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その男㊸

明日の今頃は札幌に上陸している。

 

ついに隔離解放まで「約15時間」

 

来た、ここまで。

 

待つのみ、時間が過ぎるのを待つのみ。

 

なんてことは言っていられない。

 

打つのみ、キーボードを打つのみ。

 

その男の振り返りも、この更新で2019/20シーズンを終了した。

 

残り一年。

 

振り返るために残された時間は残り一日。

 

時間に追われるからと言って、雑にはしたくない。

 

うまく書けないことはたくさんあるようだが、できる限りのことを文章に記していきたいようだ。

 

 

「もともと雑でしょ?」

 

 

という言葉が、どこかから聞こえてきそうだが、聞こえないフリをしよう。

 

 

 

 

屈辱のオーベストドルフを終えた。

 

今遠征最後のレースを迎える。

 

 

「SKI TOUR 2020」

 

 

ツールドスキーと同じような形式で行われるこのレース。

 

9日間で6レースを行う過酷なスケジュールとなっていた。

 

 

初日15㎞スケーティング。

 

変わらず、走りの悪さに悩んでいた。

 

何をやっても変わらない。

 

気持ちよく走れない。

 

このころには、FISポイントランキングも大幅に順位を下げていた。

 

さほどポイントの良くない数名の選手は、シード選手に挟まれてスタートすることとなる。

 

このポジションでスタートしたことはいままで一度もなかったが、違和感なくすんなり受け入れることができた。

 

 

「自分の実力ならこの位置からのスタートがふさわしい」

 

 

自信を失っていたその男はそう思っていたようだ。

 

後ろのシード選手に抜かれてからはうまくついていくことができた。

 

コースプロフィールなども味方してくれたと思う。

 

結果は32位。

 

今シーズンでベストだ。

 

喜んだ記憶はないが、ほっとした。

 

今シーズンで一番良かったことと、「日本人」で一番良かったことに。

 

 

翌日はクラシカル15㎞、パシュートスタート。

 

前日の順位、32番目にスタート。

 

最終週に入るときには30位集団でいたが、一人が抜けてついていくことができなかった。

 

結果は31位。

 

 

「30位にはいりたかったなぁ・・・・」

 

 

少しは前向きな気持ちだったことを覚えている。

 

その後はスプリント2レースとスケーティングの長距離レースがあったが、いずれも特記する成績ではない。

 

 

最終日

 

30㎞クラシカル、パシュートスタート。

 

この前日までのタイム差でスタートしていく形式だ。

 

「その男」はトップとのタイム差が大きかったため、一斉スタート。

 

かなりの人数が一斉スタートとなっていたため、マススタートさながらのスタートとなった。

 

荒れた。

 

海外のレースでは珍しく、強い雪が降っていた。

 

この日はスキー選択が非常に難しかった。

 

ボックスか。

 

ルービングか。

 

オーベストドルフではスキー選択のミスがあったので、いつも以上にテストに神経質になっていたようだ。

 

慎重に、慎重に。

 

出した結論は

 

「ボックススキー」

 

テストを終え、アップに向かった。

 

その間も雪は降り続ける。

 

アップを終え、スタート地点へ。

 

開始10分前くらいになっても、数名のワックスマンは会場付近の上りでテストを続けていた。

 

サンドペーパーでスキーを削る音が至るところから聞こえてくる。

 

 

「ルービングのテストをしてるのか?」

 

 

「その男」が選んだスキーはボックス。

 

一気に不安になった。

 

 

 

ワックスの選択が難しい日ににスタート地点で待つ「その男」は、いつも以上に周りをいる癖があった。

 

「あの人はクリスターか・・・」

 

「あの人はボックスだ」

 

他の選手のスキーを観察して、自分のワックス選択と同じかということを確認したかったのだ。

 

自分と同じタイプのワックスを選択している人をみて

 

「大丈夫。あの選手もクリスターでなくて、ボックスを選択しているから」

 

といったように、気持ちを落ち着かせようとしたそうだ。

 

 

 

だがその日。

 

それが逆に働いた。

 

 

 

「みんなルービングスキーを持っている」

 

 

 

不安が増す。

 

だが、テストをして良いと思ったのはボックス。

 

その時には、ここまで強い降雪が続くとは予想できていなかったが。

 

幸い、ワックスマンが念のためにとルービングスキーを持ってきてくれていたので、スタート直前までスキーを選択できた。

 

 

「どうする・・・」

 

 

サンドペーパーでスキーを削る音が、あきらかに先ほどよりも至る所から聞こえる。

 

その音が増すごとに、「その男」の不安も増した。

 

5分前くらいだったろうか?

 

スキーをもってスタート地点に向かう選手が一人いた。

 

 

「ダリオ」

 

 

だ。

 

持っているスキーは・・・・

 

 

「ルービングスキー」

 

 

決めた。

 

 

「ルービングだ」

 

 

 

安定して良い成績を残すダリオ。

 

スキー選択の間違いも少ないから、安定しているんだろうと思ったことが過去にあった。

 

その自分の考えに流れを任せた。

 

ダリオの選択に身を任せた。

 

その選択は

 

 

正解だった。

 

 

ボックススキーを選択して出場したのは、イギリス、ロシアだったと思われる。

 

かなり前をスタートしたイギリスの選手にすぐ追いついた。

 

下りの前で止まり、スキーについた雪を落としている。

 

凍ってしまっていたようだ。

 

彼はシリーズレースの最終にも関わらず途中棄権をした。

 

 

普段は追いつかないようなロシアの選手がどんどん迫り、追いついた。

 

彼らも同様だ。

 

ワックスが凍ってしまい、地面にスキーをたたきつけるように斜面を上っていた。

 

この日までのタイム差が大きく、優勝確実と思われていたロシアの選手もボックスを選択したのだろうか?

 

後ろから迫るノルウェーの大集団に飲まれ、大きく順位を下げていた。

 

レースが終わるころには雪はすっかり止んでいた。

 

 

このレースはシリーズ最終レース。

 

総合順位は

 

31位。

 

30位との差。

 

0.00秒。

 

6レース合計の所要時間は4時間を超えていた。

 

4時間以上走ってタイム差は0.00秒。

 

同タイムとなると、それぞれ単体のレースでよりよい順位を取っている選手が上に来るのだろう。

 

総合30位になった選手のこのシリーズでのベストリザルトは13位。

 

しかし、「その男」は二日目の31位。

 

そのことから総合は同タイムでも、「その男」は順位が下になってしまったのだ。

 

29位のマニフィカとは0.3秒。

 

ワールドカップポイント獲得とならなかった。

 

わずかな差、順位は1つしか変わらないが、大きな違いがあった。

 

しかし、シリーズ戦にはパシュートスタートの日はレース単体の順位もつく。

 

30㎞クラシカルの順位も発表されるということだ。

 

「その男」は

 

 

「25位」

 

 

 

シリーズ最終戦。

 

この時点では「その男」にとって今シーズン最後のワールドカップとなるレースでやっとポイントを獲得できた。

 

 

「今日は20位。悪くはないが良くはない。」

 

 

「15位でした。もう少し行きたかった」

 

 

「14位。オリンピック選考には絡めない」

 

 

この日に取った25位よりも良い順位をとっても、素直に喜べなかった以前。

 

だがこの日。

 

 

「やっとワールドカップポイントだ。最後に30位に以内に入れた。良かった」

 

 

一定の達成感は感じていた。

 

自信を無くしていた「その男」が喜ぶには十分な順位だったようだ。

 

苦しくてもがき続けて、やっと手にしたポイント。

 

数字以上に、そこに価値を感じていた。

 

 

帰国をした。

 

今シーズン最後のレースが全日本選手権だ。

 

しかし

 

「全日本選手権が中止になる」

 

連絡が入った。

 

コロナの影響だ。

 

「その男」はすぐ動いた。

 

「その男」は出場予定のなかった、カナダのキャンモアで行われるワールドカップに出場したいと、すぐにナショナルチームのコーチに連絡した。

 

一度は拒否された。

 

しかし、熱意を伝え、ほかのコーチ、ワックスマンにも連絡をして想いを伝えた。

 

その後、なんとか派遣を許可された。

 

 

その数日後。

 

「カナダのワールドカップが中止になった」

 

また連絡が入った。

 

ワックス中に聞いたその知らせ。

 

力が入らなくなって、その場に座り込んだ。

 

頭の中で色々な考えが交錯していた。

 

気が付けばシーズンオフを迎えることになってしまったのだ。

 

 

「その男」は再びすぐに動いた。

 

所属の監督に話をしに行った。

 

 

電話をした。

 

「小池先生」

 

の名前が画面に映っている。

 

「先生、ちょっと会いに行っていいですか?」

 

快諾してくれた。

 

もう一人に電話した

 

 

「ワタル」

 

 

の名前が見える。

 

「一緒に小池先生に会いに行こうよ」

 

多くは話さずに、先生に会いに行く約束だけをした。

 

翌日には山口さんに連絡をした。

 

 

コロナにより、急遽迎えてしまったシーズン終了。

 

「その男」にはあまりにも大きな意味を持つ。

 

カナダのワールドカップキャンセルの連絡から3日後。

 

その男はすでに5㎏太っていた。

 

複雑な気持ちを食欲にぶつけた。

 

 

2020年3月15日。

 

肉付きの良くなった「その男」は、数日間の混乱を経て落ち着きを取り戻した。

 

いや

 

 

「以前よりも強い決意をもっていた。」

 

 

その男㊷

ついに24時間を切った。

 

24時間×13日

 

約312時間のホテル生活(ホテルに居続けているわけではない)をすごしたということだ。

 

それに比べると、残り24時間なんてすぐだ。

 

しかしだ。

 

ちょっと時間が足りないかもしれないぞ。

 

「その男」の残り1年ちょっとを振り返るには。

 

あと、、、5~6回くらいの更新となるだろうか?

 

42回更新を続けてきたのだから、それくらいはいけるだろ。

 

13年間続けてきたブログなんだから、あと少しくらい続けられるだろ、「その男」よ。

 

 

帰国をしてからも何も変わらなかった。

 

年末、「その男」の地元で例年のようにFISレースが開催された。

 

この直前。

 

「その男」は風邪を引いてしまった。

 

2日ほど練習ができず、大会前日には練習復帰。

 

そんな中で走れるわけがない。

 

ただでさえ走りの感覚が悪いのだ。

 

 

初日のクラシカル。

 

いざレースを走っても案の定体がキツイ。

 

それに加え、走りの感覚も悪い。

 

10位だった。

 

いつ以来だろう。

 

「その男」の地元で表彰台を逃すのなんて。

 

 

翌日のスケーティング。

 

15位。

 

表彰式で名前をよばれることすらなかった。

 

 

都合がよかったのかもしれない、「その男」にとっては。

 

風邪を引いてしまったことが。

 

「「その男」は、風邪を引いてしまって調子が悪かったから、この順位だったんだ」

 

そう思ってくれる人がいたかもしれないからだ。

 

風邪を引いて調子が悪かったのは事実だ。

 

しかしそうじゃないんだ。

 

風邪による調子の問題じゃないんだ。

 

単純に速く走ることができないだけなんだ。

 

速く走ろうとすればするほど、体が遅れる。

 

速く動こうとすればするほど、腰が落ちる。

 

スキーに乗ることができなくて、体の方向が定まらない。

 

それを感じているのに。

 

それをわかっているのに。

 

どうしたらいいのかわからないんだ。

 

 

このシーズンの札幌は例年にない雪不足。

 

そのため、年末年始は「その男」の地元にもどり、練習をした。

 

ただでさえ家族と会える時間がわずかだったが、それがさらに減った。

 

どうにかして取り戻したかった。

 

気持ちよく走っていた日々を。

 

楽しく走っていた日々を。

 

残念ながらそれはやってこなかったが。

 

 

「修行僧「その男」、今日も絶好調!」

 

大概にしろ。

 

 

札幌の雪不足は解消されず、FISレースは中止に。

 

残念な気持ちはもちろんあった。

 

それよりもほっとした気持ちのほうが強かった。

 

 

「よかった、馬場と宮沢に負けずに済む」

 

 

自信なんて皆無だった。

 

 

1月中旬からは2ピリに向け出国。

 

チェコ・ノベメストでのワールドカップ。

 

年末年始を「その男」の地元で過ごし、とにかく練習に集中をした。

 

その成果が問われる場だった。

 

 

初日15㎞スケーティング。

 

何も変わっていなかった。

 

「その男」が2周目に入るとき、馬場がスタートして一緒になった。

 

ムキになってついていった。

 

「舐めんな」

 

離れなかった。

 

しかし、馬場の後ろからスタートした選手に抜かれて、その選手についていく展開になったところでペースアップ。

 

「その男」は一気に離れてしまった。

 

38位に終わった。

 

 

翌日

 

15㎞クラシカル、パシュート。

 

前日のタイム差でスタートしていく形式だ。

 

急に違和感が。

 

レース前のスキーテストの時に。

 

スキーを履いて、動き始めた一歩目。

 

 

「肩が痛い」

 

 

だが、ウォーミングアップなどをしないで走り始める時には温まるまで痛く感じることはあった。

 

それと一緒だろうと思ったが、時間が経過しても変わらない。

 

大丈夫だろうと思い、ウォーミングアップへ向かった。

 

全く痛みが引かない。

 

むしろ増しているように感じた。

 

スピードを上げて心臓を煽ろうとしたが、肩が痛くて押せない。

 

コース上に立ち尽くした。

 

 

「どうするんだ?これで出場しても痛くて押せないぞ。いや、レースになれば集中して痛みも忘れるはずだ」

 

 

しばらく葛藤した。

 

もう一度スピードを上げてみる。

 

やはり押せない。

 

 

「棄権」を選択した。

 

 

この時、ワールドカップのスタート回数は100回を超えていた。

 

初めてのことだった、棄権を選択したのは。

 

キャビンでコーチに棄権すると伝えた。

 

悔しくて涙が出た。

 

号泣した。

 

 

昨夜の事だ。

 

夢を見た。

 

ローラースキーでダブルポールをしている夢だ。

 

良いポジションで押すことができていたのだろう。

 

自然と踵が浮いていた。

 

体も浮くように軽かった。

 

押し切ったポールを、ジャンプするように前に戻すとき。

 

現実の世界では、「その男」はベッドの外に落ちかけた。

 

落ちかけた体を支えようと手を出した時に、ついた場所が悪かったのだろう。

 

これで肩を痛めていたのだ。

 

とことんうまくいかない。

 

走りが悪い。

 

レース前に風邪を引く。

 

レース前に怪我をする。

 

さて、仕上げはなんだろうか?

 

 

翌週。

 

オーベストドルフでのワールドカップ。

 

スキーアスロン30㎞だ。

 

この会場は世界選手権を翌シーズンに控えていた。

 

レースが始まる。

 

屈辱的なレースが。

 

開始数百メートル、会場をでてからすぐの上りですでにきつかった。

 

過去最短で集団から離れたのではないだろうか。

 

あっという間に「その男」は後方に落ちていった。

 

必死に体を動かしても、練習ペースよりも少し早いくらいにしか感じない。

 

スキーの選択も完全にミスをしていた。

 

クリスター、ボックス両方のスキーをワックスマンが用意をしてくれ、テストした。

 

「その男」が選択したのはボックススキー。

 

いざレースとなると、なかなかグリップが効かない。

 

コースの外で開脚することがほとんどだ。

 

 

念のために言っておきたいようだが、そのテストをしてスキーを選んだのは、「その男」自身だ。

 

クリスターのほうがよかったと判断できなかった「その男」自身に問題がある。

 

 

スケーティングになっても、何一ついいところはない。

 

相変わらず練習ペースよりもちょっと早いんじゃないかというくらいだ。

 

ずっと一緒に走っていた選手にも、最後のスパートでちぎられた。

 

 

61人中54位。

 

7分21秒遅れ。

 

50㎞レースのようなタイム差だ。

 

馬場は17位

 

わずか55秒遅れ。

 

ワックスキャビンに戻ると、馬場の10番台に沸いているように見えた。

 

その中で、

 

 

「肩大丈夫でしたか?」

 

 

トレーナーの近藤さんが心配してくれた。

 

 

「肩は全く問題ありません、大丈夫です」

 

 

事実だ。

 

肩の痛みはすっかり消えていた。

 

問題があったのは自分自身の走りと、スキー選択判断だ。

 

そのことにいら立っていた。

 

心配して聞いてくれた近藤さんの質問に、声を荒げそうになったのを必死にこらえた。

 

着替えをする部屋に戻って、気持ちを落ち着かせた。

 

着替えていると近藤さんが入ってきた。

 

「肩大丈夫ですか?」

 

トレーナーということもあり、誰よりも肩を心配してくれた。

 

 

だが

 

 

キレた。

 

 

「肩は関係ない!ただ俺が遅かっただけで、肩は痛くないってさっきも言ったじゃないですか!」

 

 

心配してくれる優しさを拒絶してしまった。

 

 

その夜の食事。

 

ご存知だと思う。

 

「その男」は食べるのが大好きなことを。

 

大食いなことを。

 

 

必死だった。

 

さほど量の多くないパスタを食べきることに。

 

 

「食べ物がのどに通らないというのはこのことか」

 

 

あんなにおいしくなく感じるパスタを食べたのは初めてだ。

 

 

 

 

 

 

その男㊶

「25時間」

 

いよいよ近づいてきた。

 

「その男」が解放される日が。

 

ルールでは、24日の0時00分にホテル生活からの解放となるようだ。

 

それが意味するのは。

 

「その男」の振り返りの終わりだ。

 

寂しいと思ってくださる方が多いか?

 

いいかげん終わると思う方が多いか?

 

前者が多いと、ここまで書き続けてきたことの意味が増す。

 

「家に帰ることができるのはうれしい。それにより振り返りが終わる。終わってしまう。」

 

早く帰りたい気持ちと、「その男」の終わりに寂しさを感じているようだ、「その男」は。

 

複雑な心境だ。

 

 

 

何かが狂っていた。

 

それが何かはわからないが、確実に。

 

それを感じ始めたのは、秋口だった。

 

スピード練習をしていてもしっくりこない。

 

全力を出してきついのだが、追い込み切れない。

 

それは感覚だけでなく、心拍数が物語っていた。

 

呼吸の限界がくるまえに、筋肉の限界が来てしまい、脈が上がりきらない。

 

我慢ができない。

 

この年の秋口は、ナショナルチームの合宿でオーバホフへ行った。

 

SOSのメールを送った。

 

タイヒマンに。

 

 

「走りの感覚がおかしい。特にスケーティングが。オーバホフに合宿で行くから、走りを見てくれないか?」

 

 

了解の返信があり、彼にマンツーマンでみっちり指導してもらった。

 

後ろを走ってもらっては止まり、指導を受ける。

 

それぞれのテクニックごとに詳細に。

 

なんという至福の時間だろうか。

 

元ワールドカップ総合チャンピオンにマンツーマンで指導してもらえるだなんて。

 

それでも走りの違和感は拭えなかった。

 

スキートンネルでスキーに乗ったときも、やはり感覚がちがう。

 

何かがずれているのだが、それがわからない。

 

 

「スーパースケーティングできない病」

 

 

に近い感覚だった。

 

スキーに乗ることができず、滑らせることができない。

 

シーズンインを迎えても、それは改善されていなかった。

 

すごく焦っていたようだ、「その男」

 

ノルウェーのベイトストーレンから開幕したこのシーズン。

 

このレースには「その男」が昨シーズンオフにノルウェーに行った際、一緒にトレーニングをさせてもらった、「LYN SKITEAM」も来ていた。

 

そのチームのコーチとの再会をした。

 

 

「走りが悪すぎるから見てほしい」

 

 

と伝えると、快諾してくれた。

 

自分が走っている映像を一緒にみたが、ほかのコーチも呼び寄せてくれてアドバイスをくれた。

 

本当に優しかったなぁ・・・

 

アドバイスをもらった翌日にはレースがあったが、すぐに直るほど甘くない。

 

走りの感覚の悪さ、不安は的中する。

 

このシーズンの初戦。

 

 

クラシカル15㎞レース

 

 

97位

 

トップから遅れること4分55秒。

 

スキー王国ノルウェーでのFISレースはレベルが非常に高い。

 

ここで優勝することは、ワールドカップで優勝することに匹敵する。

 

ここで20位以内に入れば、ワールドカップでも30位以内に入る実力に匹敵するのではないだろうか。

 

それにしても、ひどい結果だ。

 

もう少しで3桁。

 

こんな順位、久しくとっていないはずだ。

 

 

翌日のスケーティングは40位。

 

クラシカルの順位から比べるとよほど良いが、例年の成績からいくと全くよくない。

 

何が悪いのかがわからない。

 

気が付けば鏡の前にいることが増えた。

 

エアースケーティング、エアーダブルポール。

 

何度も自分の動きを確認した。

 

部屋でポールをついて(穴はあけてない)確認することもあった。

 

ビデオを眺める時間も増えた。

 

何をやっても、どうやっても変わらなかった。

 

 

ルカのワールドカップ。

 

クラシカル49位。

 

スケーティング48位。

 

呼吸よりも先に筋肉がきつくなり、ペースが上がらないことに変わりがない。

 

「スキーを蹴って進むんじゃない、体重の移動で進むんだ。」

 

「腹で押せ、腕で押すな。腹で押しきれ。」

 

色々と試した。

 

良い感覚だったときに戻ろうとしたが、どうすればよいかわからない。

 

 

 

ここまで文章を書き進めても、まったくポジティブなことが思い浮かばないようだ、「その男」は。

 

それくらい酷かった。

 

まだまだネガティブな思い出ばかり浮かんでくる。

 

 

 

リレハンメルのワールドカップ。

 

スキーアスロンマススタート。

 

スタート直後から遅れた。

 

全くついていけなかった。

 

トップは遥か彼方。

 

見えなくなっている。

 

馬場さえも見えないところにいる。

 

世界選手権で30位には入っていた馬場。

 

しかし、初めて馬場がワールドカップポイントをとったのはこのレースだ。

 

覚えているだろうか。

 

「その男」が初めてワールドカップポイントをとったときのことを。

 

「絶対的なエース」と「憧れのライバル」から初ポイントを祝福され、喜んだことを。

 

その後、誰かの初ポイントに立ち会えた時は、初ポイント祝いを渡していたことを。

 

しかし、初ポイント祝いを渡せるような、他人を想う気持ちの余裕がない。

 

ましてや、馬場の初ポイントを喜ぶこともできていなかったようだ。

 

それくらい追い込まれていた。

 

 

翌週。

 

スイスのダボス。

 

例年のよりも、美しい景色、山々を楽しむことができていなかったように思える。

 

考えることはいつも

 

 

「どうやって走るんだ」

 

 

うらやましくなった。

 

会話を楽しみながら、ゆっくり走っているほかの選手を見るたびに。

 

 

「なんで俺のほうが集中しているのに、練習をしているのに、考えて走っているのに、あいつのほうが速いんだ?」

 

 

ネガティブな子ばかり頭に浮かんでいた。

 

このレースは39位。

 

馬場は43位。

 

宮沢は67位。

 

正直ほっとしてしまっていたようだ。

 

 

「良かった、「日本人」のなかで一番だ」

 

 

と。

 

自分の順位を悔しがる気持ちと、日本人に負けなくてよかったという気持ちが、気が付けば逆転していた。

 

レースを重ねるたびに自信を失っていった。

 

それでもヘラヘラした。

 

 

「いやーイマイチでしたねー。まぁ、次頑張ります!」

 

 

レース後にはいつものようにコーチやワックスマンに伝えた。

 

 

「その男」のブログもいつものようなトーンで記事が更新されていた。

 

 

「めちゃめちゃしんどかったです!いいところなく終わってしまいました!」

 

 

「ですが・・・・次のレースはしっかり走ります!サバイバル!」

 

 

本人の気持ちとは全く違うトーンで言葉が並べられていた。

 

 

「何をやっても駄目なんです。どうにかしたいんですが、うまくいかないんです。」

 

 

「レースを走るのが辛い。馬場と宮沢に負けたくないんです。」

 

 

「今日のレースは39位でしたが、日本人でトップだったから正直ホッとしています」

 

 

本心を並べればこうなるのだろうか。

 

いや、こんな言葉だけで終わるわけがない。

 

もっとネガティブな言葉が並ぶはずだ。

 

 

もっとひどい言葉が並ぶはずだ。

 

 

シーズンが進むにつれて、自分でも嫌になるほど変わっていってしまったようだ、「その男」は。