このシリーズ、アジアの最終記事は大韓民国(韓国)の放送です。
【背景】(少々くどいかも)
新潟に住んでいると、韓国はもちろん、ソ連邦、中華人民共和国(中国)、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)からの放送がバンバン入ってきますが、社会主義国に商業放送はありませんでした。一方、韓国には日本と同じように商業放送があり、番組やコマーシャルの構成は日本のものとよく似ていました。また、韓国には日本では禁止されている宗教放送局もありましたし、今もあります。
生れてから高校卒業まで新潟で過ごした私にとって、韓国の放送を聴くのは、ことばの問題を除けば難しいことではありませんでした。
第二次世界大戦が終わってしばらくの間の日韓関係は今よりも緊張していて、反日、反共のイ・スンマン大統領によって1952年に玄界灘に引かれたバーチャルな「イ・スンマン(李承晩)ライン」があり、それを越して韓国側へ入った日本の漁船は次々に拿捕され、漁業を営む人たちは韓国の「囚われの身」になっていました。
イ・スンマンはその強権的な政治姿勢から国民の反感を買い、1960年4月、高校生が中心となった学生運動で失脚し、ハワイへ亡命しました。韓国では「4月革命」と呼ばれます。
イ・スンマンの後を継いだのはユン・ボソン(尹潽善)でしたが、南北統一の動きを見せたため、先ごろ失脚したパク・クネ(朴槿恵)大統領の父であるパク・チョンヒ(朴正熙)がクーデターを起こし、軍事独裁体制に逆戻りしました。
パク・チョンヒが率いる韓国は民主化の動きを弾圧し、日本以上に米国べったりになり、米国のベトナム侵略にも積極的に加担しましたが、そのせいもあり著しい経済成長を遂げました。また、対日関係も多少の改善をみました。そして、前述の「イ・スンマンライン」は1970年代になり、事実上消滅しました。
軍人上がりのパク・チョンヒは日本での「キム・デジュン(金大中)拉致事件」など、悪態の限りを尽くしましたが、この種の独裁者の多くがそうであるように、1979年10月26日、暗殺され、ようやく民政移管の徴が見え始めました。
私が SWL/DXing にはまっていたのは、韓国がパク・チョンヒ独裁政権下にある時代でした。
韓国の公共放送KBSと北朝鮮の放送については既に書きましたが、今回は韓国の商業放送、宗教放送です。
【韓国の商業放送と宗教放送】
この時代、韓国には公共放送の「韓国放送協会(KBS)」が日本のNHKと同じような位置づけで存在していましたが、商業放送としてはムンワ(文化)放送(MBC)、トンア(東亜)放送(DBS)、トンヤン(東洋)放送(TBC)が、宗教放送としてはキドッギョ(基督教)放送(CBS)と極東放送(HLKX)があり、日本、少なくとも新潟ではどれも良好に入感しました。
韓国ではパク・チョンヒ暗殺の後、短期間(約8か月)チェ・ギュハ(崔圭夏)が大統領になりますが、すぐにチョン・ドゥハン(全斗煥)がいわゆる「粛軍クーデター」を起こし、またもや独裁体制を築きました。
そして、マスコミも統制され、1980年、商業放送は次々に閉局させられました。
【ムンワ(文化)放送(MBC)】
東京にも同名の放送局がありますが、韓国の文化放送です。
ログを振り返るとかなり強力に受信できていたようです。
音楽番組もありましたが、トークや詩を交えた古い韓国の音楽などが流れていました。
受信報告は送ったのですが、返事がありませんでした。
この放送局はなぜかチョン・ドゥハンによる「粛清」から免れました。オーナーとチョン・ドゥハンがどこかの首相と学校法人理事とのようなお友達だったかどうかはわかりません(笑)。
【トンア(東亜)放送(DBS)】
朝、放送開始時から良好に受信できました。商業放送ですが、放送開始時には国歌が流れていました。
ログを見ると、朝から英語講座などをやっていたようです。
この局からも受信報告に対する返信はありませんでした。
トンア放送はチョン・ドゥハンの言論統廃合計画の下に閉鎖させられました。
【トンヤン(東洋)放送(TBC)】
この局も良好に受信できています。深夜放送を行っていたようで、当時深夜放送を行っていなかったHNKが終了すると聴くことができました。
ポップスを中心とした音楽番組が多かったことがわかります。
日本では多くの地方放送局の出力がせいぜい5~10KWでしたから、50KWのこの局は国外と言えどもよく聞こえたのはうなずけます。
ログを見ると、国際返信切手券(IRC)を同封して受信報告を送ったようで、そうすると(?)受信証が送られてきました。
受信証で社屋の垂れ幕を見ると、全国高校野球大会のスポンサーをしていたようです。
トンヤン放送も言論統廃合のあおりで閉鎖させられました。
【キドッギョ(基督教)放送(CBS)】
朝鮮語(韓国語)で放送するプロテスタント系の放送局でしたが、内容はキリスト教伝道に留まらず、ニュースや軽音楽番組などバラエティーに富んだものでした。
多くのキリスト教放送がそうであるように、局名を言う時、コールサイン(HLKY)も局名のように必ずアナウンスされました。
この局への受信報告にもIRCを同封しました。
受信証が送られてきましたが、そのデザインは決して宗教臭さを感じさせませんでした。
この局も1980年代にチョン・ドゥハンによって事業の縮小が強制され、宗教番組以外は放送されなくなりました。
【TEAM(チーム)ラジオ】
1950年代に極東放送(FEBC)が母体になって設立されましたが、1960年代に入り米国のTEAM宣教会に運営を委ねました。TEAMというのは「The Evangelical Alliance Mission」の頭文字をつなげたものです。
マニラのFEBCと同じ流れにある放送局で、朝鮮語(韓国語)に加え、中国語、ロシア語、英語で放送されていましたが、韓国では主に旧ソ連邦に向かって放送されていました。私が良好に受信できたのはソ連邦向けのロシア語放送です。
受信報告に対しては英語で書かれた受信証が送れられてきました。
この他にもKBSの地方局をはじめ、いくつかの局を聴いているのですが、受信報告を送ったわけでもなく、詳細はよくわかりません。それにしても、韓国は力強い国だと思います。学生が政権を揺るがす・・・うらやましい限りです。
まさに散って咲く、咲いて散る韓国国花ムクゲのようです。
このシリーズもあとヨーロッパが3回、アフリカとオセアニアが各1回、それに番外1回を残すだけになりました。第99回と第100回を総まとめにして、今年中に終了する予定です。
これまでのBCL史はこちらをご覧ください。
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