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その男㊲

あと丸二日。

 

帰宅をする日は、朝7時には羽田空港を発つ。

 

48時間を切った。

 

なんだかんだあっと言う間のようだ。

 

「早く帰りたい。」

 

という気持ちが強いのは相変わらずだが、

 

「やばい、早くしないと間に合わない・・・」

 

という気持ちは日に日に増している。

 

だが、ゴールの目安がたってきたようだ。

 

残り10回ほどの更新となるのだろうが。

 

いざ、ラストスパート。

 

 

 

「知りたかった。」

 

 

 

何が彼らをそこまで強くするのか。

 

1か月行くだけではすべてを理解できるわけがないのはわかっている。

 

1か月行くだけで、強くなれないこともわかっている。

 

だが、少しだけでも知りたかった。

 

どういった環境が、どんなことをして彼らが強くなっているのか。

 

強くなるためのきっかけが欲しかった。

 

次のステップに向かうために。

 

 

「スキー王国ノルウェー」

 

このオフシーズンは、例年単独で行う合宿先をドイツのオーバホフからオスロへ変更した。

 

現地のクラブチームのコーチと連絡を取った。

 

「LYN SKITEAM」

 

平昌オリンピックスキーアスロンチャンピオンの「クリューガー」

 

2019年世界選手権50㎞、2021年世界選手権15㎞チャンピオンの「ハンス」

 

彼らが所属するクラブチームだ。

 

彼らはナショナルチームとして動いているため、一緒に練習する機会がなかったのが残念だ。

 

ちなみに、宿泊先は個人の家の一室のようなところを借りたが、手配をしてくれたのはクリューガーのお母さんだ。

 

宿のオーナーは、日本のアニメが好きということで、その話で盛り上がった。

 

レース後には連絡をくれることもあったっけな。

 

冬のオスロは何度かいっているものの、夏のオスロはこれが初めてだ。

 

毎日、毎回クラブチームで練習をするわけではない。

 

週に4回くらいだったと記憶している。

 

曜日、時間が決められており、現地集合、現地解散。

 

集合場所が遠い時は、コーチや選手が車に乗せてくれた。

 

見知らぬ日本人相手にも、すごく優しく接してくれた。

 

 

 

肝心の練習はというと・・・

 

ナショナルチームレベルの選手がどういったことをやっているのかはわからない。

 

先に断っておきたいが、これから書くことは、参加させてもらったクラブチームで一緒に練習をさせてもらった「その男」の感じたことだ。

 

ここに書き記すことで間違って受け取られてしまってはいけないのでこの先にもまた書くこととなるが、これが全てでない。

 

彼らのやっているほんの数パーセントも見ることができていない。

 

ここで練習したら誰でも強くなれるというわけではない。

 

真似をするだけで強くなれるわけではない。

 

そんな簡単に理解できるわけがない「スキー大国」の強さを。

 

ちょっとノルウェーに合宿に行った選手が、その理由を分かったつもりになるなんて、あまりにも失礼だ。

 

 

 

すごく特別なことを感じたわけではなかった。

 

一緒にクラブチームで練習をしてみると。

 

ローラー、ランニング、筋トレ、球技・・・

 

スピード練習の強度、内容。

 

ショートスプリントのやり方には違いを感じた。

 

コーナーを意識してのショートスプリント。

 

右周りでやったら、次は左回り。

 

難易度を高めたコース。

 

カーブでの減速からいかに早くリカバリーするかという点に課題を置いた、コーンの配置に見えた。

 

みんなスキー操作が上手だった。

 

ローラーで止まるとき。

 

ちょっとした段差をローラーで超える時。

 

「その男」が下りのスピードが速くて曲がり切れずに真っ直ぐいかなければいけない道も、すんなりカーブをしていた。

 

サーキット形式で、自重を利用した筋トレも多かったように思える。

 

「その男」がダウンしてしまっても、ほかの選手はひたすら動き続けた。

 

15歳以上年下のジュニア選手、「トビアス君」に腕立てや腹筋の勝負を仕掛けられ、完敗したことは「その男」のブログに書かれている。

 

全身、まんべんなく使うサーキットの内容だったと記憶している。

 

筋力だけでなく、バランス系も含めてだ。

 

「その男」の感覚としては、筋力が強いというよりも、筋肉を使えているといった感じだったようだ。

 

自分が持っている筋肉を上手に使っているように見えた。

 

ガチガチな動きの「その男」とは別物だった。

 

オーバホフで「タイヒマン」を見た時にも、同じようなことを思った。

 

持っている力を全て使っているように。

 

 

 

「クロスカントリースキーに対する理解や距離感」

 

 

これらは日本と違って、大きく違ったように見えた。

 

ローラースキーは家の目の前から初めて、どこへでも行くことができる。

 

急で危ない箇所は、ローラーをしている本人ではなく車側が徐行をしてよけてくれるときもあった。

 

ローラーに乗ったまま、信号を渡ることも。

 

一度の練習で5時間ローラーに乗っても、まだまだ行っていない場所があった。

 

朝の6時過ぎには、何人もの一般人スキーヤーがローラーをする姿を毎朝見た。

 

宿のオーナーもクロカンが好きなようで、毎朝出勤前に乗りに行くといっていた。

 

足を怪我してしまったから、リハビリでやっているんだなんて言っていたかな。

 

夜は21時過ぎになっても、毎晩のようにポールを地面につくときのあの音が聞こえてきた。

 

オスロの市内に行くことがあったが、そこへ向かうときに乗ったバス。

 

何人もの人がローラースキーを持っていた。

 

電車も同様に。

 

街を歩く人の私服のブランドがスキーメーカーだった。

 

自炊だったので、毎日のようにスーパーに通った。

 

広告には、店員の格好をしたクロカンのトップ選手が写っていた。

 

どこに行ってもそこには「クロスカントリースキー」があった。

 

 

 

「その男」の滞在中、ローラー大会があった。

 

冬の大会会場は、夏場はローラーコースとなっており、そこで行われた大会だ。

 

山の上にある大会会場。

 

宿泊している宿から距離がある。

 

「その男」は、最寄駅までローラースキーまで行って、ローラーを抱えて電車に乗り、大会会場付近までいった。

 

現地ならではのスタイルを楽しんでいたようだ。

 

夏のローラー大会にも関わらず、現地ではテレビ放送があったようだ。

 

この大会は、ノルウェーのトップ選手が参加する。

 

それは、世界最高峰の選手達の参加を意味する。

 

 

 

レース開始数時間前。

 

その世界最高峰の選手たちが、小学生くらいの子どもたちを対象に、講習を行っていた。

 

どんなことをやっているのかが気になったので、注視した。

 

そこでは、テクニックを教えるというよりは、一緒にローラーに乗って楽しんでいるといった感じに見えた。

 

いろんな障害物を置いたテクニカルなコースを作り、リレー形式で争ったりしていた。

 

テクニックの指導をしている姿はあまり見られなかったように思う。

 

しかし、どうやったらその障害物を早く超えることができるかということを、身振り手振りで教えている姿は見えた。

 

その姿は、週末のローラーコースでもよく見られた。

 

週末になると、多くの小学生年代の子どもたちがローラーコースに集まっていた。

 

様々なパターンの障害物が置かれている。

 

くぐる、飛ぶ、回る、超える、戻る、進む、止まる、曲がる・・・・

 

様々な要素を必要とする物が置かれていた。

 

 

「こういうことをやっているのかぁ」

 

 

と思い眺めていたが、驚いたことはそれを指導するのが「マリット・ビヨルゲン」

 

オリンピック金メダリストが、小学生と一緒に楽しんでる姿が印象的だった。

 

 

指導の違いも。

 

「どの場面で、どの走法を使うか。」

 

「この斜面では、この傾斜ではどのようなリズムを意識するか」

 

「下りのクローチングから、体を起こして加速を始めるタイミングはどうするか」

 

走りのテクニックはもちろん、コースの攻略の仕方を指導される機会も多かった。

 

綿密なコース戦略の元、レースに出場しているのだろうと感じた。

 

 

 

あとは・・・・・

 

馬鹿みたいに高い物価かな。

 

 

 

これらはたかだか一カ月足らずノルウェーにいった「その男」が感じた違いだ。

 

誰にでも共通で感じるところではないと思う。

 

 

「それくらいやっているよ、わかっているよ」

 

 

という人もいると思う。

 

 

長い歴史を持つノルウェーの全てを見ることができたわけではない。

 

ほんの数パーセントすら見ることができていないだろう。

 

ノルウェーに行っただけで、そこで練習するだけで強くなれるわけはない。

 

これらを知っただけで強くなれるわけがない。

 

これらを真似して強くなれるわけでもないと思う。

 

この遠征での一番の収穫

 

 

「この中で過ごすノルウェー人に勝ちたいなら、相当な覚悟をもって取り組まなければならない。中途半端にやって絶対に戦えるわけがない。腹をくくらなければならない」

 

 

初めてのノルウェー合宿の1か月間で飛躍的に伸びたのは実力じゃない。

 

 

「志だ。」

 

 

「その男」がクロスカントリースキーと向き合うにあたり最も大切にする、それだ。

 

改めて強い気持ちを持つことができた。

 

 

「気持ちを育てる」、良い一カ月間だった

その男㊱

嬉しかったようだ。

 

 

「その男」の家に尋ね人があったらしい。

 

「その男」が大好きな、甘いお菓子を片手に。

 

「その嫁」からその連絡があった時は驚いた。

 

 

なんで?

 

と思った。

 

正直、めちゃめちゃ絡みがあったわけではない。

 

長い時間を共にしたわけではない。

 

だが、想いをもって「その男」の家を訪ねてくれたようだ。

 

嬉しかったのは、大好きなお菓子をもらったからではない。

 

「何かが伝わっていただろうから、我が家を訪ねてくれたこと」

 

がだ。

 

いや

 

それ以上にうれしかったのは、

 

「かっこよかった」

 

って言ってくれたことかな。

 

ほら、「その男」は普段そんなこといわれないからさ。

 

 

 

スタート前のワックスキャビン。

 

いつもと変わらず、相棒を手にした。

 

その手は、いつものように腰にいかなかった。

 

そのまま頭へ向かった。

 

何年振りだろうか?

 

おそらく最後は高校三年生の18歳。

 

この時の「その男」は31歳。

 

13年振りということだ。

 

 

「その男」はいつも巻いていた腰ではなく、頭にハチマキを巻いた。

 

 

数年前のニセコでの合宿。

 

JR北海道が行っていた合宿に参加させてもらった。

 

そこには山口さんもコーチとして来ていた。

 

コンバインドの選手や、スケートの選手もおり、面識がない人もいたため自己紹介が始まった。

 

自分が何を話したかは覚えていない。

 

 

「2018年の平昌オリンピックで金メダルを取ることを目標に、指導をしています」

 

 

山口さんが言ったこの言葉ははっきりと覚えている。

 

「その男」は、それが自分に向けて発された言葉だと思っていたようだ。

 

 

「平昌オリンピックの50㎞で金メダル」

 

 

「その男」の実績から見ると、笑われてしまうような目標だったかもしれない。

 

トップ10に入って、喜んで泣いているような男だ。

 

周りには笑われようが、無理だと言われようが、「その男」にとって平昌オリンピックの50㎞での金メダルは、断固たる「最終目標」だった。

 

 

「その男」にとって、色々な意味で特別になるであろうこのレース。

 

「原点に戻る」

 

気合を入れるために、頭にハチマキを巻いたのだ。

 

 

ウォーミングアップ中。

 

観客席には両親がいた。

 

兄がいた。

 

家族がいた。

 

村から駆けつけてくれた応援団もいた。

 

レースが終わったわけではない。

 

結果が出たわけでもない。

 

「ずっとサポートしてくれた両親と兄を、家族をここに連れてくることができた。」

 

「小さいな頃から応援してくれる村の方々を、一緒に戦った元チームメートをやっとここに連れてくることができた」

 

そう思うだけで涙がこぼれかけた。

 

が、まだレースは始まってない。

 

グッとこらえた。

 

まだ早い。

 

レースに集中だ。

 

 

あまり覚えていない。

 

レース展開を。

 

いつも以上に速い展開だったということは記憶にある。

 

すぐに集団から遅れた。

 

何かが起きる、粘れば。

 

そう信じて走ったことも。

 

が、何も起きなかった。

 

トップとは離れ、どんどん見えなくなった。

 

最後のほうは、コースの反対側にトップがいた。

 

それは数キロ遅れていることを意味した。

 

「その男」がゴールする数分前には、会場は歓喜で沸いていた。

 

興奮する実況が聞こえてきていた。

 

トップがすでにゴールした時、「その男」は三人で走っていた。

 

「この二人にだけは絶対に負けるな、絶対に負けるな」

 

結果的にはこの二人を引き離しゴールをした。

 

この時も拳を突き上げてゴールしていたのだろうか?

 

0.1秒でも早くゴールしたかった。

 

最後まで全力を出し切りたかった。

 

前にも後ろにも、横にも選手はいなかったが、全力で足を出してゴールした。

 

 

ゴール後のミックスゾーンでのこともあまり覚えていない。

 

覚えているのは、「その嫁」が選手が帰る際に通る道の脇から、手を振ってくれていたことだ。

 

早くそこに行きたいと思っていた。

 

早く「その嫁」のところに行きたいと。

 

 

温かく迎え入れてくれた。

 

目標とする金メダルをとれなかった悲しさを忘れさせてくれるほど、優しく受け入れてくれた。

 

「ありがとう」

 

の言葉以外出てこなかった。

 

「その嫁」にも、家族にも、両親にも、兄にも。

 

応援団にも、元チームメートにも。

 

その5文字が全てだったのだ、「その男」の気持ちは。

 

同じように「ありがとう」と言ってくれた元チームメートのワタル、マサタカ、そして館野。

 

一緒になって泣いてくれた元チームメートの頭には、「その男」と同じように赤いハチマキが巻かれていた。

 

 

次男ががおちゃらけて言ってきた。

 

 

「パパに金メダルあげるよ」

 

 

ふざけていっているようだったが、それを聞いてまた涙がでた。

 

「その男」にとっては最高の言葉だ。

 

少しは「自慢の親父」に近づけたのかな。

 

成績は目標に達しなかった。

 

遥かに達しなかった。

 

それにもかかわらず「その男」は

 

「幸せだな」

 

と、取材に来ていたテレビカメラに向けて自然と発していた。

 

やっぱりオリンピックは特別なんだ。

 

 

どうやらこの時、このやりとりをもう一人の小さな男の子も見ていたようだ。

 

「その嫁」のお腹の中から。

 

 

 

一度選手村に戻ってから、閉会式へ向かった。

 

ここで行われることは、各国の選手による行進。

 

様々な方からの挨拶。

 

次回オリンピックのプロモーション。

 

そして表彰。

 

ご存知だろうか?

 

現地ではなく、閉会式で唯一表彰される種目。

 

それが男子50㎞なのだ。

 

 

「オリンピックの最終日に、閉会式でみんなの前で表彰される。こんな名誉なことがあるか?」

 

 

山口さんが数年前に言っていた。

 

閉会式で表彰される選手を、選手が待機する観客席で見ていた。

 

それを誰かと見るのが辛くて、席を離れて遠くから一人で眺めた。

 

高々と掲げられる、フィンランド国旗。

 

なんとも神々しいシーンだったことを覚えている。

 

 

「あそこに立つことを目標にこのオリンピックに来たんだよな」

 

 

悔しくてまた泣いていたようだ、「その男」は。

 

 

色々なことを考えさせられるオリンピックだった。

 

書きだそうと思うとキリがないようだ。

 

全てを書くことは割愛したいと思う。

 

一つだけ書くとしたら

 

「クロスカントリーを続けてきてよかった。クロスカントリーでよかった」

 

そんなことを改めて思わせてくれた。

 

オリンピックはやっぱり特別だった。

 

 

 

その男㉟

動揺した。

秋口のラムソー合宿の最終日、練習後だったと記憶している。

 

「一つじゃないらしい。2つあるって」

 

「その男」はあたふたしていたかもしれないが、「その嫁」はそれと比べてよっぽど強い。

そういった姿をあまり見せることがなかった。

 

シーズンが終わり帰宅しても一緒にいられる時間はわずかだった。

「その嫁」は、一カ月以上入院しなければならないのだ。

「二人の時にしかできないことやろう」

 

大通りの地下。

いい香りがする。

いつも気になっていた立ち食いソバを夫婦で食べた。

 

行ってみたかった洋食屋さんへ行った。

そのまま歩いてカフェ巡りをして、コーヒーやスイーツを堪能した。

 

当日。

3040分で終わると思います」

 

そう告げられた。

「その嫁」はベッドに横たわり部屋へ運ばれた。

やけに寂しく感じたことを覚えている。

「その嫁」が部屋に入るということは、出てきたときには二人の時間が終わってしまっていることを意味したからだ。

 

なかなか帰ってこない。

「その嫁」が帰ってくるときはエレベーターで昇ってくる。

 

上がってくるエレベーターがあるたびに、そのドアの前に立った。

1時間近く待ったのではないか?

また昇ってくるエレベーターがある。

 

同じようにドアの前に立った。

気のせいかもしれないが、声が聞こえる。

 

そのエレベーターが近づいて来るたびに、その声は大きくなっているように感じた。

エレベーターが・・・止まった。

 

「その男」のいるフロアで。

扉が開いたときの光景と、その声が忘れられない。

写真で見ていた、「2個の白い丸」が目の前に現れた。

 

立派に成長した二人が。

全力で泣いている二人を見て、「その男」も全力で泣いた。

 

2013571442分。

2008グラム

長男誕生

 

2013571443

2220グラム

次男誕生

 

麻酔がまだ効いているのだろう。

記憶がもうろうとしている「その嫁」

頑張ってくれたその姿に、涙が止まらない。

 

「ありがとう。がばったね。本当にありがとう」

 

そう言った「その男に」に対して、意外な言葉が返ってきた。

 

「眠い・・・・」

 

大馬鹿野郎。

今は感動のシーンなんだから、もう少し気の利いた言葉を返しやがれ。

というのは、後日の笑い話。

 

そんなことをまったく思えないほど感謝していた。

 

それから5年の歳月が流れる。

 

場所はミュンヘン空港付近のホテル。

これは運命なのか?

またミュンヘン空港だ。

 

「入院する日が早くなった。明日の午後に」

 

「その嫁」からの連絡だ。

また動揺した。

「えっ?予定より早いしょ」

どうやら、「その嫁」の状況が一気に変わってしまったようだ。

「明日の午後か・・・・ぎりぎり家で会えるか会えないかくらいかな」

 

間に合えばいいなぁ。

そう思っていたくらいだ。

 

ドイツを出国し、日本へ。

日が回り、「その嫁」が入院する日になっている。

到着して驚いた。

 

「状況が変わって、入院するのが午前中になった。」

 

どやらすぐに入院しなければならない状況になっていたようだ。

それだけで驚いた。

 

さらに驚いたのは次の文章だ。

「あと一時間くらいで産まなければいけないかも」

 

ほとんどパニック状態に陥った。

お医者さんから電話がきた。

 

「同意していただけますか?」

 

もちろんだ。

国内線のチェックインをすまし、千歳へ向かう飛行機へ乗り込んだ。

降りてからも連絡が来ていない。

しばらくしてから携帯が鳴る。

 

「立派なのが付いている子が出てきました」

 

20181016111分。

2900グラム。

立派なのを付けた3男誕生。

 

 

双子が生まれる前。

 

とあるドキュメンタリー番組を見ていた「その男」と「その嫁」

そこに映し出されている映像に衝撃を受けた。

 

瑞西(スイス)の名峰、アイガー。

 

この世のものとは思えないほどの美しさ、雄大さ、壮大さ。

そして厳しさ。

そんな人間になってほしかった。

その国と山から二人の名前をもらった。

 

「長男 吉田瑞雅(スイガ)」

「次男 吉田藍雅(アイガ)」

 

アイガーのある村はグリンデルワルトという。

この村出身で、登山ガイドがいた。

 

1858811日。

チャールズ・バリントンがアイガー初登頂を果たしたその時、ガイドをしたのが彼だ。

 

そのガイドの名前は

 

「クリスチャン・アルマー」

 

という。

登山の成功を支えたガイドのクリスチャン・アルマー。

色々な人を支えながら、支えられながら成長していってほしい。

そんな願いを込めて、彼から名前をもらった。

 

3男 吉田有槇(アルマ)」

 

 

「どんな父親になりたいか?」

新聞記者からの質問にはいつもこう答えていた。

 

「子どもたちの自慢の親父になりたいです」

彼らが「その男」を自慢の親父と思っているかはわからない。

 

だが、「その男」が確信していることは一つある。

 

「「その男」にとって3人は自慢の息子だ」