その男㉟ | neppu.com

その男㉟

動揺した。

秋口のラムソー合宿の最終日、練習後だったと記憶している。

 

「一つじゃないらしい。2つあるって」

 

「その男」はあたふたしていたかもしれないが、「その嫁」はそれと比べてよっぽど強い。

そういった姿をあまり見せることがなかった。

 

シーズンが終わり帰宅しても一緒にいられる時間はわずかだった。

「その嫁」は、一カ月以上入院しなければならないのだ。

「二人の時にしかできないことやろう」

 

大通りの地下。

いい香りがする。

いつも気になっていた立ち食いソバを夫婦で食べた。

 

行ってみたかった洋食屋さんへ行った。

そのまま歩いてカフェ巡りをして、コーヒーやスイーツを堪能した。

 

当日。

3040分で終わると思います」

 

そう告げられた。

「その嫁」はベッドに横たわり部屋へ運ばれた。

やけに寂しく感じたことを覚えている。

「その嫁」が部屋に入るということは、出てきたときには二人の時間が終わってしまっていることを意味したからだ。

 

なかなか帰ってこない。

「その嫁」が帰ってくるときはエレベーターで昇ってくる。

 

上がってくるエレベーターがあるたびに、そのドアの前に立った。

1時間近く待ったのではないか?

また昇ってくるエレベーターがある。

 

同じようにドアの前に立った。

気のせいかもしれないが、声が聞こえる。

 

そのエレベーターが近づいて来るたびに、その声は大きくなっているように感じた。

エレベーターが・・・止まった。

 

「その男」のいるフロアで。

扉が開いたときの光景と、その声が忘れられない。

写真で見ていた、「2個の白い丸」が目の前に現れた。

 

立派に成長した二人が。

全力で泣いている二人を見て、「その男」も全力で泣いた。

 

2013571442分。

2008グラム

長男誕生

 

2013571443

2220グラム

次男誕生

 

麻酔がまだ効いているのだろう。

記憶がもうろうとしている「その嫁」

頑張ってくれたその姿に、涙が止まらない。

 

「ありがとう。がばったね。本当にありがとう」

 

そう言った「その男に」に対して、意外な言葉が返ってきた。

 

「眠い・・・・」

 

大馬鹿野郎。

今は感動のシーンなんだから、もう少し気の利いた言葉を返しやがれ。

というのは、後日の笑い話。

 

そんなことをまったく思えないほど感謝していた。

 

それから5年の歳月が流れる。

 

場所はミュンヘン空港付近のホテル。

これは運命なのか?

またミュンヘン空港だ。

 

「入院する日が早くなった。明日の午後に」

 

「その嫁」からの連絡だ。

また動揺した。

「えっ?予定より早いしょ」

どうやら、「その嫁」の状況が一気に変わってしまったようだ。

「明日の午後か・・・・ぎりぎり家で会えるか会えないかくらいかな」

 

間に合えばいいなぁ。

そう思っていたくらいだ。

 

ドイツを出国し、日本へ。

日が回り、「その嫁」が入院する日になっている。

到着して驚いた。

 

「状況が変わって、入院するのが午前中になった。」

 

どやらすぐに入院しなければならない状況になっていたようだ。

それだけで驚いた。

 

さらに驚いたのは次の文章だ。

「あと一時間くらいで産まなければいけないかも」

 

ほとんどパニック状態に陥った。

お医者さんから電話がきた。

 

「同意していただけますか?」

 

もちろんだ。

国内線のチェックインをすまし、千歳へ向かう飛行機へ乗り込んだ。

降りてからも連絡が来ていない。

しばらくしてから携帯が鳴る。

 

「立派なのが付いている子が出てきました」

 

20181016111分。

2900グラム。

立派なのを付けた3男誕生。

 

 

双子が生まれる前。

 

とあるドキュメンタリー番組を見ていた「その男」と「その嫁」

そこに映し出されている映像に衝撃を受けた。

 

瑞西(スイス)の名峰、アイガー。

 

この世のものとは思えないほどの美しさ、雄大さ、壮大さ。

そして厳しさ。

そんな人間になってほしかった。

その国と山から二人の名前をもらった。

 

「長男 吉田瑞雅(スイガ)」

「次男 吉田藍雅(アイガ)」

 

アイガーのある村はグリンデルワルトという。

この村出身で、登山ガイドがいた。

 

1858811日。

チャールズ・バリントンがアイガー初登頂を果たしたその時、ガイドをしたのが彼だ。

 

そのガイドの名前は

 

「クリスチャン・アルマー」

 

という。

登山の成功を支えたガイドのクリスチャン・アルマー。

色々な人を支えながら、支えられながら成長していってほしい。

そんな願いを込めて、彼から名前をもらった。

 

3男 吉田有槇(アルマ)」

 

 

「どんな父親になりたいか?」

新聞記者からの質問にはいつもこう答えていた。

 

「子どもたちの自慢の親父になりたいです」

彼らが「その男」を自慢の親父と思っているかはわからない。

 

だが、「その男」が確信していることは一つある。

 

「「その男」にとって3人は自慢の息子だ」