その男㉞
その男が予想した選手とは違う男だった
四年前のリベンジを果たすきっかけを引き寄せたのは。
「宇田アキヒト」
だった。
平昌オリンピックのリレー派遣標準を切るために、日本を代表して走った男の一人だ。
経過を見ると、後半で一気に引き離したようだ。
今シーズンはしっくりくる結果は残していなかったようなので、うれしい勝利なのでは?
「人工圧雪車」も、きっと喜んでいることだろう。
だが、「その男」がかけたい言葉は、祝福の言葉ではないようだ。
「世界は広い。世界は強い、速い。横を見るな。下を見るな。上を見ろ」
けどやっぱり。
おめでとう、宇田。
ちょっと違った。
感覚がおかしかった。
自分の走りだ。
初戦のスキーアスロン。
走りながら違和感があった。
いつもと違う筋肉の疲労を感じることに。
何かが違う・・・・
次のレースは15㎞スケーティング。
それまでに修正しなければならない。
「腕で押さない、腹で押す」
これは常に意識していたので、記憶にある。
腹で押しているはずなんだが・・・
考えた。
ふと
「腕で押すな、腹で押せ。」
「押してるときも、押し切りも腕に頼るな、腹で押しきれ」
そんな言葉を思い出した。
昨シーズン、年始のFISレースが終わってから数日後の練習中。
蛯名と走りを確認している時に、「その男」が彼に発した言葉だ。
「ん?押し切りまで腹で押してるか?」
次の日の練習中、じっくり確認した。
「この感覚だ。」
しっくりきた。
「その男」のスマホには、その時の確認作業の映像が今でも残っている。
この映像をその数年後まで、何度も見直すことになるようだ。
確実に走りは修正できた。
自分で感じることができている。
2種目目
15㎞スケーティング。
前回のスキーアスロンとは打って変わって、快晴だ。
正確に走ることを意識してスタートする。
雑に走らないで、リズムを作っていく。
他者と比べ、テンポのやや遅い、「その男」独特のリズムを正確に刻む。
最後はがむしゃらに。
正確を意識しながら。
「その男」が描いたレースプランだ。
相変わらずのスロースタート。
正確に走ることを意識。
タイムチェックは気にしない、この段階では。
独特のリズムで、心地よいリズムでレースを進める。
前との選手の距離は確実に詰まっている。
それに気を取られてはいけない。
正確に、正確に、どこまでも正確に。
最初の通過は10番手過ぎ位だっただろうか?
しかし、距離を重ねると、確実に順位は上がっていた。
いつもの「その男」のレース展開。
調子の良さを示している。
「8番手・・・・5番手・・・・3番手・・・・・2番手。」
トップとの差は1~3秒だったはずだ。
僅差。
最後はどうすればいいんだ?
そう、ガムシャラに走ればいいんだ。
ただ、正確にという言葉を忘れずに。
力を振り絞ってゴールをした。
最後のタイムチェックから逆転はできたか?
「その男」がゴールした時点での順位は・・・
「2位」
電光掲示板に表示された。
残念ながら、ラストスパートで逆転することはできなかったようだ。
このレースの翌日、新聞記事に写真が掲載され、こう書かれていた。
「吉田、ガッツポーズでゴール」
いや違う。
全く違う。
ガッツポーズでゴールするような結果ではない。
時を戻そう。
2016年、1ピリのワールドカップ。
リレハンメルでのスプリントだ。
このレースでの「その男」の順位は、60位ほどで20秒ちかく遅れている。
予選の映像も現地で流れていたようだ。
既にゴールをしている宮沢は、「その男」のゴールシーンを見ていたようだ。
その感想は
「予選通過したみたいに、派手なゴールでしたよ」
と。
予選通過できるような順位でなかったことは、途中のタイムチェックでわかっている。
喜んでゴールしているわけではない。
どうやら、その男はゴールシーンで足を延ばすとき、一緒に手を突き出すようだ。
それがガッツポーズのように見えるらしい。
事実、新聞の写真をみるとガッツポーズをしているようにも見えた。
このレースの順位は13位。
悪くない順位だが、ガッツポーズがでるほど良い順位ではない。
しかし、「その男」には充実感はあった。
スキーアスロン終了後から走りの修正をし、しっかり自分の走りをすることができたことには。
心底思った。
「あの時、蛯名に自分の走りの考えを言葉で伝えておいてよかった。」
一年後、大切なレース前に自分の言葉に救われるとは思わなかった。
こうも思った。
「蛯名と一緒に練習してて良かった」
それはその時限りではないが。
同じことを何度も思う日が、今後待っている。
スケーティングのレース後から二日後。
15時くらいだったろうか?
「その男」の姿は筋トレルームにあった。
モニター画面を眺めている。
「ノルウェー、イタリア、スウェーデン、フランス、フィンランド・・・」
個人の名前ではなく、各国名が表示されている。
この日はリレーが行われた日だ。
画面の中で展開されているレースを見ながら、ソチオリンピックのリレーを思い出した。
リレー派遣標準を切るためにワールドカップ転戦した、1ピリを思い出した。
また悔しさと悲しさがこみ上げてきた。
この6日後はオリンピック最終日。
50㎞が開催される日だ。
画面越しに見る、日本チームが走っていないリレーを見ることで決意を新たにしたようだった。
心なしか、筋トレでいつもよりも重いものを持ち上げることができていた・・・・訳はない。
そんなに甘くないよね。
その男㉝
まだレースは続いている。
相変わらず、セイコーの速報を見ながら過去を振り返っているようだ。
33.2㎞のタイムチェックでトップにでたのは「カイチ君」
北京オリンピックを来年に控えるこのシーズン。
派遣基準は、まだ発表になっていないようだ。
しかし、全日本選手権優勝は来シーズンのオリンピック選考レースに向けて、何らかのアドバンテージになるだろう。
四年前のリベンジを果たすきっかけを作るべく、カイチ君が優勝するのか。
新たな若手が出てくるのか。
ワクワクしながら最終結果を待ちたいと思う。
あぁ栄冠は君に輝く。
自分が想像していたよりも、華々しくなかった。
少し嫉妬していた。
平昌オリンピック代表発表当日。
最終選考レースの日程が違うこともあり、発表は数回に分かれて行われた。
「その男」は、12月下旬の発表だった。
最も早く発表されるグループだ。
発表される日は事前に伝えられていたので知っていた。
「オリンピック発表になったんだね、おめでとう」
知人からのそのラインで知った。
正式にオリンピックが発表になったタイミングは。
家に帰ってからテレビをつけた。
同じ日にオリンピック代表を発表されたボードの選手が何人も映っていた。
たくさんのフラッシュ、カメラに囲まれて記者会見をしていた。
「オリンピックの目標は?メダルは取れると思う」
といったことを聞かれていたのだろうか?
代表発表された同じ場で、名前を呼ばれた「その男」は、テレビでそれを見ている。
なぜなんだ?
オリンピック出場を発表されてなお、劣等感を感じなければいけなかったのは。
「その男」の夢だったオリンピックに出場することで、現実を見た。
二度目のオリンピック。
少し寂しさを感じた。
周りの種目の選手は、複数の選手が出場するため団体で行動している。
しかし、クロカンの男子は「その男」のみだったため、単独の行動が多かった。
種目によってレース開始時間が大きく異なる。
それに合わせた行動をとっていたため、他種目の選手に会う機会もそう多くはなかった。
たまに会う、ほかの種目との選手の会話がいつも以上に楽しかった。
他国のクロカン選手は、みんな一緒に楽しそうに食事をとっている。
それを遠くから指をくわえてみていた。
ここでも劣等感を感じていたかもしれないようだ。
オリンピックの選手村での恒例行事ともいえることがある。
それが、ピンバッチの交換だ。
各国のフラッグが書いてるピンバッチが用意されており、それをIDカードの紐につけるのだ。
日本チームからもピンバッチが支給された。
食事中にいきなり呼び掛けられるのだ。
「HEY「その男」!このピンバッチクールだろ?君のそのクールなやつと交換しないか?」
といったように。
これはかなり陽気な人から話しかけられた例だが。
各国のピンバッチをコンプリートしたい人もいるのか、紐がピンバッチで埋まっている人もいる。
その男のIDカードの紐も、ピンバッチで染められていった。
「相手が交換を求めてくる」
ことによって。
自分から交換はほとんど求めていなかったようだ。
「その男」の性格の悪い部分が出ていた。
恥の文化、日本。
典型的なそれに影響されているのだろうか、「その男」は。
「話しかけて、変な顔をされたらどうしよう」
「英語を間違ったらどうしよう」
「断られたらどうしよう」
消極的に考えてしまうようだ。
そのことで、このオリンピックも100%「楽しむ」ことができていなかったことに、後日気づくことになるようだ。
楽しむのは普段の生活。
レースは集中だ。
オリンピックはやはり特別だ。
初戦の30㎞スキーアスロン。
スタート前の雰囲気が全く違う。
初めて出場したオスロの世界選手権。
ワールドカップとの空気の違いを強く感じた。
しかしオリンピックの空気は、世界選手権とも全く違う。
スタートを待つ選手がいる場所は、空気が張り詰めていた。
気温が低く、風が強かったスキーアスロン。
スタート地点へのコールを迎えても、いつもよりも選手の動きが鈍い。
体を冷やしたくないので、少しでも長く待機場所でウェアを着ていたいからだ。
この光景も、普段はあまり見ないと思った。
スタートのピストルがなり、レースは始まった。
その様子をテレビで見ていた後輩が
「その男」さんが、無事にスタートした。それだけで泣ける」
と、SNSにアップをしてくれていた。
レース後にそれを見るだけで「その男」も泣きそうになった。
自分が知らない場所で、応援してくれているんだと改めて感じることができたからだ。
何十件ものラインが入っていた。
「その男」が走るレースを見ている友達が、グループ内で実況するようにやり取りをしている。
画面越しに応援をしてくれている。
その中には、こんな一文もあった。
「「その男」がオリンピックに出ることで、○○と久しぶりに連絡を取ったよ。みんなと久しぶりに連絡を取り合うきっかけをつくってありがとう。」
初戦のレースを終えた時。
以前感じていた劣等感は少しだけ、だが確実に薄れていた。
25位、トップから2分3秒遅れ。
「その男」にとって、初めてのオリンピック個人戦が終わった。
その男㉜
コーヒーを飲みながら、パソコンに向かう「その男」
傍らにはスマホ。
「セイコースポーツリンク」
のサイトが開かれている。
全日本最終レースの50㎞が始まっているようだ。
ホテルの一室でそれを眺めていることに、相変わらずの違和感を感じている。
今日でシーズンオフを迎える選手が大多数では?
シーズンの締めにはもってこいの、過酷なレースとなっているだろう。
あぁ栄冠は君に輝く。
まだまだ甲子園に影響され続けているようだ、「その男」
年々早くなっているように感じていたようだ。
あっと言う間に時間が過ぎていき、シーズンが始まったかと思えば、気が付けば終わっている。
またこのシーズンがやってきた。
4年に1度のオリンピックシーズン。
オリンピックへ挑戦は、2006年のトリノオリンピックから始まっていた。
2014年のソチオリンピックでは、リレーメンバーによって代表を勝ち取った。
しかし、個人戦での出場権獲得には至らなかった。
平昌オリンピック前シーズン。
ついに個人の派遣標準を突破した。
「次のオリンピックで、このオリンピックのリレーを笑い話にするくらいの成績だしてくれ。お前らならできるよ」
「絶対的なエース」が、ソチオリンピック後にかけてくれた言葉だ。
もう一つ、大切な目標があったのだ、「その男」には。
そして、日本チームには。
「リレーでのオリンピック出場権獲得」
ソチオリンピックでは、オリンピック前年の世界選手権で8位に入っており、それにより派遣標準を突破した。
しかし、平昌オリンピック前年に開催された世界選手権は、宮沢と「その男」のみの出場で、リレーには出場していなかった。
ワールドカップも含めて、オリンピック前年シーズンは、リレーには参加をしていなかったのだ。
そこで提示されていた派遣標準が
「オリンピック派遣標準を突破している選手を「除いて」、年内のワールドカップで30位以内1人、40位以内2人」
だった。
個人戦での派遣標準が前回と同じだった。
それと照らし合わせると、前回の派遣標準だったリレー8位に入るには、この順位をとる選手が四人必要だという判断のようだ。
「その男」は、オリンピック派遣標準を昨シーズンで突破していた。
そのため、リレーの派遣標準を突破するために、どんな順位をとったとしても加算されない。
オリンピックでリレーに出場するためには、「その男」以外の選手に頑張ってもらうしかない。
「ハードルは決して低くはない、しかし達成できない基準ではない」
年内のワールドカップ。
チャンスは4会場、9レースだ。
フィンランド・ルカ ミニツール
ノルウェー・リレハンメル スプリント、スキーアスロン
スイス・ダボス スプリント、30㎞スケーティング
イタリア・トブラ 15㎞スケーティング、15㎞クラシカル。
このレースの中で、上記の基準を切る選手が3名必要なのだ。