なごやんのBCL史(番外㊻)「あの頃はよかった」はなし(2) | (新)なごやん

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カテゴリーは敢えて「つぶやき」にしました。

「あの頃はよかった」の第1回はここです。

 

 今なお続いていることで、昔を振り返り、「あの頃はよかったなぁ。」と思うことがあります。どういう意味でよかったかというと、通信が一方向性ではなかったということでです。

 そんな話題を2つほど挙げてみました。そのひとつは今回のSWL(DXing,BCL,短波受信,海外放送受信・・・)でのことです。

 

 外国の(国内の商業放送でもいいですが)放送を聴いて、受信状態や放送内容、感想、意見などを書いて放送局へ送ると、受信(確認)証(QSLカード,ベリカード)が送られてきたり、放送の「お便りの時間」等で取り上げられたします。もちろん、そういった番組を持っていない放送局もあります。

 ただ、郵便では大抵はポツンと受信証やプログラム、ちょっとしたドキュメントなどが、画一的に送られてくるだけではないでしょうか。最近ではEメールに受信証が添付されているだけということもあります。それも、PDFやJPGではなく、ワードやエクセルだったりとか。

 個人的なメッセージが送られることはまずないでしょう。特別の場合を除いては。

 

 しかし、かつてはありました。残存している資料をもとに、そのいくつかを紹介します。多くは以前、シリーズで紹介した局の視点を変えた焼き直しです。

 

【ベトナムの声放送(日本語)

 まだ、米国が当時のベトナム民主共和国(北ベトナム)に執拗なまでの侵略・攻撃を繰り返していた頃の1960年代です。

 私の現代史(私が生きている時代)の中で最も尊敬する政治家の一人である北ベトナム国家主席のホーチミン(胡志明)氏が1969年9月2日に亡くなられたことを伝えるベトナムの声放送に受信報告に添えてお悔やみの言葉を送ったことに対する返事です。その時は同時にラオスの地下放送局、パテトラオ放送へのメッセージも同封し、届けてくれるようお願いもしています。

 

 ベトナムの声放送は、これ以外にも私の質問や意見に対しては、定型文書の下の空白に返事を書いてくれました。

 聴取者全てに同様の対応であったかどうかはわかりませんが、私がまだ駆け出しのころで、バリバリのOMさん(ベテラン)がたくさんおられましたから、少なくとも、私だけへの対応ではなかったでしょう。

 

 今は、「おしゃべりタイム」という番組で何人かの手紙を紹介し、それに対して返事など、まさに"おしゃべり"し、あとは便りをくれた聴取者の名前を放送しています。私の手紙がその番組で紹介された時もされなかった時も、返書(郵便)の中に個人あてメッセージが入っていたことはありません。

 

【ヴァティカン放送(日本語)

 宗教放送ですが、カトリックの話だけでなく、地域の話題、ニュースなどもあります。しかも教皇の一言は世界に影響を与えます。

 日本語放送は週3回、各15分間しかありませんでしたし、今のようにアジアに中継所を持っていたわけではないので、いつも良好に受信できるわけではありませんでした。それでも、私はよく聴きました。

 返信の手紙にはいつもこんなメッセージがぎっしり肉筆で綴られていました。

 

 どのくらいの日本人聴取者がいたかわかりませんが、ひとりひとりにこういった手紙を書くのは、さぞかし大変だったでしょう。しかも、当時はパソコンなどなく、大部分の手紙は肉筆だったでしょうから、聴取者からの手紙を読むのさえ苦労されたのではないでしょうか。

 

【地中海放送(Radio Mediterranean)(英語)

 冷戦時代、地中海で東西の均衡をとりながら、不屈の精神で存在を誇示していたマルタ共和国の首都、ヴァレッタにある放送局で、私はそう頻繁に聴いたわけではありませんが、私の質問に対しては、受信証とは別の絵葉書で答えてくれました。肉筆です。1980年代のことです。

 

【スイス放送(英語)

 この放送局の受信証はそもそも(定型文はありますが)(印刷ではなく)個別にタイプされて発行されていましたが、私がスイスの音楽をリクエストすると、それについても「係に回したよ」という返事があり、それが放送で取り上げられると、事後報告(笑)が別便でありました。

 

 この局は、私の趣味が昆虫採集だと知ると、昆虫がデザインされた切手をどさっと送ってくれたり、結構個別サービスが精神が旺盛でした。受信証に個人宛のジョークが書いてあったり・・・

 

【プラハ放送(英語)

 この放送局からは、定型文の該当箇所にチェックする共通書面に続き、個人宛のメッセージが書かれていました。その時には放送から離れた話題や質問、感想についてのコメントもありました。まさに、セミオーダーメード返信です。

 

【ラジオ・ブダペスト(英語)

 何人かのペンパルのいたハンガリーに私は大きな関心を持っていて、この放送局とは頻繁に交流がありました。

 そんな中で、私が受信証と一緒にマジャール語(ハンガリー語)には日本語と類似した部分がたくさんあると書いた手紙に対する返事です。最後のオチが面白いですよね。

 

【ラジオ・ブクレシュチ(ブカレスト)(英語)

 通常は定型的な手紙が同封されてきましたが、そうであっても、印刷物としてではなく、個別にタイプした手紙の場合もありました。この手紙は私がある国家試験に通ったことを伝えた手紙への返事です。ルーマニアはこの時点で、まだチャウシェスク独裁政権でしたが、放送自体はそんなことを感じさせない明るさがありました。

 手紙には「after such a long time」とありますが、せいぜい数年間ですけど。

 

 ラジオ・ブクレシュチの後継である現在のルーマニア国際放送(Radio Romania International)もフレンドリーですが、このような細やかな手紙が入っていることはなく、受信証にちょっとした資料が付いてくるだけです。

 プログラムの「Listeners' Letterbox」などでは、こちらからの質問や意見に丁寧に応(答)えてくれたりはするのですが。

 もっとも、最近、この局と私の間で行き違いがあり、バタバタしつつEメールでやりとりしましたが、きちんと対応してくれ、解決しました。こういう個人的なコミュニケーションは保たれている局であることを確認し、嬉しくなりました。

 

【モスクワ放送(日本語)

 この放送局からは受信証や諸資料と一緒に毎回肉筆の個人宛手紙が送られてきました。

 日本式に縦書きの手紙のこともありました。

 

【アンデスの声(日本語)

 南米エクアドルの首都キトから日本向けに送信されていた「アンデスの声(HCJB)」日本語放送は日本で宗教を超えた人気を博していました。何と言っても、尾崎一夫さん久子さんご夫妻の努力によるものでしょう。

 宗教放送が好きでもない私も、この局は熱心に聴きました。尾崎さんからは私の父親より高齢で、当時の私の居住地近郊出身でメキシコへ移住した日本人男性を紹介され、日本語で文通を続けました。

 放送局からの受信証以外の資料や手紙が散逸する中で、アンデスの声からの手紙は大体残っています。(大体と言うのがビミョーですが。)

 毎回、毎回、こんな風に肉筆の手紙を送っていただきました。内容は決して放送のことではありません。エクアドルでの生活やエクアドルの文化、私の他愛もない質問やつぶやきなど、まさにプライベートメッセージでの交流です。

 

 現在、HCJBはオーストラリアから放送していて、毎週土日には日本語番組(Reach Beyond)があります。概して受信状態は良好ですが、私が聴くことはほとんどありません。そのうち、受信報告というか、手紙を出してみようかと思ったりもしますが、あまりにも長期間ご無沙汰で、ムニャムニャ・・・

 

【ラジオ・オーストラリア(日本語)

 メルボルンにあったオーストラリア放送委員会(Australian Broadcasting Committee~ABC)の海外放送、ラジオ・オーストラリアは日本語放送を持っていて、日本では恐らく人気筆頭の海外放送だったと思います。

 私は受信報告をだす時、必ず番組に対する感想や意見を書きます(感想や意見を送る手紙に受信報告を添える感じ)が、日本語放送で、日本人が担当しているラジオ・オーストラリアには結構つっこんだ意見を送りました。

 そんな手紙への返事です。内容はかなり一般的で、私への個別の返事なのか、定型的なものなのかは不明ですが、肉筆です。もっとも、この局には日本語のタイプライターはなかったようで、冊子になったプログラムの日本語の部分だけは肉筆でした。

 

 その他にもいくつかの局から個人的なメッセージをもらっているのですが、長い人間生活の間(笑)に散逸し、一部しか残っていないのが残念です。

 

 どの国でも国際放送の予算、人員が削られ、「あの頃」のようなサービスはもう望めないのでしょうね。

 

これまでのBCL史/SWL日記はこちらをご覧ください。

 

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