想像することが出来ないのである。
いくら、これから小学校での必須授業になるとは言え、
所詮は一過性の教育であり、流行の一つでしかないのだ。
以前にもお伝えしたが、英語を始める人の72%が、
続かずに途中で止めてしまうのをご存知だろうか?
社会的な流行では無くとも、個人的なブームはある。
ブームの火が落ちれば、自然と興味も損なわれる。
日本人の多くが、英語を話せない理由がここにある。
ただの興味本位では、取っ掛かりには良くても、
維持するには不十分であるといっていいだろう。
せっかく、英語を学ぶ環境が整って来ているのだ、
上手に使うことが出来ればいくらでも成長できる。
後は、モティベーションを高く維持し、
ただの流行で終わらせないことである。
学ぶ方法など、腐って糸を引くほどにある。
継続こそが力となりえるのは、スポーツだけには留まらない。
ブログを放置しておくと、見る間にアクセスは減る。
続けて書く工夫をしてみよう。
忙しいのは嬉しいが、程度問題だな。
また近々、お話しよう。
See you someday!