neppu.com -9ページ目

その男㉘

現在開催されている全日本選手権。

 

今日は中日となっており、レースがない。

 

ホテルの一室にいる「その男」にとっては、その結果を見るのがここ数日の楽しみとなっている。

 

リザルトをリアルタイムでチェックできる便利な時代だ。

 

どうやら札幌は雪が少なく、さらに気温も高いため随分とコース状況が悪いと聞いているようだ。

 

さらに50㎞レースがある明日の天気は、荒れるようだ。

 

粘れば何かが起きるのがこのレース。

 

順当に行くのも面白いが、いつかの宇田のように、新たな選手がチャンピオンに名乗りを上げる事にも期待しているようだ。

 

 

あぁ栄冠は君に輝く

 

 

、、、どうやら「その男」は甲子園を見ながら更新しているようだ。

 

 

 

「成績だけみると悪いシーズンだった昨シーズンは、どうやら次のステップへ向かうためには必要な時間だったようだ。」

 

 

このシーズンは、フィンランドのラハティで世界選手権が開催される。

 

この夏。

 

 

いつもよりも早い発表があった。

 

 

「16/17シーズン、17/18シーズンのワールドカップ(世界選手権)で合計12位内3回、10位以内2回、8位以内1回」

 

 

翌シーズン開催される平昌オリンピックの参加標準が、前倒しで発表となったのだ。

 

前回大会と全く同じ基準だ。

 

オリンピック開催前年から代表選考が始まった。

 

「その男」は前回大会の代表選考の経験からこう思ったようだ。

 

 

「オリンピックイヤーは例年に増して争いが激しくなる。来シーズンになると、オリンピックまでのワールドカップが少なく、精神的にも追い込まれてしまう。今年のほうがチャンスは多い」

 

 

と。

 

このオフシーズンの2年前から、夏場にもスキーに乗れる環境を求め、ドイツのオーバホフへ行っていた。

 

この年も例年のように単独でオーバホフへ行き、スキートンネルで練習をした。

 

オーバホフへ行くことは例年と変わらないが、現地に行ってからは大きな変化があった。

 

 

「アクセル・タイヒマン」

 

 

「その男」の上の世代の選手であれば、誰でも知っている名選手だ。

 

オリンピック銀メダリスト。

 

ワールドカップ総合優勝1度。

 

ワールドカップ通算13勝。

 

世界選手権通算2勝。

 

 

「レジェンド・タイヒマン」

 

もちろん「その男」もタイヒマンについては知っていた。

 

知っているどころか、ソチオリンピックのシーズンまでワールドカップで戦っていた。

 

レベルは違ったが。

 

 

タイヒマンはオーバホフ出身で、現在はクラブチームを指導している。

 

「その男」は縁あってそのチームで滞在期間中、一緒に練習をさせてもらった。

 

色々とテクニックを教えてもらったが、最も印象に残っていることは

 

 

「選手と変わらないくらい動ける」

 

 

ということだ。

 

2時間ローラーをするときは、一緒になって2時間滑る。

 

選手の後ろを滑り、都度テクニックの指導をする。

 

3時間ランニングも平気で走ってしまう。

 

筋トレをしたときは、「その男」よりもよっぽど重たいものを持っていたくらいだ。

 

テクニックに関してももちろんだ。

 

現役の時と変わらないような美しい走り。

 

タイヒマンと一緒に走っていると、どちらが選手かわからなくなる。

 

名選手というだけで指導することに説得力があるのに、それだけ動けるコーチからの指導には、説得力はさらに増した。

 

刺激的な約1カ月だったことを覚えているようだ。

 

 

このシーズンは例年のフィンランドスタートとは違った。

 

スウェーデンのブルックスワルナという場所からのスタート。

 

ここで開催されるFISレースを皮切りに、ワールドカップへ進んでいった。

 

 

全く違ったスタートだった。

 

 

場所がではない。

 

 

シーズン一発目のFISレースの結果、感覚が、昨シーズンのシーズン初めと比べてだ。

 

 

6位だった。

 

トップはオリンピックチャンピオンのヘルナー。

 

ヘルナーはぶっちぎっていいたが、「その男」と2位までの差は10秒なかったよう記憶している。

 

走りの感覚も悪くない。

 

良いスタートを切った。

 

 

FISレース翌週は、例年通りワールドカップ。

 

その年も変わらずルカで開幕だ。

 

変わらなかったのは開幕場所だけでない。

 

残念なことに開幕戦の成績も例年とさほど変わらなかった。

 

ブルックスワルナでのレースで勢いに乗っていた。

 

 

「今年は違うぞ」

 

と。

 

15㎞クラシカルが行われたが、45位。

 

レンティングはポイント獲得にあと一歩と迫る31位だったことを覚えている。

 

初めてワールドカップポイントを獲得した会場だが、その後は良い思い出がないようだ。

 

しかし、昨年に比べるとよほど良い。

 

ポジティブにとらえたようだ。

 

 

翌週も変わらずノルウェーのリレハンメル。

 

このシーズンはここでミニツールが行われた。

 

初日のスプリント。

 

トップのハルフバーションから20秒ほど遅れた。

 

相変わらずのスプリント力だ、「その男」

 

 

二日目10㎞スケーティング

 

ハマった。

 

スタートの早かった「その男」

 

2周目に入って少ししてから「その男」を抜いていったのがオリンピックチャンピオンのダリオ。

 

どうやらこの日はスッポンだったようだ。

 

抜かれてからの4キロほど、ダリオを離さなかった。

 

リレハンメル名物の長い上りがある。

 

「あと100mついていこう、、、あのタイムチェックポイントまで、、、あの平地まで、、、ここまできたら最後まで行ける」

 

力を振り絞ってついていった。

 

ゴールした時はトップだったが、いつものようにシード選手が入ってくる。

 

選手は入ってきたが、いつもよりも僅差だった。

 

最終結果は、トップから31秒遅れの14位。

 

トップは再びハルフバーション。

 

1.5㎞ほどのスプリントで20秒遅れ。

 

10㎞で31秒遅れ。

 

得意、不得意が顕著にでたレースだった。

 

しかし、良いレースだった。

 

だが、オリンピック選考の面では、12位以内に入らなければいけない。

 

この日は14位。

 

3度取らなければならない12位までは2秒。

 

2度取らなければならない10位まで8秒。

 

1度取ればよい8位まで13秒。

 

オリンピック選考だけを考えると、14位になっても、100位になっても残念なことに全く変わらないのだ。

 

三日間の総合は23位と、これも悪くはなかった。

 

 

翌週も例年と変わらずスイス・ダボス。

 

23位。

 

決して悪くはない。

 

5分遅れた昨年とは比べ物にならないくらい良い。

 

しかし、12位に入らなければ意味がない。

 

もどかしかった。

 

翌週。

 

フランスのラクルーザでのレースだ。

 

久しぶりのラクルーザ。

 

最後に来たのは2014年だったはずだ。

 

15㎞スケーティング、マススタート。

 

このレースは「その男」にとって、会心のレースとなる。

 

スタート直後。

 

ポールを折った。

 

予備ポールをなかなか受け取れることができなかったようだ。

 

後ろを振り向くと、もう一人ポールを折った選手がいただけで、「その男」は後ろから2番目。

 

レース中にも関わらず、

 

「マジ?後ろから2番?」

 

と思わず笑ってしまった。

 

この笑顔が、笑うことでリラックスできたの良かったと思っている。

 

この時点では77人中76位。

 

ポールを受け取ってからは猛追が始まった。

 

体がめちゃめちゃ軽かったようだ。

 

常にジャンピングクイックをしているような感覚だ。

 

周回を重ねるごとにドンドン選手を抜いていく。

 

最終的には19位でゴールしている「その男」

 

57人抜いたようだ。

 

このレースが良かったところは

 

 

「自分の力で順位を上げることができた」

 

 

ことだ。

 

人の後ろを走り、前の選手を利用しながら順位を上げていくのが得意な「その男」

 

しかし、このレースは一人で走り続けた。

 

人の後ろを利用せず、集団になっても自分が積極的に引っ張った。

 

いつものレース展開と全く違ったということだ。

 

選手がレース内容に対して、「もし」なんて言葉を使ってはいけないというのはわかっている。

 

だが使ってしまうようだ。

 

「もしポールを折らないでレースができたら、どこまで行けたのか」

 

そう思ってしまうほど、「その男」はこのレースにいつもとの違いを感じていたようだ。

 

1ピリが終わった。

 

順位だけを見れば悪くないレースが続いた。

 

だが、オリンピック派遣基準にはどのレースも達することができなかった。

 

オリンピックとの距離が縮まらない。

 

遥か先だ。

その男㉗

「その男」は365日絶好調だ。

「その男」の人生は最高のようだ。

 

本当にそうなのか?

自分が思っていることにうそはついていないか?

 

「その男」が書くブログにうそは書いていないか?

以前はよく書いていたらしい、「その男」のブログに嘘を。

 

思ってもいない気持ちを。

 

365日絶好調なんて、典型的なそれだ。

誰の目を気にしているのかはわからないが、「演じる」ためだろうか。

 

だが今は違うようだ。

 

当時思っていたことを嘘偽りなく書いている。

  

 

「「終わりよければすべて良し」、とはいかない。このシーズンを次につなげればいけない。」

 

オリンピックと世界選手権の狭間のシーズン。

 

「その男」はスランプに陥ったようだ。

 

以前は一桁や入賞していたFISレースだが、このシーズンは25位前後をとっていたよう記憶がある。

 

例年であればルカのワールドカップを皮切りに転戦が始まるが、今シーズンは日本チームからルカへの派遣は宮沢とノブヒトの二人のスプリンターのみ。

 

その二人も、ミニツール初日のスプリントのみの参加だった。

 

このシーズンの一ピリの派遣選手。

 

いつも同様にレンティング、宮沢。

前年世界選手権に出場した宇田

チームメートで練習パートナーのノブヒト。

そして

 

「成瀬開地」

 

だ。

名字でわかるだろう。

「その男」の「憧れのライバル」

 

「成瀬さん」

 

の弟だ。

成瀬さんには本当にお世話になった。

 

次は自分が恩返しをする番だ。

相手は違えど、同じ「成瀬」の名を持つ弟の、何か力にならなければと思ったようだ。

 

「その男」にとって、このシーズンワールドカップ初戦となるリレハンメル。

スキーアスロン30㎞だ。

 

スタート直後からついていけない。

いつも横を走っていた選手は遥か彼方にいて、今横を走っている選手はあまり名前を聞いたことがない選手だ。

 

ゴールした70人中61位。

トップから8分以上遅れた。

 

翌週は「その男」にとって相変わらず特別な会場。

スイス・ダボスだ。

 

15㎞スケーティング。

57位。

トップから遅れること5分以上。

 

15㎞でのタイム差だ。

50㎞のタイム差ではない。

 

このレース、「その男」がスタートした順番は6番目。

ゴールした時の順位は二桁。

 

笑うしかなかった。

 

このシーズンからサロモンのサービスマンとして会場にいるファビオ。

レース後に彼のところへ行くのが恒例となっていた。

 

「どうした?スキーの事を一回忘れろ。リラックスも必要だ」

 

確かにそうだ。

そう思いファビオの元を去った。

 

その直後。

ハッとした。

 

エアースケーティングを自然としている自分自身に。

 

無理なんだ。

どんなに苦しくても。

 

「スキーの事を忘れる」

 

なんて。

 

翌週

イタリア・トブラ15㎞クラシカル。

 

46位。

トップから3分遅れ。 

ワールドカップ30位以内?

ポイント獲得?

 

また戻ってしまった。

 

「夢のような話、テレビの世界」

 

へ。

 

帰国後。

 

例年通り年末年始は「その男」の地元と札幌でFISレースが行われる。

ここでも勝ちきれなかった。

 

「その男」の地元のレースでは、スケーティングで学生に負けた。

札幌のレースでは、レンティングに負けた。

 

このころには病気に陥っていた。

 

「スーパースケーティングできない病」

 

だ。

 

スーパーをすると、バランスが取れなくなっていた。 

札幌のレースを終えてから少しして、再度ワールドカップ参戦のため遠征へ。

 

このシーズンはやや特殊なレーススケジュールだった。

例年、3月中旬にあるオスロの50㎞が、このシーズンは2月上旬にあった。

 

「いつもと50㎞を走る時期が変わるので、そのことが良い方向に作用するかもしれない」

 

札幌でのレース後、新聞記者にそう伝えた「その男」 

何も変わらなかった。

 

ゴールした48人中39位。

トップから11分50秒遅れ。

 

しかし、この50㎞が良い刺激になったのだろうか?

 

翌週は、前シーズンに世界選手権が開催された地、ファールンでのレースだ。

 

10㎞クラシカル。

特別何かを変えたわけではない。

 

だが、このシーズン初のワールドカップポイントを獲得した。

29位だった。

「その男」から1秒早くゴールした28位が宮沢だった。

 

このレースを契機に、クラシカルはある程度感覚を取り戻したのか?

 

翌週はフィンランド・ラハティでのスキーアスロンだ。

 

クラシカルパート。

トップ集団とはいかなかったが、良いポジションでレースを進めた。

 

20位でスケーティングへ交換している。

しかし、ここで出てしまった。

 

「スーパースケーティングできない病」

 

が。

 

その男のグループから遅れた。

しかし、クラシカルのアドバンテージがあったためか、28位となり、なんとかポイント圏内にはおさまった。

 

電光掲示板に映っている自分の結果を見て

 

「なんでかな、どうしたのかな?」

 

と、また「その男」は泣いた。

 

このレースが、このシーズン最後のワールドカップだった。

 

帰国後、札幌で開催された宮様大会では、「その男」は二種目ともに優勝した

 

その数日後、同会場で行われた全日本選手権。

 

初日

スキーアスロン。

 

数名の集団でレースは進んだが、終盤で宮沢と「その男」が二人で抜けた。

長い会場の平地。

 

後ろから勝負の場を見極める。

 

宮沢は日本一のスプリンター。

 

タイミングを間違えてはいけない。

 

「今だ!」

 

と思い、仕掛けた最後の直線。

次の瞬間。

 

「その男」は転倒した。

単独事故だ。

 

そのショックに立ち直れず、後方にいた選手にも続々と抜かれた。

確か7位だった。

 

二日目

スプリント。

 

また敵は宮沢だった。

上りの終わりで、宮沢と二人で抜けた。

 

一騎打ち。

下りで彼の後ろにつくことで風よけとして利用し、勢いそのままに抜く作戦。

 

しかし、レーン選択を誤った。

冷静に見極めるほど余力がなかったのだろう。

 

相手は日本一のスプリンターだ。

良いレーンを選んだとしても、押し負けていたと思っているようだ。

 

最終日

50㎞スケーティング。

 

ラスト2㎞ほどとなるころには、トップ集団は5人ほどになっていた。

宇田が引っ張った。

 

その後ろにピタッとついた「その男」

宇田の呼吸が荒い。

後ろを振り向くと、宮沢の動きは鈍い。

 

確信した。

「このレースはもらった」

残り1㎞ほどだろうか?

一気にぶっちぎった。

 

ストックで雪面を押すたびに差が開いていくのが分かった。

完勝だった、「その男」の。

 

このレースでシーズン終了。

優勝で締めくくった。

 

「「終わり良ければすべて良し」、とはいかない。このシーズンを次につなげればいけない」

 

このレース後に記者の方に言った言葉が、冒頭にも書いたこの言葉だ。

そう思うほどこのシーズン単体では酷かった。

 

だが、こう言ったことも覚えているようだ。

 

「数年後にこのシーズンを振り返ったときに、このシーズンの成績の悪さが、翌シーズン以降の成績向上のきっかけだったのであれば、長い目で見ればこのシーズンは決して悪いシーズンではなかったといえる。そういうシーズンだったと数年後に言えるようにしなければならない。」

 

あれから、丸5シーズンが過ぎた。

このシーズンは悪いシーズンだったのだろうか?

翌シーズン以降の成績向上のきっかけになった、良いシーズンだったのか。 

改めてこのシーズン以降を振り返りながら、考えてみることにしよう。

その男㉖

もはや「その男」もわからなくなっているようだ。

 

自分自身が何度「その男」シリーズを更新しているかを。

 

どうやら今回で26度目の更新らしい。

 

ホテル生活は10日目に入った。

 

一日で2.6回の更新ペース。

 

今まででは考えられないペースだ。

 

しかし、このペースで振り返っていくと40度は更新することになるのではないかと思っているようだ。

 

このペースでは時間が足りない。

 

さぁ、後半に向けてペースを上げていこう。

 

「その男」がスキーで最も得意とするスタイルと同様に

 

 

「その男」を取り巻く環境が大きく変わっていた。

 

ソチオリンピック翌年のシーズンだ。

 

 

「日本の絶対的なエース」

 

 

 

 

「憧れのライバル」

 

 

がオリンピックイヤーで引退した。

 

そのことにより、「その男」が男子チーム最年長になった。

 

「その男」にスキーの厳しさを教え、私生活まで正してくれた尊敬する山口さんがチームから抜けた。

 

親友のファビオが、ジャパンチームからカナダチームに移った。

 

ナショナルチームの正確な選考基準がなかったが、このシーズンに「限り」若手メンバーも入るようになり、一気に増えた。

 

ヘッドコーチがフィンランド人となった。

 

戸惑ったようだ、「その男」は。

 

ワールドカップを転戦し始めてから、当たり前だった環境が一気に変わってしまったのだ、無理もなかっただろう。

 

振り返ると、このシーズンあたりから「その男」は徐々にひねくれはじめたと思っているようだ。

 

「選手とコーチの立場が逆転してはいけない。このままでは僕は勘違いしてしまう。悪いことをしたときにはしっかり怒って

ほしい。怒ってもらわないと、勘違いしてしまう。何をやってもいいんだ、言ってもいいんだと。」

 

 

その厳しさにさえも魅力を感じていた山口さんから、優しさでチームをまとめるタイプのコーチに変わった。

 

そのため、「その男」はそのように伝えたらしい。

 

自分自身にも、チームにも厳しさを欲していたようだ。

 

残念だったことは、その後「その男」は怒られることがなかったことだ。

 

 

ヘッドコーチとなったフィンランド人コーチのミッコとも反りが合わないことが多かった。

 

そのコーチはスキーに熱心なことに間違いない。

 

アドバイスもくれた。

 

コミュニケーションをとろうとしてくれた。

 

そのすべてを否定していたわけではない。

 

もちろん受け入れることもあった。

 

しかし、昨年までいたメンバーが大好きだったようで、まだそれを引きずっていたようだ。

 

なかなか褒めてくれない厳しさ、しかし選手のことを思ってくれている尊敬する山口さん。

 

いつも陽気で周りを盛り上げ、良い雰囲気を作ってくれる親友のファビオ。

 

逆に全力で衝突することが多かったのもファビオだと思っているようだ。

 

言葉を発しても、言葉を発さなくても、その姿勢でチームを引っ張る恩田さん。

 

「その男」にとって、そこにいるだけでモチベーションとなっていた選手、成瀬さん。

 

一緒にオリンピックに出場し、ワールドカップ転戦を数年一緒に続けているレンティングと宮沢はチームにいた。

 

もちろん二人との良い関係は築くことはできていたし、よいライバルながら信頼をしていた。

 

しかし、チームから抜けてしまった4人は「その男」がワールドカップ転戦を始めた当初からのメンバー。

 

やはり思い入れは強かったようだ。

 

「嘆いてもしかたない、変わらない。今年はこの体制で行くんだから、この環境で全力を尽くそう。」

 

何度も自分に言い聞かせたが、それでも気持ちを切り替えることができていなかったようだ。

 

色々な意味で本当に難しいシーズンだった。

 

「その男」にはこのシーズンで印象的なレースが2レースあるようだ。

 

まずは「全日本選手権」

 

世界選手権出場メンバーは、全日本選手権開催時にはすでに発表になっていた。

 

そこに「その男」の名前はあった。

そこに「ノブヒト」の名前はなかった。

 

二人は夏場からトレーニングをともにする、練習パートナーということを先に記載しておく。

さて、種目はスキーアスロン。

 

トップ集団は5~6人くらいだっただろうか?

 

スケーティングパートになってから一度、「その男」はわずかな距離だが仕掛けた。

 

短い時間ではあったものの、他の選手はついてこない。

 

ついて来られないと書いていいだろう。

 

やや離れたものの一度ペースを落とし、もう一度集団を形成することとなった。

 

十日町のコースは最後はほとんど平地か下りだ。

 

スケーティングパートは前半にある長い上りが終わってしまえば、あとはさほどきつくはない。

 

最終周回の中盤、やや上りが続くところで、「その男」がもう一度仕掛けたことをきっかけに集団はばらけた。

 

それに反応したのは、レンティングとノブヒトの二人だ。

 

仕掛けた際に、二人ともやや差は開いたものの、下りと平地パートを利用してノブヒトは「その男」に追いついた。

 

レンティングは6~7秒ほど後ろだっただろうか?

 

もう上りはない。

 

平地と下りだけだ。

 

スプリントを得意とするノブヒト。

 

いつも負けている「その男」

 

だが、勝てるという確信があった。

 

ここに至るまでの疲労感が違うのは、呼吸の粗さが物語っていた。

 

追いついたままに、前に出たノブヒト。

 

後ろからノブヒトを煽った。

 

ガンガン煽った。

 

数秒後ろからはレンティングが追ってきている。

 

レンティングには悪いが、ノブヒトに頑張ってほしかった。

 

世界選手権代表から漏れた、夏場からの練習パートナーのノブヒトに。

 

会場に入る下り。

 

レンティングは追いつききれていなかった。

 

ノブヒトとの一騎打ち。

 

インレーンから一気に抜かした。

 

苦手なスプリントで、ノブヒトを突き放してフィニッシュ。

 

ゴールラインを切ってから、すぐに止まり、すぐに振り返った。

 

すぐにノブヒトとハグをした。

 

「よくやった、よくやった。頑張った」

 

何度もノブヒトに言ったことを覚えているようだ。

 

練習パートナーとの全日本ワンツー。

 

こんなにうれしいことはあるだろうか?

 

レース後、ノブヒトとレンティングとダウンを一緒にしたが、その時に

 

「俺も世界選手権行きたいよ」

 

と、レンティングに言っていたノブヒトの言葉にすごく重みを感じた。

 

世界選手権でしっかり走ってこなければいけないなと、レース直後には気持ちを引き締めたようだ。

 

もう一つの印象的なレースは、「世界選手権」のようだ。

 

スウェーデンのファールンで行われた今大会。

 

前回大会同様に、レンティング、宮沢、そしてこの2年前の50㎞、新たな全日本チャンピオンとなった宇田だ。

 

宮沢、宇田はユニバーシアドに参加するため、全日本選手権には出場していなかった。

 

この大会に新たなワックスマンがチームに加わる。

 

憧れのライバル、成瀬さんだ。

 

ソチオリンピックで引退した成瀬さんだが、その後ジュニアチームのコーチとなり、この世界選手権にはワックスマンとしてチームに帯同した。

 

嬉しかった。

心強かった。

 

この大会が印象的なのは、レースが行われた当時のインパクトが強かったわけではない。

 

レースに関して最も強い思い出は、50㎞クラシカル。

 

結果ではなく、最後の直線に入る前の平地の雪のコンディションだ。

 

とんでもないザクザク雪。

 

まるで蟻地獄のようで、力を入れれば入れるほど足が埋まり、前に進まなった。

 

ほんの一か所だったが、そこだけ全く別物だったことは強く覚えている。

 

そのレースの結果は確か17位くらいだ。

 

では、何が印象的だったのか?

 

理由は後付けになるようだ。

 

不思議なことに6年の歳月を経た今となって、この世界選手権が印象的な大会となったようだ。

 

この世界選手権に初選出された「宇田」

 

彼の存在によってこの大会は印象的なレースとなったのだ。

 

「その男」のブログを読んでいる方は、宇田が2021年のオーベストドルフ世界選手権にも選出されたのはご存知だろう。

3大会振り、6年振りにだ。

 

ファールンの世界選手権では、彼と同部屋だった「その男」

今回のオーベストドルフの世界選手権でも、同様に宇田と同部屋だった「その男」

 

当時の思い出話を色々とした。

 

そのたびに、色々な記憶を呼び起こすこととなった。

 

オーベストドルフの世界選手権前、最後にリレーに出場したのはこのファールンでの世界選手権だ。

 

成瀬さんが抜けた穴を宇田が埋めた。

 

その宇田を、ワックスマンとしてチームにいた成瀬さんもサポートした。

 

その印象は強かった。

6年後、オーベストドルフ世界選手権代表選考会となる、十日町の全日本選手権の10㎞クラシカルマススタートで先陣を切ってコースを走った宇田。

 

後日書くようだが、「その男」はレース中に何度も宇田にお願いをして前に出てもらっていたようだ。

 

オーベストドルフ世界選手権代表を決めるきっかけの一人となる彼が、初めて出場した、一緒に出場した、一緒にリレーを走ったファールンの世界選手権を思い出すと感慨深くなったようだ。

 

気が付けば、印象的なレースの一つとなっていた。