その男㉛
ここまで来たら意地でもゴールしてやる。
「その男」のブログだ。
回顧録だ。
30回の更新を重ねてきた。
中だるみしているかもしれない。
なんなら、読む方はそろそろ飽きてくるかもしれない。
しかし、せっかくここまで振り返り続けてきた。
タイムリミットは迫り、さらにペースを上げなければならないようだ。
前にも書いた。
スキーのように後半で一気にペースアップすると。
今日もまた新記録達成の5度目の更新。
ロングラストスパートの始まりだ。
平昌でのワールドカップが終わり家に帰った。
家族と一緒に過ごす時間。
気の張り続けた日々から、一度解放されていた。
オリンピック標準を突破したことにより、安堵していたようだ。
しかし、このシーズンも大切な大会は続く。
フィンランド・ラハティで開催される世界選手権があるのだ。
この大会のメンバーに選出されたのが
宮沢
「その男」
二人だけだ。
この世界選手権も、派遣基準が明示された。
ワールドカップ30位以内2回。
ワールドカップ15位以内1回。
だったはずだ。
オリンピックに比べると低いが、決して簡単な基準ではない。
これをクリアできたのがその二人だった。
いつもいたレンティングがいない。
前回選出された宇田もいない。
寂しさを感じた。
女子も石田さんのみ。
日本チームの代表は全員でわずか三人しかいなかったのだ。
この大会で最も印象の強いレースはスキーアスロン・・・ではない。
スキーアスロンではよい位置につけておきながら、接触による転倒で順位を落としてしまった。
2011年 オスロ15㎞クラシカル。
2013年 ヴァルディフィエメ50㎞クラシカル
2017年 ラハティ30㎞スキーアスロン。
このレースで世界選手権3度目の12位となった。
なかなかベストを更新するのは難しいものだ。
スキーアスロンではなく、その約一週間後に行われた、50㎞スケーティンの記憶が強い。
この前日に行われた女子30㎞スケーティング。
連日やや気温が高かったものの、この日は気温が一気に下がった。
アイスバーンに近いガチガチのコース状況だ。
その固いバーンは女子の競技が終了しても、ほとんど崩れていなかった。
そこでFISが下した判断は、
「コースを整備しなおさないで、翌日の男子50㎞でもそのまま使用する」
だった。
これが、「その男」にとっては良い方向に働かなかったようだ。
翌日の50㎞は、超高速レースとなった。
このレースの優勝タイムは
「1時間46分28秒」
だ。
10㎞を21分ほどで走り続けている。
走法、コース、雪質の違いはあるが、つい先日まで行われていたオーベストドルフの世界選手権50㎞の優勝タイムは
「2時間10分52秒」
25分ほどラハティの世界選手権のほうが早かった。
スピードが上がれば上がるほど、選手は風を受ける形になり、後ろを走る選手はより楽になる。
そのため、このレースもなかなか集団は崩れなかった。
コースがアイスバーンということもあり、スキーの滑走性もなかなか落ちない。
三回まで交換が許されていたはずだが、ほとんどの選手は1度しか交換をしていない。
けん制などはさほどなく、とにかく早いペースでレースは進み続けた。
「その男」が最も苦手とするレース展開。
「高速レース」
「その男」が最も苦手とするコースコンディション。
「アイスバーン」
その二つの状況の元、レースは行われていた。
うまく対応できない、「その男」
バランスが悪いのだろうか。
アイスバーンになると、うまくスキーに乗れない。
スキーを滑らすことができない。
走りが小さくなってしまう。
このレースでも悪いところが出てしまった。
4周を終え、残り1周に向けて会場を出ていった。
このタイミングで「その男」は少しずつ遅れ始めた。
下りや、平地で、集団が渋滞するタイミングでなんとか追いつくが、上りになると離されてしまう。
長い上りが続くパートが終わるころには、「その男」は集団からはっきり離れてしまっていた。
目の前にいる集団に追いつきたい。
必死に体をうごかしても、徐々に差が広がっていくのが分かった。
「あきらめない、絶対にあきらめない」
自分に言い聞かせながら走った。
長い上りが終わった平地。
トレーナーの野口さんが給水をするために待ってくれているのはわかっていた。
誰かと意思を共有することで、もっと走れると思ったようだ。
しかし、そんなに甘くなかった。
前との差はさらに広がっていく。
最終的には1分以上負けてしまっただろうか。
この時の優勝者はハービー。
「スキーが早くて、顔が小さくて、歯並びが良くて、身長が大きくて、イケメン」
のハービーだ。
「その男」の嫁は、さらにハービーファンになったことだろう。
疲れ切った「その男」
悔しさの中、レース後に食べたハンバーガーのおいしさが忘れられないようだ。
その男㉚
人と話すことに飢えているのか?
今日は、とある記者の方とズームで話す機会があった。
30分~40分の予定だったものの、気が付けば1時間半をオーバーするほどに。
人と接することのないこの生活に、寂しさを感じているところもあるのだろう。
この生活に充実感はあるが、体と心は正直のようだ。
時間があるため、「その男」の嫁に連絡する機会も増えている。
テレビ電話をする機会も増えているようだ。。
「旦那が隔離生活で暇をしているようで、旦那からの連絡が増えている」
「その男」の嫁がフェイスブックで愚痴ったようだ。
今日も「その男」の家庭は平和だ。
初のトップ10に入ったそのままの勢いで、現地入りした。
このシーズンで大きなチャンスとなるレースに。
プレオリンピック大会。
韓国の平昌で開催されたワールドカップだ。
翌シーズンのオリンピック会場でテストレースとなるワールドカップが開催される。
種目は30㎞スキーアスロン。
なぜ大きなチャンスだったのか?
翌年のオリンピックに向けて、強豪国からの参加はあった。
ワックスやコース情報も必要となるため、いつもと変わらないコーチやワックスマンは来ている。
しかし。
ヨーロッパから韓国に来るには、移動距離や時差が大きすぎる。
日本人はヨーロッパに行く際は毎回のようにこれらを体験しているが、ヨーロッパ選手がアジアに来ることはなかなかない。
時差調整などで苦戦し、調子を崩してしまうことを懸念したのだろうか?
さらには各国でナショナルチャンピオンシップ(日本で言う全日本選手権)が開催される週ということもあった。
そのため、ヨーロッパのトップ選手はこの大会に出場しなかったのだ。
言ってしまうならば、非常にレベルの低いワールドカップ。
ノルウェーやスウェーデン、ロシアなどの強豪国からはセカンドチームの参加となった。
それは、「その男」にとっては大きなチャンスとなるのだ。
オリンピック派遣標準を切るための。
スタート位置はランキング順で決まるが、「その男」は4番目だったはず。
普段のワールドカップでは40番前後のランキングだったことを考えると、どれだけのトップ選手が出場していなかったのかが容易にわかる。
前レースでトップ10に入っていたものの、ここで派遣標準を切らなければ、一気に状況が厳しくなることはわかっていた。
ここで必ず切らなければならない。
このレースでオリンピックを決めるためには、10位以内に入ればいいのだ。
レース前夜。
スタートリストと、FISのサイトとにらめっこをしていたようだ。
ランキング上位選手の過去の実績をひたすら調べた。
クラシカルが得意なのか?
スケーティングが得意なのか?
スプリントは強いか?
近年と以前だと、成績がいいのはどっちだ?
最近の成績はどうだ、調子はいいのか?
翌日の作戦を練るための情報収集だ。
大切な情報を頭に叩き込んでいた。
午後からのレースだったので、午前中は軽くランニング。
同じようにランニングをしている他国の選手とすれ違うことがあったが、その選手たちがいつもよりも強そうに見えた。
「俺だってトップ10に入った男だぞ」
弱気になりそうなときには言い聞かせた。
そしてレースが始まる。
何度もカウントした。
10位の選手はどこまでかと。
よそ見をしていたわけではないが、レースに集中しきれていなかったのか?
ポールをまたいでしまい、折れた。
ラクルーザでポールを折ったときはつい笑ってしまった。
しかし、この時は冷静ではいられなかった。
早く予備ポールをもらわないといけないと気持ちが焦り、ポールを受け取るときに他の選手の進路妨害をしてしまった。
「その男」が今日までに受けてしまった唯一のイエローカードだ。
ポールを受け取ってからはトップ集団に追いついてレースを展開したが、クラシカルパートはきつかった。
クラシカルパートでかなりの力を使ってしまったと記憶している。
しかしなんとかして粘れば、トップ10に入った走法、スケーティングだ。
それが、「その男」の精神を支えていた。
改めて振り返ると、ウルリセハムでトップ10に入ったのは、オリンピック出場が近づいたということ以外にも多くの利益をもたらしていたように思える。
トップ集団後方でスケーティングに入った。
スケーティングに入り、レースが落ち着いたときの集団は11~12人だと記憶している。
「誰か、早く脱落してくれ」
他力本願になっていた。
スケーティングパートに入ってからは、何度後ろを振り向いたかわからない。
何度自分の順位をカウントしたかわからない。
後にこのレースの映像をみたが、「その男」が何度も後ろを振り返る姿が映っている。
自信がないように見え、弱々しく見える。
そんなことを気にしている余裕などなかった。
オリンピック出場のためのビッグチャンスを逃すわけにいかないのだ。
トップの選手が仕掛けた。
二人反応して、三人で抜けた。
「その男」は全く反応しなかった。
その男㉙
今日の夕食もにぎやかだった。
「最近、リモート食事が楽しいんだよねー」
とスイガが言うので、今日も実行した。
お寿司が食べたいということだったので、「その男」もスーパーに行って買ってきた。
前回はバラバラの物を食べたが、今日は一緒の物を食べたので、より距離感が近かったように感じる。
なんだかんだで「その男」はこのに充実感を感じているようだ。
しかし、家族に会いたい気持ちも強くなってきている。
四日後には再会だ。
それは、「その男」が過去を振り返る日のリミットも意味する。
帰国後は年末年始恒例、「その男」の地元と札幌でのFISレースだ。
ディスタンス4種目のうち、1種目はレンティングに持っていかれた。
他の3種目は「その男」が制した。
札幌のレース最終日。
15㎞スケーティング。
ぶっちぎって優勝した。
2位に1分30秒ほどつけて優勝。
2位になったのが
「馬場」
だ。
「その男」よりも10歳若い馬場。
いよいよ若手が頭角を現してきた。
「がんばれよ、俺の次になれるぞ」
ゴール後に「その男」は馬場に言った。
覚えているだろうか?
遡ること14年。
同じく札幌白旗山コース。
「その男」が、「日本の絶対的エース」にかけてもらった言葉を。
「その男」は馬場に同じような言葉を伝えたようだ。
よほどうれしかったんだろう、「日本の絶対的なエース」からの言葉が。
あれから数年。
馬場は「その男」の次になっただろうか?
いや、「その男」と馬場の力関係を比べるのはやめておこう・・・
時の流れとは残酷だ。
シーズン初めからの調子の良さを維持していた。
維持ではない。
むしろ向上していたようだ。
札幌のレース後、ワールドカップへ向けて再び出国した。
FISレース後、アジアランキングトップだったことにより、ワールドカップ出場権を得た「カイチ君」と二人で。
出国から大会までの期間はわずか1週間。
スウェーデンのウルリセハムで行われるワールドカップだった。
しかし、現地はコンディションがあまりよくないということで、直前までフィンランドのラハティで事前合宿。
ここでやったスピード練習の時の感覚が、いまだに忘れられないようだ。
勝手に腕が出てきて、腰が浮いてきて、腕ではなく、腹で最後までポールを押し切る感覚。
気持ちよかったなぁ。
良い感覚のままウルリセハムへ向かった。
15㎞スケーティング。
リレハンメル同様、この時もスタートは前のほうだった。
周回差の選手をうまく利用したのも同様だ。
2周目に入って少ししてから、スタートしたばかりの選手に抜かれた。
「ハービー」だ。
「その男」の嫁はハービーファンだということは、「その男」のブログで度々書いている。
「ハービーは早くて、身長が高くて、顔が小さくて、歯並びもよくて、イケメンなのに、「その男は」・・・」
「その男」の嫁がハービーを絶賛するが故に、気が付けばハービーは「その男」にとってライバルとなっていた。
このレースで優勝したハービー。
彼についていった。
ハービーを利用して、グングン順位を上げていく。
通過タイムは、気が付けばトップとなっていた。
ハービーとは周回差でスタートしているため、「その男」はゴールまでわずかとなった。
ラストスパートでハービーを抜き返したが、仕掛けが早かったのか失速。
もう一度ハービーの後ろでレースを進めた。
僅差でトップ通過していたが、ゴールをしたときは2位。
ゴール時のトップからは1秒ほど遅れた。
いつも通りシード選手が入ってくるのを見ていたが、ダウンへ向かった。
ダウンをする場所はスクリーンがなかったため、レースの様子はわからない。
ダウンを終えてワックスキャビンへ戻る途中。
ワックスマンのアンダースが走りながらこっちへ向かってきた。
興奮した様子で何か言いながら向かってきている。
「10番だ!トップ10だ!!」
耳を疑った。
そこまで良い順位だと思っていなかったからだ。
抱き合って喜んだ。
いつものように泣いた。
いつもと違うのは、「うれしくて」泣いたことだ。
「テレビの中の世界で、さらに限られた選手がいる場所」
「その男」にとって、それがトップ10のイメージだった。
そこについにたどり着いた。
冷静になろう。
8位に入ればオリンピック出場を一発で決めることができていた。
しかし、そんなことを考えることは全くなかった。
目標のトップ10にやっと入ることができたのだから。
コーチも、ワックスマンも一緒になってすごく喜んでくれた。
それもうれしかった。
忘れられない一日だ。
このレース結果により、「その男」がオリンピックに出場できる条件は
「12位以内2回、10位以内1回、8位以内1回」
のいずれだ。
獲得必要順位の回数を一つ減らした。
ハードルはまだまだ高いのはわかっている。
しかし、確実に前進した。
その夜。
携帯が鳴った。
「憧れのライバル」
成瀬さんからだ。
この日のレース結果を讃えてくれた。
また携帯が鳴った。
山口さんからのラインだ。
普段は言ってくれないようなことが書かれている文面に、頬が緩んだ。